故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

食育

2016-05-26 06:24:21 | よもやま話

この方は、ラッキーでした。
私は、眼鏡を忘れていました。
よって、しわがよく見えませんでした。


長年連れ添った夫婦は、顔が似てきます。
今回のモデルの方を一瞬見て、
御主人と兄弟ではないかと思ったりしたものです。
どちらも優しい顔をされていました。

今日のテーマは、食育です。
10歳までに、子どもの味に対する感覚が決まると言われています。
子どもは、美味しいものを食べた時、
「ふわふわで美味しかった」
「宇宙体験をしたようだ」
「かまきりと友達になったようだ」
とんでもないコメントが次から次に出てきます。

子どもの感性です。
お母さん、美味しいものを食べさせてあげてね。

加工品を食べたり、殺菌した水を飲んでいると、
40代から、認知症が始まるそうです。
脳細胞が少しずつ破壊されていくのです。
安全安心も行き過ぎると、困ったことになります。

私は、この地に来て驚いたことがあります。
筍の味が、数時間で変化していくと知ったことです。
朝採った筍を、数時間のうちに、糠を加えて煮てやると、
えぐみが少なくて、刺身でもいただけます。
新鮮な野菜は、みずみずしくてとても美味しい。
そして、安全です。
でも、都会では体験しにくいことでした。

食育を味と安全の観点からもう少し考えてみたいと思います。
それは、またの機会とします。

寄り添って 苦労重ねて 瓜二つ

2016年5月26日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茂木までひとっ走り

2016-05-25 03:14:28 | よもやま話

いつもの時間に起きました。
少し違うのは、これから茂木まで車を走らせることです。
茂木リンクスの近くで勝負です。

ゴルフです。
先輩は、東京から。
私は、東北から。
丁度中間地点です。

中野で飲むことに決めたのも、
東京に住んでいる三人の中間地点(それぞれ40分)が中野でした。
一人杉並に住んでいる友人がいましたが、彼は歩いて来ました。
帰りは、乗り過ごしたりすることも多く、二時間近くかかりました。

全部もらい物のゴルフ道具です。
今日は、妻も一緒です。
彼女は、始めて2年です。
コースに出るのは、3回目です。
たくさん打ちます。
彼女と一緒に行くメリットは、キャディーの眼です。
先輩も私も、打った先が分かりにくくなりました。
彼女の打球は少しだが、真っ直ぐです。
難しい場所から移動して、
「ここにあったことにして」と優しい所から打ち継ぎます。

まずは、大笑いのゴルフです。
先輩は、後続に気を使って、いつもよりプレッシャーがかかります。
こちらに来て、クラブを振ることがめっきり減りました。
その分、鍬を振っています。
以前より腕が太くなったような気がします。
体重は、減っているというのに。

先輩、不束なふたりですが、よろしくお願いします。

打った球 カラスが運び フェアウェーに

2016年5月25日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピートモスが良い

2016-05-24 06:02:46 | よもやま話

妊娠請負人。と題名をつけました。
似ているような、ちょっと違うような。
糞をかきだして、きれいにして種付けをされました。
まだまだ現役で働いておられます。あちらも現役でしょうか。


花の種を植えました。
けなげにも、90%以上の発芽率で芽を出してきました。
これでは、植えるところを作らなければと、庭の一部に花壇を作りました。
どんどん広がる開墾地です。
妻が頑張っているのを見てでしょうか、
うちの空いてる畑も作ってくれないかしらと、依頼が来たようです。
いえいえ、今年の成果を見てからと控えめに答えたようです。
空いてる畑(最低一反分)の規模が違います。油断大敵です。
あちらに較べれば、こちらは猫の額ほどの耕作地です。
この程度で、ヒーヒー言っていますから。

沖縄に、仕事で行かれている先輩から助言をいただきました。
今日のタイトルの「ピートモスが良い」と言う言葉でした。
先日いただいたブルーベリーの苗を、定植するところを探していました。
ピートモスとな。要するに水はけをよくしてやることです。
次から次に生えてくる、雑草の乾いたので良いかしらなんて考えています。
先輩にまた聞いてみましょう。

虫がつきやすい野菜(茄子、きうり、ピーマン)の根元には、
刈り取ったニラの葉を敷きました。
肥料は、根元から離して施肥しました。
毎日のように、地域の先輩方が妻の作業をのぞいてはアドバイスをくれます。
見ていられないと言うところでしょうか。

