今年3月18日の記事で約束したとおり、1月に他界した母の香典として頂いたお金(+K女史から預かった100円玉貯金)は全額ダルニー基金に寄付した。
先日(といっても1か月以上前)、寄付した奨学金を受け取ってくれているこども(タイ1名とミャンマー1名)の写真がようやく手元に届いた。
他にカンボジアのこども1名にも奨学金が渡されることになっているのだが、こちらの方はカンボジアの新学期の関係で写真が届くのはもう少し先である。
ブログに載せるにあたって顔にモザイクをかけたが、香典を頂戴した方々(+K女史)にはモザイクなしの写真をお礼状とともにお送りした。
モザイクをかけてしまうと、なんだかヒワイな・・・いやいや、イカガワシイ・・・というか、少年犯罪者のような雰囲気になってしまうのが残念だ。
(当初、モザイクのかけ方が分からずアタフタしていた俺様に「画像加工アプリ」の存在を教えてくれたのはR女史(カワイイ33歳)である。)
タイの子(写真上)は利発そうな優しい顔をしている。
ミャンマーの子(写真下)は見るからに悪戯っ子な顔である。
モザイクなしの写真は事務所に貼ってあるので、どうしても彼らの御尊顔を拝したい、と思う方は法律相談料(30分5,400円)を持参の上、ご来所願いたい。
世界には、勉強したくて勉強したくて、それでもお金がなくて、学校にも通えないこどもたちがまだ大勢いる。
こどもたちに教育を受けさせないということは、人類の未来にモザイクをかけるに等しい。
僕らの未来をヒワイでイカガワシイものに貶(おとし)める犯罪だ。
写真にかけたモザイクは画像加工アプリ(R女史ご推薦)で簡単に外せるが、教育の機会を奪うという形のモザイクは容易に外せない。
容易に外せないけれど、不可能ではない。
たとえ、その子の親や国家が彼らに教育を受けさせようとしなくても、「貧困」という名のモザイクを外す手伝いを僕らがすることはできる。
てか、そんな小難しい理屈を振りかざさなくたって、昨日まで読めなかった字が読めたとき、昨日までできなかった計算ができたとき、昨日まで知らなかったことを知ったときの、この子たちの笑顔を、私は見たい。
彼らに奨学金を送り続ける理由なんて、それで十分だ。
未来に溢れさせたいのは、「血に飢えた獣」か? それとも「知に触れた笑顔」か?