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今や酸っぱくて、誰からも採られなくなった夏ミカン(橙)です。
年数が経つと棘が出やすく、人々から敬遠されます。
それでも、春には甘酸っぱい香りで酔わせ、冬にはいぼいぼの黄色の果実となり驚かせます。
日陰で良い、抜かれるまでしっかりと実らせろ。
正月が明け、いよいよ今日から仕事です。
賀詞交換会に行ってきました。
積極的に知らない人と話してきました。
昨年より、出席者は少なかったように思います。
代議士たちは、地方の時代の到来と話されていました。
東京への一極集中が止まらぬ現状への警鐘とも受け取れましたが、
話が大きすぎて、わかりやすい具体策は出ませんでした。
色んなテーブルを歩きました。
どうやら、グループ(知り合い)ごとに集まっている感じでした。
企業グループの若い方と話しました。
挨拶すべき人には、済ませましたと言われていました。
出席するのは、異業種の方や普段会えない方との賀詞交換と考えていましたが、
主催者の数合わせのようにも感じました。
カフェの営業もあると、途中から女性を中心に回りました。
ボランティア活動や趣味の延長の仕事をされている方が多かった。
男たちの仕事中心の活動(現役、再雇用)とは、少し違うようでした。
女性の方が、柔軟で得にも損にもならない知り合いを増やそうという感じでした。
面白いを素直に具体化している感じでした。
今日のタイトルは、「生き急ぐな」です。
定年を迎えて、現役の時より自由時間が増える。
家族との時間をこれまで以上に大事にするか、やりたかったことに費やすか。
これまでのように、二者択一とはいかないようです。
何々をしなきゃいけないという理由付けがとれた。
金を稼ぐのも、地縁血縁の大黒柱を張るのも、理由があった。
それだけやっていれば、体面が保てた。
そんな免罪符も返上しなければならない時がきたという感じがします。
生きていけるだけの金があれば、何をするかは自由です。
健康ならば、病気をしても回復すれば未来がある。
もっと言うならば、癌になってある組織を失って不随になったとしても、
新しい自分と会える。
同じような悩みを抱えた人や、何とか復帰させようとサポートされる組織や
新たな友人を知ることになる。世の中捨てたもんじゃないと気づく。
免罪符が無くなった分、自分ですることが増える。今まで通りとはいかない。
つまり、「生き急ぐ」ことを許してもらえなくなる。
成長を喜んでもらえる幼子とは違う。
突然エンドが来るかもしれないが、不透明な(未知で長短のわからぬ)未来がある。
これまで以上に、一つずつほぐすような生き方になる。
だったら、もう一度考え直そう。
パートナーを縛ることをやめよう。
自分を呪縛(常識)から放とうという気になる。
「生き急ぐな」は「死に急ぐな」とも読みとれます。
子孫へと 苗木植えしが 花と実を
2019年1月5日
<<投稿後>>
まだできる。と考えないで、まったく新たな挑戦と考えたい。
速度も範囲も自分のペースでやっとできるようになったことを喜びたい。
そう思うのは自分だけじゃないと、相手を感じられるようになりたい。
(筆者)