そろそろゴーヤを、へちまを植えたい。はやと瓜も植えなきゃ。
と妻が独り言です。
追い立てられるように、垣根を作りました。
布団が干せるほどの垣根ができました。

近所の方は、あごで催促。あそこへ行って何かを採ってきて。
また別の近所の方は、机を空になったコップでコンコンとたたいて次のお酒の催促。
と奥さんのリクエストの様子を教えてくださいました。

我が家は、妻の独り言、「何々しようかな」です。
何々しようと言って、何々したことがありません。
都度、ハイハイと次にハーハー、ヒーヒーは私です。

妻が千代紙で鶴を一生懸命折っています。
熊本へ届ける千羽鶴の手伝いです。
朝ごはんをお願いとストレートにお願いされました。
ガッテン。と言わざるを得ませんね。

種付け師 優しくなでて ハイ終わり

2016年5月24日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域で生きる

2016-05-23 06:49:21 | よもやま話

二日に一杯にされたそうです。
体調を整えながら、今日も笑顔で管を結んでおられます。


今日のテーマは、「地域で生きる」です。

いい加減な仕事はできない。
困った時にこそ駆けつける。
いろんな仕事の中から、縁によって優先順位が変わってきます。
そうであってはいけないので、断れない仕事は常に残業となります。
休みの日になります。

地域で生きるとは、
生かされていると考えられるから、やりがいが生まれるのではないでしょうか。
一生懸命、仕事に打ち込めるのではないでしょうか。

私は、会社のために仕事をやってきました。
会社のためが、自分のためであり、家族のためでした。
地域に近い仕事は、何か始まりが違うような気がします。
生きるためには、稼がなければなりません。
地域で役に立ちたいの意識が、信頼感につながり
きちんとやらなければならないに、なるのではないでしょうか。

地域は、そんな人の集まりです。
商工会の青年部の人たちでたいていの仕事はこなせます。
会社に勤めてはいますが、魂は会社に捧げてはいない。

私が付き合ってきた大会社の人たちの関心は、会社の内部情報でした。
若い人であってもそうでした。偉くなるほどそうでした。
会社のトップの意向に沿うような生き方をされていました。
大会社故に給料も良いし、社会的にも認知されていました。
それがなんだと思うようになりました。
いまだに、自分の生きている意味はわかりません。

この地域に来て、新しい生き方を見たように思います。
これは、技術伝承が累々とつながれている新しい生き方のような気がします。

生き方は 卒業からか 生まれすぐ

2016年5月23日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンドルナイト

2016-05-22 20:14:56 | よもやま話


ようやく暗くなりかけた頃、くっきりと文字が浮かんできました。
商工会青年部の努力の甲斐があったというものです。


商工会の総会に出席しました。
あまりにも段取りがよく、少し眠りかけてしまいました。
懇親会にも出席して、商工会の皆さんに自己紹介をしました。
皆さん、乾杯がお預けでしたので短い時間と思いましたが、
ついつい話しました。
それでも、こいつは何者だろうと興味を持っていただけました。
その後が楽しかった。二次会には、妻も一緒に出席しました。
私は、地域に染まることが少しずつ出来ています。
またまた、絵手紙の宿題が溜まりました。
こちらも楽しみです。

つい、飲み過ぎで翌朝は残っていました。
朝、8時から準備が始まりました。
皆さんが、片付けて散会したのは23時をまわっていました。
青年部は、すべてボランティアです。
自分たちが住む地域をよくしたいの一心です。
準備も進み、後はキャンドルに点灯するだけになりました。

しかし、雨足が衰えません。
7張りのテントにも雨がたまるほど、皆さんの心配顔も真剣になってきました。
夕方になり、雨が小降りになったころろうそくに点灯し始めました。
今度は風が強く、せっかく点灯しても半分くらい消えてしまいました。
那須の山々が赤くなるにつれて、風もやみました。
開会式が始まるころに、全部のろうそくに火が灯りました。

皆さんの想い(故郷を想い、人を創り、未来を奏でる)が熊本で被災された方々に
届くようにと願いました。

若い人に混じって仕事をするのは本当に楽しい。
工場づくりでは、初めはうるさい監督として煙たがられます。
進むにつれて気心もしれ、仕事が楽しくなっていきました。
冗談を言い交すころ建設仕事は、終わりました。
10に余る工場を建設してきましたが、最期は決まって仲間になっていました。

しかし、今日は疲れてしまい中々身体が動きませんでした。
ブログもこの時間になってしまいました。

一口が また食べたいに 変わるのさ

2016年5月22日



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする