絵のタイトルは、「山吹のいつかはつける実ひとつ」です。
『七重八重花は咲けども山吹の みの一つだになきぞ悲しき』
カフェを開き続けていますが、こんな気持ちです。
2017年4月30日投稿記事「隠れ家」の一節です。
一人になりたい人も来ると良いなと思います。
私達は、まったく干渉しません。
テレビもラジオもありません。
時々音楽を流します。
話したい人とだけ会話を楽しんでいます。
ちょっとお茶をしたいと近所の奥様が来られます。
娘の里帰りに、カフェに行ってみようか。
積もる話をして、満足顔で帰られます。
美味しいケーキかパンでコーヒーか紅茶をすする。
寸暇が癒しの時間となります。
(記事より抜粋)
誰かが、読んでくださっていました。
隠れ家のタイトルが、意味深だったのでしょうか。
なんか、忘れていないかと、気にかかりました。
この記事は、カフェを開店して間もなくの頃のことです。
純粋に、隠れ家のようなカフェで癒しの時間を過ごしてくれるとよいなと思っていました。
「口コミ」を信じています。とも綴っています。
理想と現実は、常にギャップがあるものです。
カフェを続けていかなければ、癒しもなんもあったもんじゃない。
開店当初から、売り上げより経費(変動費+固定費)が大きく上回っていました。
省エネをし、ガスの業務提携をし、食材の購入先を卸や工場直入に切り替えました。
それでも、在庫オーバーとなる食材を生かそうと、注文生産を重視し、
その延長で、夜の予約客にお任せ料理を提供するようになりました。
それでも、黒字にならない。一年が過ぎました。
人を呼ぶため、パン教室、編み物教室、老人会の歌の伴奏、ビール祭り、地域の芸術家の後押し、
旬の野菜や果物を使った料理のレパートリーを増やし、果物をジャムにし、無償で配りました。
飲み物と食べ物を持ち込み可としたのも、来店のハードルを下げたかったからです。
常に付きまとうのは、収支でした。
もっと値段を高くしたらと、来店されるお客様に言われ続けてきました。
値段は、大事なファクターです。
客数の少ない地方でも、新橋や中野と同じように、3,000円(持ち込み飲み物含む)で、
腹いっぱいを実現したかった。
私たちは、野菜の自家栽培を始め、
売れ残りのパンをその日のうちに近所に、知り合いに届けました。
それでも赤字は解消しませんでした。
オーバーワーク(休みも働き、夜中まで働く)になり、
夫婦の間もギスギスすることもありました。
こんなはずじゃなかったと、思ったものです。
もうすぐ、開店して2年間が過ぎようとしています。
2年目は、年間を通して数万円黒字になりました。
「隠れ家」として、皆さんが使い続けてくださいました。
一組だけの予約客(2人から)でも、精一杯のサービスを続けています。
大勢(10人以上)でも、スタッフが2人だけなので精一杯です。
理想を忘れたわけではありません。
「隠れ家」は存在するところに意義があります。
あそこに行けば気ままな時間が過ごせる、また行きたいとお客さんは思ってくれます。
お客さんにとって、限られた時間とお金です。
地方は、限られた人口です。
どの店も生き残りたい。
私たちは、他の店のお客様を奪うことはしたくない、共存共栄です。
なにか忘れていないか。
忘れてはいません。
でも、忘れかけていたかもしれません。
原点復帰と変化への対応をこれまでもし、これからもすることになるでしょう。
私たちが生き残ることが、地域おこしであり、次の世代の「楽しい」に繋がると信じています。
隠れ家で しっぽり濡れて 生き返る
2019年1月9日