
広島宇品港と島を結ぶフェリーです。
昨日、妻と芋ほりをしました。
ベランダに置いたプランターに、昨年獲れた枯れかかった小さなさつま芋に芽が出たそうです。
それをプランターの土の中に入れてやりました。
夏の間、芋づるはどんどん伸びました。
アパートの下の家の方に迷惑にならぬよう、ベランダの柵にひもでおさげ状に結んでやりました。
ゴーヤ、へちま、かぼちゃと同様に良い日よけになってくれました。
今年の夏は、約1ケ月でした。7月半ばから8月半ばまで。
植えてから、約4ケ月毎日水をやりました。
よくできました。6株の苗から獲れた芋の量は、8.7Kgでした。
コガネムシの幼虫に少しかじられていました。
赤い丸々としたさつま芋は、少し乾燥させていただきます。甘めが増すそうです。
妻は、上野で開催されているモネ展を友人と観に行くそうです。
観た後は、美味しいものを食べながら、会話が大いに弾むことでしょう。
冒頭の絵は、広島宇品港と江田島小用の間を結ぶフェリーです。
前後両側から、車を乗せられるようになったのはいつ頃からでしょう。
前後両方の運転ができるように、運転席はなっているのでしょう。
このタイプになってから、離接岸の時間が短縮され、ユーターン時のスペースが不要になりました。
私が小学校の頃は、さすがに馬車はありませんでした。
たまにロバのパン屋さんが来るくらいでした。
その代り、耕運機に小さなトレーラーを付ける方式の車は時々走っていました。
制限時速30Kmの耕運機が走っていても邪魔にはなりませんでした。
それほど車は多く走っていませんでした。
たまに山の中腹にあるまで上がってくる時は、排気ガスをもうもうと吐いていました。
私は、ガソリンの排気ガスの匂いが好きで、走って追っかけていました。
車も坂道をやっとあがる速度でした。たまには追いついたり、難所では押したりしていました。
マツダのキャロルか富士重工のスバルでした。共にエンジンは360ccでした。
乗っているのは、校長先生と村長さんの二人でした。
乗用車は丸ハンドルで格好よかったけど、トラック(バタンコと呼んでいました)は、
舵のようなバー式ハンドルでした。
もっぱらの交通手段は、自転車とリヤカーでした。
焼玉エンジンの船も健在でした。
ほとんどのきはん船(瀬戸内での海上輸送)は、焼玉だったでしょう。
木工船専門の船大工もおられました。
櫓か櫂でこぐ漁船か石船を造られていました。
石船は、クレーンが付いておりませんでした。
人が石を担いで積みました。
降ろす時は、船底に乗せた石を船ごと揺すって放り出していたそうです。
石が飛び出しやすいように丸くて、木の葉を船の形に絞ったような格好でした。
橋が出来て、フェリーに乗らなくても陸伝いに島まで来られるようになりました。
乗客は、高速船に乗りトラックはいまだにフェリーを使っています。
どちらも、陸上交通より時間短縮が可能だからです。
高校生の頃は、フェリーの船上デートが盛んでした。
羨ましかったのを覚えています。
父が50歳前に、運転免許をいただきました。
海や畑によく落としていました。
決まって隣には母が乗っていました。不思議と怪我はありませんでした。
たんびに、丸太棒を担いで行き車を畑から道路まで担ぎ上げていました。
それでも母は、父が運転できなくなるまで乗っていました。どちらも命知らずでした。
私は、櫓も櫂も操れました。赤褌の子孫ですから。
境内の 掃いた落ち葉で 芋を焼く
2015年11月4日