
助けてくれたのがこの方です。
いつもスケベな話ばかりしてはぐらかされます。
今でも現役で、日本だけでなく世界を良くしようと頑張っておられます。
今日のタイトルは、「韓国へ出張」です。
日本でさんざん試験をしました。
産業廃棄物のもみ殻を夢の素材に変える機械を開発しました。
据え付けと試験のために、海外に出張した話です。
なぜ今さらこんな話を書くことにしたのか。
仕事が終わって、毎晩食堂に行きました。
おばちゃん(あずま)が、手作りのまっこりと手料理で迎えてくれました。
疲れはとれ、また明日頑張ろうと思い直しました。
電線のマーキングは、電線にペンチで押す回数でした。
図面通り、なんとか組みあがりました。
もみ殻を集めて試験が始まりました。
野ざらしのもみ殻は、水分を多く含んでいました。
もみ殻のセルロースをアルファー化させ、
セルロースを鎧のように覆っているリグニンを熱で破壊します。
リグニンが取れたセルロースを圧縮スクリュー(エクストウルーダー)で粉砕します。
粉砕粒度は100メッシュ(小麦粉くらいの大きさ)アンダーにします。
原料のもみ殻の約30%が100メッシュアンダーになります。
100メッシュアンダーの粉は工業原料に変身しました。
プラスチックの原料、塗料の原料として、高価な炭酸カルシウムの代替品となりました。
前述の野ざらしのもみ殻の水分が蒸発し、スクリューの入り口
つまり籾殻投入口でブリッジをつくり、連続投入が出来なくなりました。
スクリューの回転数を落とすため、Vプーリーをサイズダウンすることにしました。
モーターの周波数変換器(インバーター)は、ありませんでした。
町工場に行き、新しいプーリーを買い、ボス穴とキー溝を加工してもらいました。
融通がきいて、できも上々の釜山の町工場群でした。
発生する蒸気を機外排出させるために、新たにパンチングプレートとファンをつけました。
30分は、連続粉砕できることになりました。
一緒に出張した商社の方が、
「十分やった。いったん帰国しよう」と勧めました。
あずまの店で散々話しました。
まっこりで癒されました。
帰国を見合わせ、原料のもみ殻を精選(水分で固まったブロックとごみの除去)
することにしました。
方法について、韓国の方々に相談しました。
議論白熱、最後にはつかみ合いになりました。
島国と違う、大陸的な自己主張の文化を見ました。
一方、午後4時頃になると労働者は車座になり食事を摂り始めました。
真ん中には、バケツにいれたまっこりがありました。
柄杓ですくい皆さんが飲まれていました。
勧められましたが、断りました。
食堂で、ステンレスの箸を使い煮干しの浮いたうどんをすすりました。
結局、粉砕粒度をあげる(50-100メッシュを中心)ことにしました。
セルロースは破壊されており、発酵して牛の餌になることになりました。
粉砕もみ殻の大きな発酵施設と切り返し場所と重機が建設され購入されていました。
二回目の出張の時に視ました。
野ざらしのもみ殻を使うことをやめ、日本のように屋内で保管されている
もみ殻を使うことにしました。
日本と違うのは、米にも短粒種だけでなく、中粒種と長粒種がありました。
原料に併せて、粉砕スクリューの回転数を変えたり、スクリューのピッチを
変えることにしました。
会社を代表して一人で出張をしました。
機械の開発責任者兼運転責任者でした。
観光ビザの日数は、残り少なくなり路銀も尽き、
韓国での対策費も底をつきました。
助けてくれたのは、海外部の部長でした。
新たなビザを申請してくれ、必要なだけ路銀と対策費を送金してくれました。
電話で熱く語る私を励ましてくれました。
粘る私を所属する技術部がバックアップしてくれました。
随行した商社の方は、あきれて一緒に残ってくれました。
2か月あまり、毎晩あずまの店に通い続けました。
冷えたまっこり、飲み過ぎた朝はヘージャンクー(牛の血の冷スープ)で
元気を取り戻しました。
なによりも、あずまの笑顔が元気づけてくれました。
孤独な海外出張でした。
どこの国でも一生懸命働く男を支えてくれるのは、かあちゃんの優しい笑顔と
心のこもった手料理です。
ドイツでもスイスでも一緒でした。
そんなこともあったね。
ここでも、また頑張ろうと思い返しています。
元気になった妻は、時々咳をしながら畑に出かけていきました。
頑張った 昔話と 今を生き
2017年10月8日