つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

日経平均

2018-03-23 10:36:22 | 日記

何人かの方から

『「摂ちゃんのこと」の続報が読みたい。心配している。』

というご連絡を頂いている。

ありがたいことです。

が、今は、「摂ちゃんのこと」の新規投稿をちょっと控えている。

このブログを読んだり私から話を聞いたりして、たくさんの方々が、セカンドオピニオン先をはじめ乳がんに関するさまざまな情報をご連絡くださったのだけれど、その中の数名の方に対して、私が非常に複雑な感情を抱いてしまったからだ。

政治家とか外交官みたいな、こういうオブラートに包んだ言い方で誤魔化すのもどうかと思うな。

要するに、納得できないというか、腹立つというか、イラっとしたのだ。

 

こういう感情で書く文章というのは後から読み返してもけっして気持ちのいいものではないし、そういう文章を読む人もたぶん、いい気持ちはしないだろう。

なので、今はちょっと自制しよう、ということである。

もちろん、「上記特定の数名」以外の、乳がんについての情報を寄せて下さった多くの方には感謝してもしきれない。

本来なら、お一人お一人に会いに行ってお礼を申し上げたいくらいなのだが、それは時間的にも困難なのでこの場を借りて感謝の気持ちを申し上げたい。

(一部の方を除いて)皆さんのお気持ちがどれだけ心の支えになったかしれません

本当にありがとうございました。

 

 

というわけで、今回は「摂ちゃんのこと」とは全く関係ない日経平均株価の話。

私は株式取引は全くの素人なのだけれど、少しは手を出している。

そして手痛い目にあったりしている。

手痛い目にあっているので、「次に自分が手痛い目に合うタイミング」は何となくわかるような気がする。

本稿執筆時点で日経平均株価は前日比800円超の暴落である。

が、今日の暴落はまだ序章ではないか、と私自身は思っている。

多くの株式評論家とかプロの予想屋さんとかストラテジストの方々は誰もそんなことは言わないけれど、

今年4月3日~18日のどこか(つまり来月前半のどこか)で、けっこう破壊的な暴落が来るのではないか

と思う。

素人なので明確な理由は特にない。なんとなくだ。

暴落の原因も、森友問題なのか、トランプの狂った保護主義政策なのか、中国の報復なのか、北朝鮮問題なのか分からない。

ま、あと1カ月以内に(暴落予想が当たったか当たらなかったかの)結果が出るから、その時に褒めてくれるなり笑いものにするなりしてください。

今日の暴落(の序章)が落ち着いたら、全力でショートポジション積み上げにいこうと思っている(もちろん、余剰資金の範囲で)。


摂ちゃんのこと(9)

2018-03-03 14:25:39 | 摂子の乳がん

施設に入った摂子は、以来、ずっと施設暮らしだ。

小学校も中学校も施設に併設された特別の学校に通った。

 

 

お袋には嫌われる。

家では親父とお袋が年がら年中いがみ合っている。

兄の私は自分の運命が受け入れられず、障害を持った摂子とどう向き合ったらいいか分からない。

そんな地獄みたいな家で暮らしてるより、摂子にとっては施設にいた方が幸せだったのかもしれないと思う。

施設の中でも摂子はいつもニコニコ笑っていた。

今もそうだ。

だから同じ施設に入っている他の子たちからも

「せっちゃん、せっちゃん」

と慕われている。

施設のスタッフの方々も

「せっちゃんはいつもニコニコしていて、こちらが嬉しくなるよね。」

と言って下さる。

 

それなのにお袋は、

「摂子は施設で虐待されとる」

と言っていた。

摂子が知的障碍者なら、お袋は完全な狂人だ。

「お前が、摂子を捨てたからだろう。

摂子が虐待されてると思うんなら、摂子を家に戻してやれよ。」

思ったけど、お袋には言えなかった。

私は卑怯者だ。

 

摂子の笑顔は天使みたいだ、と思う。

実の親に捨てられるどころの話ではない。

中絶されてこの世に生まれてくることすら叶わなかったところを医者の斡旋で親父に貰われて、なのに、髄膜炎で脳に後遺症を負って。

それでもいつもニコニコニコニコ笑って「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と私の後を追っかけてくれて。

