絵のタイトルは、「距離感」です。
この女性は、日本庭園の一角にあった盆栽を見ています。
昭和記念公園内のことでした。
近すぎても、遠すぎても見えない何かを感じている。
今日のタイトルは、「無病息災」です。
涼しくなって、朝晩冷え込むようになるまであっという間のことだった。
布団の足元に毛布を置き、そのうち羽毛布団を載せるようになった。
「無病息災」とは、
まったく病気をせず健康であること。(広辞苑より)
左右を充分確認せずに右折して、後続車にクラクションを鳴らされて肝を冷やすことがある。
物忘れは、今に始まったことでもない。
畑の畝おこしに息を切らせる。草を抜くのも四つん這いになるようになって久しい。
だが、風邪もひかないし、内臓で痛いところはない。体脂肪も20を切っている。
ゴルフの飛距離も去年より伸びた。
ある朝起きて、元気なのが不思議な気持ちになる。
どうして、こんなに元気なのだろう。
出来ることをやっている。
出来ないことに挑戦している。
あれもしたい、これもしたい。
きりがないくらい仕事があり、夢がある。
望んで、会社の頃よりずっと友人に会っている。
平凡な頭の中を整理して、浮かんでくる想いを綴ることができる。
何時か訪れるであろう変事を心配しても、今はなにもできない。
昨日できたことは、今日もできるだろうと怖気づかない。
ひたすら、平凡な毎日を年輪のごとく刻んでいる。
2019年11月14日投稿記事「平凡を恐れるな」では、
「私達は、平凡な毎日を過ごしています。
SNSやブログ、いろんなメディアで紹介されたり、記事にする時「平凡」は見向きもされない。
人々は、日常ではありえないことに飢えていると言ってもよい。
他人の不幸や世紀の大発明などは、当然のごとく注目される。
求める感情は、段々過激になっていく。
それでよいのだろうか。」
(記事より抜粋)
私達は、平凡が不満なのである。
刺激が欲しいのだ。
「推し」があれば、人生に光明が差すとNHKで特番を組んでいた。
「推し」の生き方にあこがれ拍手をする。同じ「推し」どおしで仲良くなる。
背中を追いたい先輩が多い会社は、発展すると書いたことがある。
その通りである。
私は、たった一つの人生を生きている。
人の真似事に、若い頃は苦しんだ。
やっと、自分の足で立てるようになった。
「無病息災」と平凡を楽しみたい。
刈ると次 種を散らせと 草が伸び
2020年10月6日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます