
おはよというタイトルの絵です。
勝手なタイトル付けです。
その時は、そう思った。時代遅れですかね。
覚える端から忘れてしまう。
老俳優、織本順吉(90歳)さんが、台詞を入れる作業である。
生きている限り、学ばねばならない。
これまでの財産(実績)で生きることは許されない。
先輩と同じで、短気である。
印象に残った言葉は、「次が楽しみだ」。
今日のタイトルは、「印象」です。
印象とは、
強く感じて、心に残ったもの。感銘。
(美)対象が人間の精神に与えるすべての効果。
(広辞苑より)
似顔絵は、似ているかもあるが、それだけではない。
千変万化する表情の「その人らしさ」の表現である。
描いた似顔絵が、その人らしさを顕わしているか定かではない。
少なくとも、描き手がその人らしさを感じたかどうか。
そう思って描いています。
印象を線にする。色にする。
感じたものが伝わるかどうか。
線さがし、色さがしをしながら格闘する。
つまり、描き手のハードルを下げる「線さがし、色さがし」である。
作詞家、阿久悠の詩で、聞き手は自由に情景を浮かべる。
自分の人生とかぶせて、印象として残る。
それでも時代に乗り遅れ、忘れられる。
何故、似顔絵を描くのか。
こうしたら、この人らしさを出せると、技術を学ぶ場でもあるでしょう。
私の似顔絵を描くようになった動機は、人の顔を覚えたいからでした。
描いた似顔絵を渡すことで、もう一度会えるからと不純なものでした。
一粒で、二度美味しい。
似顔絵描きにはまったのは、それだけではなかった。
渡す時に出てくる表情が、私の印象と合っていたりいなかったりしました。
「こんなのは、受け取れない。もう一度描き直し」を命じられました。
このうちには鏡はないのかと、怖れをなして帰ったものでした。
きれいに描くと嘘だと言われ、本当の姿を描くと怒られました。
多くの場合、似顔絵を描いた後は、その人の印象が良くなりました。
より、友達になれる。
俺が、私が一番大切にしていることを気づかせてくれた。
そうなればと思っています。
妄想に近い空想です。
昼に星 あれまなじょして 井戸の中
2017年12月15日
ほうじ茶を煮だしながら、書いています。
鍋に茶葉 底に沈みて 役目終え
良い香りがしてきました。
皆さん、今日も良い一日を過ごしましょう。