バクシ島における停留は、当地の浜頭が親しみと厚意をもって迎えてくれる、船団の者らの遠路に及ぶ航海を充分に癒してくれた。
アエネアスとイリオネスは、サギントス島から三日間に及んだ船団の一同の航海の労をねぎらい休ませる。
バクシ島のバクタス浜頭は、ケルキラ島の紹介状の浜頭とはとても懇意な仲であり、サギントスのレガント浜頭がくれた紹介状に一筆を書き加えてくれる。
明くる朝、バクシ島を出航した船団は、2刻半(約5時間)後には、ケルキラ島の停留予定の浜に着港を果たす、紹介状の浜頭の浜は小さな湾の奥まった地点にあった。
船団は船首を横列にそろえて碇石を沈めて停留する。彼らは、クレタを出航して初めて洋上に停めた船上において昼食を摂った。
イリオネスとパリヌルスは、バクシ島の浜頭からケルキラ島の浜について詳しく聞いてきており、迷うことなく浜頭の屋敷を訪ねる、二人は浜頭に紹介状を渡し、浜に停留したい旨を伝える。
浜頭は、快く二人が言う停留の件を受け入れてくれる。
『解りました。停留してください。船を浜に揚げて休まれるがよかろう』
浜頭が二人が持ってきた堅パンのケースを躊躇することなく受けとる、彼ら三人は、一瞬にして百年の知古のごとく打ち解ける。
パリヌルスは、アエネアスを呼びに船に戻る、船団の一同に船を浜に揚げて点検整備を指示する、アエネアスを同道して浜頭の屋敷に戻る。
三人は浜頭とサギントス島からの航海に就いて歓談を交わす、パリヌルスは、アエネアスとイリオネスを浜頭の屋敷に残し、船団が停留している浜に戻る、オキテス、オロンテス、アレテスを呼び、今日のこれからを打ち合わせる。
四人は、懸命にわたり来た長途の航海の身と心を休ませる。
イオニア諸島のいちばん北の地点に位置するケルキラ島の小さな湾の浜に着港したのは、クレタ島を出航して12日目である、月が変わって二日目のアエネアス暦の4月2日の昼の頃合いであった。
イオニア諸島は、ヘブタネリス(この地方、この時代の言葉で[七つの島]の意)といわれ、現在はギリシアに属している。古代のこの時代、イオニアヘブタネリスと呼ばれ、ギリシア領ではない島々であった、北から島名をあげればケルキラ島、バクシ島、レフカス島、ケフリニア島、イタケ島、サギントス島、この六つの島から遠く離れて、ギリシアのペロポネソス半島の南端に位置するキューテラ島が加わっての七つの島なのである。諸島群から遠く離れたキューテラ島がイオニア諸島の七島のうちに数えられたかについては定かではない。
アエネアスの船団は、この七つの島を南から北へと航海したのである。
アエネアスとイリオネスは、サギントス島から三日間に及んだ船団の一同の航海の労をねぎらい休ませる。
バクシ島のバクタス浜頭は、ケルキラ島の紹介状の浜頭とはとても懇意な仲であり、サギントスのレガント浜頭がくれた紹介状に一筆を書き加えてくれる。
明くる朝、バクシ島を出航した船団は、2刻半(約5時間)後には、ケルキラ島の停留予定の浜に着港を果たす、紹介状の浜頭の浜は小さな湾の奥まった地点にあった。
船団は船首を横列にそろえて碇石を沈めて停留する。彼らは、クレタを出航して初めて洋上に停めた船上において昼食を摂った。
イリオネスとパリヌルスは、バクシ島の浜頭からケルキラ島の浜について詳しく聞いてきており、迷うことなく浜頭の屋敷を訪ねる、二人は浜頭に紹介状を渡し、浜に停留したい旨を伝える。
浜頭は、快く二人が言う停留の件を受け入れてくれる。
『解りました。停留してください。船を浜に揚げて休まれるがよかろう』
浜頭が二人が持ってきた堅パンのケースを躊躇することなく受けとる、彼ら三人は、一瞬にして百年の知古のごとく打ち解ける。
パリヌルスは、アエネアスを呼びに船に戻る、船団の一同に船を浜に揚げて点検整備を指示する、アエネアスを同道して浜頭の屋敷に戻る。
三人は浜頭とサギントス島からの航海に就いて歓談を交わす、パリヌルスは、アエネアスとイリオネスを浜頭の屋敷に残し、船団が停留している浜に戻る、オキテス、オロンテス、アレテスを呼び、今日のこれからを打ち合わせる。
四人は、懸命にわたり来た長途の航海の身と心を休ませる。
イオニア諸島のいちばん北の地点に位置するケルキラ島の小さな湾の浜に着港したのは、クレタ島を出航して12日目である、月が変わって二日目のアエネアス暦の4月2日の昼の頃合いであった。
イオニア諸島は、ヘブタネリス(この地方、この時代の言葉で[七つの島]の意)といわれ、現在はギリシアに属している。古代のこの時代、イオニアヘブタネリスと呼ばれ、ギリシア領ではない島々であった、北から島名をあげればケルキラ島、バクシ島、レフカス島、ケフリニア島、イタケ島、サギントス島、この六つの島から遠く離れて、ギリシアのペロポネソス半島の南端に位置するキューテラ島が加わっての七つの島なのである。諸島群から遠く離れたキューテラ島がイオニア諸島の七島のうちに数えられたかについては定かではない。
アエネアスの船団は、この七つの島を南から北へと航海したのである。
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