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良いことだから、やりましょう。
上司から言われたから、やるとは言われませんでした。
今日のタイトルは、「どうせやるなら」です。
この人に会えた。
俺にしては、よくやった。
素敵な女性に会えた時に、誰しも思うことです。
出来るかなと、一生懸命やった。
至福の時だったと後から思います。
こんな風に書くと、誤解をされますね。
そうかもしれないし、案外他のことだったりかもしれません。
いやいややる姿を時々見ます。
気が進まない。やらされている。
こんな風に時が過ぎていきます。
それも半世紀近くも、いやいやながら働いたそして一緒に暮らした。
結果、一緒の墓に入りたくないと考えるようになった。
咳払いひとつで、次は何が起こるか分かるような夫婦生活です。
また、上司の無理難題を言いつける、いつもの癖が始まりました。
すりガラスの向こうに嫌いな上司が座っている。
朝の出勤から憂鬱になる。
中学生の頃、サッカーをやっていました。
ボールより小さな頭で、ヘディングをした。
後ろに下がっているんじゃないかと思うくらいボールに追いつけなかった。
乾いても水は飲めない。全体責任と頬を張られた。
何でも根性が優先した。
結果やめた。辞める自分が情けなかった。
ところが、高校でもサッカー部に入った。
身体も、一年間で16cm伸びた。
先輩にも伍して戦えた。
交流戦で、中学で張られた先輩とマッチアップした。
張られたお礼とばかり、抜き去った。
サッカーをやることが、楽しくて仕方がなかった。
イメージし、工夫をし、さらに身体を鍛えることができた。
結果やめたけど、次のことにチャレンジできた。
どうせやるなら。
楽しまなければと思います。
どうしたって辛い時があります。
そんなときは、これが終わったら、
美味しい物を食べたり、酒を飲もうと思い続けます。
左のものが、右に動くことはない。
だったら、自分が左に動けば良い。
左のものが右に動いたことと同じ結果になる。
会社に入った頃、馬鹿話ばかりして周りを笑わせる先輩がいた。
ヤクルト観戦の日は、就業前から紙吹雪を仲間と作っていた。
仕事を少しはやったらと思っていました。
ところが、お客さんはその人に、
「仕事は出来んでもよい。あんたと一緒に過ごしたい」と
いつでも歓迎でした。いわゆる引っ張りだこでした。
あれあれ。
なんなんだ。
眉間にしわを寄せるのをやめました。
いまでも出る私の悪い癖です。
「どうせやるなら」でした。
いくじなし ならぬことしか 考えぬ
2017年10月14日