なんも気にすることはない。
貴女らしく生きていいんだよ。
オンリーワンなんだから。
今日のテーマは、「真剣に生きたい(Part2)」です。
2016年2月9日投稿記事「真剣に生きたい」で、
「私しか出来ないことを一生懸命やってきたのか思い返しています。」
と書いています。
定年後は、やりたいと思ったことができる。
そう思う方は、多くいらっしゃいます。
そして、されている方も多くいらっしゃいます。
私は、過去の記事をすべて閲覧可能な状態で残しています。
自分から逃げないという覚悟で残しています。
書いたことは、全て私の責任です。
一行たりとも、気が抜けない理由です。
真剣に生きたい。
そう思うようになったのは、それができるようになったからです。
心の赴くままに生きられる。
家族のため、会社のため、自分のために生きてきました。
その状態に変わりはありません。
自分はどうして生かされているんだと考え始めると、
少し事情が変わります。
何かをやれと、言われているような気がします。
やっていいんだとOkが出たような安心感があります。
お前にしかできないことがあるだろう。
と言われているような。
これは、心の叫びのようでもあります。
だったら、真剣に生きてみたい。
抑えてきたわけでもないのです。
できなかった訳でもありません。
してはいけないんじゃないかと思っていました。
できるのにやらないのは、さぼりです。
垣根はとうに払われていました。
思い通りにやれと言われていました。
オーパ。
何事であれブラジルでは、
驚いたり感嘆したりするときは「オーパ!」という。
(そうらしい)
実は、自分らしく生きていました。
ごつごつと、真剣に生きていました。
それに気づくのに時間が必要でした。
どこかで、きれいに生きてやろうと言う邪心がありました。
無心ではなかったということでしょう。
ぜーんぶ、自分。
それでいいじゃないですか。
深山に ことりと落ちた 澱らしい
2017年12月26日