何一つ悪いことしてないのに、「面倒を見てやれない」という、ただそれだけの理由で施設に放り込まれて。

 

そういえば、摂子はいつの頃からかほとんど喋(しゃべ)らなくなった。

昔はいつも私に話しかけてくれたし、いつも好きな歌を歌ってた。

誰かに、

「なに言ってんのか分かんねーよ、バカ」

とひどいことを言われたからかもしれない。実際、摂子にそういうことを言った奴を私は見ている。

今なら有無を言わさず八つ裂きにするところだけど、当時は、

「自分の妹は障害者なんだ」

ということの方が恥ずかしかった。

だからそいつに何も言い返せなかったし、摂子を守ってやれなかった。

 

今もたいして変わらないけど、昔は障害者に対する差別意識や冷たい仕打ちが本当に多かった。

摂子は、きっと、自分が喋るとみんなが怒ると思って声を出さなくなったんだろう。

障害を持っている摂子は、誰よりも優しい。

そんな摂子の存在を、私は友達にはほとんど話せなかった。

友達との間で兄妹の話題が出るとわざと話をそらしたりしていた。摂子の存在に触れたり、説明したりしたくなかったからだ。

「なんで、俺だけ、こんな人生を歩かされるんだろう」

って思ってた。

 

摂子よりバカで、摂子より卑怯で、摂子より優しくない私は、それが間違いだと気づくのに50年もかかった。

本当のバカは、私だ。

障害を背負った摂子を差別したり、摂子に冷たくしてたのは、私の友達でも、世間でもなくて、私自身だ。

一番苦しい運命を背負って、それでも笑顔で生きてきたのは、私じゃなくて、摂子だ。

だから私にはもう、摂子に「お兄ちゃん」と呼んでもらう資格は、ない。

 

この世に生まれてから今日まで、何一つ悪いことをしていない摂子が、意気地なしの私みたく自分の運命を呪うこともしなかった摂子が、楽しいことより辛いことの方が多かったはずなのにいつも笑顔でみんなを幸せにしてきた摂子が、

どうしてガンで死んでいかなきゃならないんだ。

神様、答えろ。


摂ちゃんのこと(8)

2018-03-02 12:57:35 | 摂子の乳がん

親父と別居したお袋との二人暮らしもやっぱり地獄だった。

狂ったお袋は何かのきっかけで突然、ヒステリーを起こす。

お袋と二人で「フランダースの犬」というアニメを観ていた時のこと。

親父から買ってもらった少年少女世界の名作全集に収録されていた「フランダースの犬」(小説)を読んで話の結末を知っていた私がお袋に向かって、

「このネロとパトラッシュって最後は死んじゃうんだよ。

もう、早く死んじゃえばいいのに~」

と冗談めかして話しかけた途端、お袋のヒステリーのスイッチが入った。

 

「あたしが死にゃいいのか!そういうことか!」

と叫びながら狭いアパートの台所に走っていったお袋は、出刃包丁を掴(つか)んで自分の首をかき切ろうとした。

どうしてお袋がヒステリーを起こしたのか、小学4年生だった私に理解できようはずもない。

というか、今でも理解できぬ。

 

泣きながら出刃包丁を振り回すお袋の腕にしがみついて、家を出るときに持ってきた「少年少女世界の名作全集」を必死にお袋に見せながら私は、

「ほら。こういう話じゃん。お母さんに死ねなんて言っとらせんじゃん!」

と泣き叫んだ。

悪夢を見ているようだった。

 

そういう生活をしていた時に私の友だちになってくれて、私を支えてくれたのが丸信之君だった。

このことは以前、お袋が死んだ直後にこのブログにも書いた。

 

その後、何故か、お袋は親父とよりを戻すことになった。

理由はよくわからない。

私が小学6年に進級した春、お袋は私を連れて、飛び出した尾張旭の家に戻った。

摂子は、もう、いなかった。

 

摂子はもう、いなかったけれど、家に戻ったお袋はやっぱり狂ったままだった。

いつも「調子が悪い」といっては奥座敷に布団を引いて寝込んでいた。

 

