ちょっと第40回から間が空いたが、心配ご無用。ちゃんと走り続けておりますぞ。
ブログの投稿が俺の走りに追いついてないだけじゃ。
(Wikipedia「東久留米市」より。たぶん撮影は高橋喜代治氏)
第41回は東久留米市。
今回、東久留米市の下調べをするまで、私、東久留米市は福岡県の久留米市と何か深い関係があるものだとばかり思っとりました。
奈良時代に久留米で虐げられていた人々が遠く関東にまで逃げてきて、自分たちの手で新たな村を作り上げたのが東久留米だとか、江戸時代に久留米のお家騒動がきっかけで殿様のご落胤(らくいん)が公儀の隠密にさらわれて武蔵野の山林に捨てられたんだけども、親切な村人たちの手で育てられ、その子孫が幕末、関東最大の尊皇攘夷集団「久留米党」の党首となって幕府を倒したとき、もはや自分は先祖の故郷久留米の地には戻らないとの決意を込めて明治政府から与えられた武蔵野の地を東久留米と名付けたとか。
ぜんぶ今、私がテキトーに作りました。
東久留米市と久留米市は何の関係もないらしい。
紛らわしい名前つけてんじゃねー!
さて。
気を取り直して。
東久留米市といえば西武池袋線東久留米駅の北口駅舎が高橋留美子先生の名作「めぞん一刻」の時計坂の一風景として描かれていることで有名だが、残念。当時の北口駅舎は既に取り壊されて、今ではピッカピカの新しい駅舎に建て替えられてしまっておる。
その反対側。
駅西口には「富士見テラス」があります。
国土交通省から『関東の富士見百景』に選ばれているほど富士山が美しく見える場所。
これは写メらねばなりますまい。
撮ってみました。
・・・見えんわ!
読者の皆様におかれては、心の目で見ていただきたく。
富士山は僕ら日本人の心の中にいつだってそびえていますから。
お天気とタイミングがいいとこんな感じに見えるらしい↓
(Wikipedia「東久留米市」より。たぶん撮影は高橋喜代治氏)
これは富士見テラスに設置してある案内版↓
冬至の頃にはダイヤモンド富士が見れる(こともある)らしいので、富士山好きな方は行ってみてください。今年の冬至は12月22日です。
「めぞん一刻」の北口駅舎もない、富士山も見えない(心の目では見える。富士山は僕ら日本人の・・・。もういい!)では、クソ寒い中、バイクを飛ばして来た意味がないので近くの竹林公園に行ってみたでござる。
こんな感じ↓
風情があっていいんだが、田舎育ちの私としては竹林と聞くと、どうしても幼い頃、家の近所にあった「竹藪」(たけやぶ)を思い出してしまうのじゃ。
昔の竹藪という所は、そりゃあ、もう、思春期の少年たちにとっては宝島みたいなトコだった。
何故って?
エロ本が捨てられまくってたからでござる。
日の光も届かない薄暗い竹藪の中。エロガキたちがわらわら集まって、額を寄せ合って食い入るようにエロ本を読んでいる絵を想像してほしい。
ダイヤモンド富士にも負けず劣らず切なくも美しく牧歌的な光景ではありますまいか?
ありますまいね。
はい。すいません。
竹藪からこっそり拾ってきて自室のベッドの下に隠しておいたエロ本(当時はビニ本と言ったっけ。まぁ、今の子たちには刺激もクソもなかろうが、要するにモザイクもボカシも墨塗りもされていない、いろんな部位が丸見えのエロ本っすよ)を母親に捨てられたことに気づいた時は、生まれて初めて実の母親に殺意を抱いた。うむ。反抗期だな。
冷ややかな目でこのブログを読んでいる男性諸君。あなたの目は、もう、少年の輝きを失ってしまいましたな。
軽蔑の目でこのブログを読んでいる女性諸君。言っときますが、男の子って大なり小なりこーゆーもんですからね。
竹林公園の中には小川の原水となっている湧水もあって、さすが武蔵野という感じです。
ここから湧き出た水はやがて黒目川(東久留米の語源との説もあり)に注ぎ込むのだが、その手前の清流では蛍も見れるらしい。
ちなみに、私の撮った竹林公園の写真はGoogle mapにもアップされているのだが、どーゆーわけか閲覧者数がやたらに多い↓
世の中、エッチな人が多いんだな。
50,000人の同志よ!
言っとくけど、竹林公園にはエロ本は落ちてなかったぞ。
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