
そろそろ彼女と連絡を取らなければと思っています。
母の法事で、年寄りのお坊さんがお経をあげに参ってくれました。
お経の後の法話を思い出しました。
「亡きお母さんが、縁の糸を結んでくれました」と話されました。
若い時は、袈裟を酒でべたべたにされた和尚です。
「しっかりなさいまし」と車で迎えに来られた奥さんに叱られていました。
私のうちは、山の上です。
麓から順に法事を済ませて上がってくる頃には、かなり酒が入っていました。
和尚は、般若湯がお好きだと、村人は皆知っていたのです。
和尚の話される通り、普段会うこともない多くの親戚の方にお会いできました。
昔お世話になった多くの近所の方々にお会いできました。
今になって、和尚の言われたことは真実だと思い出しました。
お寺のご商売のために法事があるのだと思っていました。
和尚は、残った家族が再会するための立会人(介添え役)のような役回りなのです。
会えば近況を話し合い、また「縁」が続くのです。
義兄が棲んでいる家の相続のことで、亡き妻の兄弟縁者の承諾をえなければならないのです。
やらなければならないと思いながら、日延べになっているのです。
妻が亡くなったあと、縁遠くなってしまっているのです。
厄介な話ではあるのです。
私は多くの人に会ってきました。お世話になってきました。
その多くの人と会うことはかないません。
今、近しくしてくださる方々との「縁」を大事にしています。
縁は巡り巡るものと思っているからです。
妻は学生時代の友人と上野で会って、モネ展を観てきました。
モネの絵について、感動をまじえて話してくれました。
私もよく知っている友人の方との話も教えてくれました。
「今度、二人で家にきたら」と誘ってくれたようです。
その友人の方が、私の初恋の人だと妻も友人も知っての計らいです。
ぜひお受けしたいと思います。若い頃からちゃんと話をしたことがありませんでした。
若い頃、年賀状を書くのが苦痛でした。
そして、だんだんと縁遠くなってきたのです。
歳をとると、3つ以上の違うグループと付き合ったほうが良いとラジオで言っていました。
家にこもらないように、健康でいられるための知恵なのです。
ちょっと億劫な気持ちが、老化の第一歩なのです。
自分に疑問をもったり、否定したりするようになると付き合いは萎んで行きます。
そして、自ら病を抱えるようになるのです。
これは、年齢に関係なく言えることです。
億劫と苦労は異なります。
苦労して、自らの足りないことを自覚した方が良いのです。
億劫は、面倒なことを避けようとして、やらず終いになることです。
やろうとすれば、準備も必要だし案外できるのです。
だから、私は毎日できること、できそうなことから始めます。
人との再会について、書いてみました。
冒頭の絵は、「毛糸パンツをはいていた」同級生の女の人です。
二人で同窓会の幹事を任されています。2年後のことになります。
そろそろ準備をしなければいけませんね。
霜柱 海からは湯気 急ぎ足
2015年11月5日