たしか、小学6年の夏だったか秋だったか。

学校から家に帰ると、お袋がガスホースを口にくわえて死にかけていた。

お袋が寝ていた部屋にあった鏡台の上に私宛の遺書が置いてあった。

お袋はガス自殺を図ったのだ(現在と違って当時のプロパンガスは致死量を吸い込めば死ねたはずだ。)。

私がお袋の口からゴムホースを引き抜くと、幸か不幸かお袋は蘇生した。ランドセルは背負ったままだった。

あまりのショックで涙も出なかった。

摂子を捨て、今度は私まで捨てて、お袋は自殺しようとした。それも2度目だ。

 

蘇生したお袋は、

「なんで余計なことするんだ!」

と私を怒鳴りつけると、台所に行って床に放尿した。

 

夜、親父が帰宅するまで私はずっと泣いていたように思う。

 

帰宅した親父は私の話を聞いて台所に行き、床を見て、

「ほんとだなぁ。こんなとこで小便しとるわ。」

とだけ言った。

親父もお袋も台所の床を掃除しようとしなかった。

家中が小便臭かった。

 

親父もお袋も死ねばいい、と本気で思った。


摂ちゃんのこと(7)

2018-03-01 12:16:56 | 摂子の乳がん

親父は、摂子の面倒を見ながらでは働きに行くこともできぬ。

年老いた祖父母では障害のある摂子の世話はとてもできない。

親父は八方手を尽くして、知的障害児を全寮制で預かってくれる施設を見つけて、そこに摂子を入れた。たぶん、摂子が5歳か6歳の頃だ。

そして摂子は今でもその施設にいる。

親父は死ぬまで摂子を可愛がっていたから、断腸の思いだったろう。

小学4年生だった私でさえ、突然、摂子と引き離された辛さで押し潰されそうだった。

 

当時の私の記憶。

私を連れて家を出たお袋が誰かと電話で話している(以下、名古屋弁)。

「あんな家にはおれんわ。利文だけ連れて出てきたがね。クソ親父がどうなろうと、もう、知ったことじゃないわ。とにかく金を作らなあかんもんねぇ。『いらん物はコメ兵に売ろう!』とかテレビでやっとるで、少しでも金になるかと思って着物とか指輪とかコメ兵に持ってったけど、どれもこれも『買えません』って言うんだわ。『あんたら、テレビでいらん物はコメ兵に売ろう!とか言っとるけど何にも買ってくれやせんがね。ほんならあたし(の身体)でも買ってくれるんか、って言ってやったわ。はっはっはっ」

下卑た冗談を言いながら明るく笑うお袋の横で、私は折り紙を切り抜いて『せっちゃん』という文字を作って遊んでいた。わざとお袋の目に入るように、だ。

摂子を捨ててきたお袋への、小学4年生の私にできる精いっぱいの抗議だった。

お袋は私が作った切り文字をチラッと見たが、何も言わなかった。

 

知的障害があって、ちゃんと話もできなくて、てんかんの発作もあって、突然ひっくり返ったりして。

恥ずかしいから学校の友達は家に呼べなかった。

なんで自分の妹はこんなんなんだろう、と毎日、思っていた。

やり場のない怒りが爆発して癇癪を起し、おもちゃをひっくり返して泣き喚いたこともある。

お袋は悲しそうな顔をして、摂子と二人で、私が散乱させたおもちゃを一つずつおもちゃ箱にしまっていた。

 

摂子を捨てたお袋は許せなかったけれど、私もたいしてお袋と違いはない。

摂子が大好きで大好きで、摂子が可愛いくて仕方なくて、摂子を妹として愛していたけれど、わが身が置かれた理不尽な不幸を受け入れられず、お袋に、親父に、そして摂子に、噛みついていた。

 

 

私は、くそ野郎だ。

 

 

 

お袋が捨てた直後の摂子の写真である。

今見ても、胸が、潰れそうになる。

上段の摂子と一緒に写っている老婆は私の父方の祖母。

下段で摂子と一緒に写っているのは親父だ。

 

摂子は何も悪くない。

実の親に捨てられ、知的障害を負い、私のお袋に捨てられ、家も、親父のことも、みんなのことが大好きだったのに施設に放り込まれなければならないような罪を、摂子は何一つ、犯していない。

 

神様。あんたは残酷だ。