
私よ。というタイトルの絵です。
そう言われても、どれだけの過去を辿ればよいのか、
恥ずかしくなることがあります。
だから、謎かけはやめてね。
今日のタイトルは、「死んだ人と話す」です。
墓が骨壺を置けない位いっぱいになった。
骨を壺から出して、広げた。それでも足りなくなって、
墓地に撒いた。正しい作法なのか知らない。
夢の中のことです。
お袋や親父と話せそうでした。
会うことは出来ないけど、話せそうでした。
たぶん話せる。
自分の中に、死んだ人が住んでいます。
記憶として残っている。
たぶん、こういうだろうな。
自分が過去(記憶)を辿るのか、死んだ人が今に甦るのか。
判然としません。すべて脳の中で起こっていることです。
小説を書いていると、
登場人物は、作者の自分ではなくなります。
主人公は、たぶんこうするだろうな。
作者とは、異なる人格です。
主人公は、架空の人物です。
その人が、生きているかのように読み取れます。
優れた作品でのことです。
脳に刻まれ、身体にしみ込んできます。
あの人のように生きたい。
長い間、会ってない人は、生きていても(死んだとは聞いてない)
過去の人です。墓に入っている親父たちと同じです。
正確にいうと、過去に会ったことがある記憶の中の人です。
電話をすれば話せるし、約束すれば会えるでしょう。
姿は変わっているでしょう。
記憶の中の人は、若いままです。
同窓会に出ると、シーラーカンスに会うような気持ちです。
あれだったのが、あんた。ですか。
化け物が出た。
お互い様。
今の彼とも話せるし、何十年も前の彼女とも話せる。
自由気ままです。
あの時、あんたはこう言った。
そうだったね。そして、お前と別れた。
長く生きてることの楽しみの一つです。
おじさんやおばさんの病気自慢の話を聞くのが辛かった。
今は、普通に話しているし、共感が持てるようになったということ。
ただ、生きている人と話せるほうがよい。
それからどうした。と相手から聞くことができる。
自分だけが、「それからがある」会話は面白くない。
聞きたくないこともあるだろう。
それなりに新しい発見もあるはずです。
たまに、あの時より可愛くなっている人に会うことがあります。
その後、良い人生を送ったんだなと思います。
本当は、見た目の印象だけで、素顔を知らなかっただけかもしれない。
ジャムづくり 弱火ことこと 知恵がつき
2017年10月24日