つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

2023-04-11 21:43:50 | 弁護士のお仕事

久しぶりの投稿なのに今回はブルーな内容です。

ごめんなさい。

 

実は、ネクスト法律事務所開設以来、今日まで13年近く私を支えてきてくれた事務員さん(以下「秘書ちゃん」)が6月いっぱいで退職することになった。

今、自分の身体の半分を鋭利な刃物で抉り取られたような気持ちだ。

それは「淋しい」とか「困った」などというありきたりの言葉じゃなくて、「かつて味わったことのない喪失感」としか表現できない感情だ。

 

前の事務所を辞めるとき、ボスに「独立するつもりです」と(木曜日に)打ち明けた途端に、「だったら今週中に荷物をまとめて出ていけ」と言われてしまったので、ネクスト法律事務所で私が仕事を始めたのは当初の予定より1ヶ月も早い2010年6月1日だった。

秘書ちゃんには7月1日から出勤してもらうことになっていたので、それまでの1ヶ月間は、たまに電話番にアルバイトの女の子が来てくれる日以外、私は、運び込んだ段ボール箱が積み上げられた、がらんと広い事務所で、独りぼっちで仕事をしていた(秘書ちゃんは子どもの保育所のスケジュールの関係もあって、どうしても7月1日からしか出勤できなかった)。

不安で、寂しくて、気が狂いそうだった。

7月1日に秘書ちゃんが来てくれた時は、心底、ホッとした。

といっても、事務所開設早々はほとんど仕事らしい仕事はなくて、夜中に一人で事務所にいると、この先、ちゃんと秘書ちゃんに給料払っていけるのか、いや、それ以前に事務所の家賃を払い続けていけるのか、いやいや、それ以前に私と家族の明日の生活費を稼ぎ出せるのか、あとからあとから湧き上がってくる将来(しかもほんの間近に迫った将来)への不安で、涙が出てくることもあった。

それでも私が、翌日も翌々日も、雨が降ろうと風が吹こうと、事務所に出てこれたのは、秘書ちゃんがいてくれたからだ。

 

秘書ちゃんの家は藤沢にある。

毎日、早起きして、2時間近くかけて事務所に来てくれる。

しかも事務所開設当初は考えられないくらい安い給料で我慢してくれていた。

あり得ないくらい安い給料で、遠く藤沢から毎日、私のために事務所に来てくれる人がいる。

そのことがどれほど私の折れそうな心と、崩れ落ちそうな膝を支えてくれたかしれない。

東京商工会議所の新規事業者交流会に一緒に参加して手作りのチラシを配ってくれたのも、少しでも集客に結びつくようにとブログを始めてくれたのも、ポツポツと入ってくるようになった仕事の一つ一つに一緒に大喜びしてくれたのも、みんな秘書ちゃんだった。

法律事務所での勤務経験があった秘書ちゃんは、いきなり独立して事務所運営の右も左もよくわかっていない私にとっては、秘書ちゃんであると同時にパートナーであり先生でもあった。

 

その後、別の弁護士が入ってきたり、出て行ったり、新たにアルバイトさんがお手伝いに来てくれるようになったり、また別の弁護士が入ってきたり、また辞めたり、またまた別の弁護士が入ってきたりして、事務所はどうにかこうにか今も潰れずに済んでいる。

メンバーの出入りはあったけれど、私の職場に対する考え方は設立以来、1㎜も変わっていない。

私は、事務所のメンバーは自分の家族も同然の存在だと思っている。いや、それ以上かもしれない。この13年間、私が自分の嫁さんや子どもたちと一緒に過ごした時間より、事務所で秘書ちゃんと過ごした時間の方が長いし、秘書ちゃんとの会話の量も嫁さんとのそれを遥かに凌駕している。秘書ちゃんやアルバイトさんが家族同然なのだから、彼女たちの子どもたちもまた、私の子ども同然だ。だからわが子と同じように褒めて、叱って、甘やかしまくっている。

 

家族が集まる場所は「家」だ。

つまり、ネクスト法律事務所は「職場」であると同時に、事務所のメンバーのもう一つの「家」でもある。

だから服装も基本的に自由だ。私は法廷に行くときだけは仕方なくスーツを着るが、それ以外はGパンかチノパンにタートルネックやパーカーしか身につけない。夏はTシャツと短パンとサンダル。誰がどんな服を着て来ようと一向に構わない。

何時にお昼を食べに行っても誰も文句は言わない。

することがなければネットサーフィンをしていようが漫画を読んでいようが資格試験の勉強をしていようが勝手だ。

家庭や家族の愚痴を言ってもいい。弱音を吐いてもいい。

愚痴も言えない、弱音も吐けない場所は、そもそも「家」とは呼べない。

ただし。「家」であると同時に「職場」でもある以上、自分がなすべきことを、要求された以上のクオリティでやっている限り、という条件が付くけれど。

 

「家族」がみんな一人一人かけがえのない存在であるように、ネクスト法律事務所でも、弁護士とそれ以外のメンバーの間に上下関係や仕事の貴賤はない。弁護士がいないと仕事が回らないのと全く同じように、秘書ちゃんがいなくても、アルバイトさんがいなくても、やっぱり仕事は回らない。0.1㎜も。

秘書ちゃんやアルバイトさんがしてくれている仕事を、私は何一つ満足にできない。私が訴状や準備書面に全エネルギーを注げるのは、秘書ちゃんたちがそれ以外の仕事を私以上に完璧にこなしてくれているからだ。

だから。

私に限らず他のメンバーも、自分の仕事に誇りを持っているはずだ。自分以外のメンバーに心を閉ざすことはないし、相手の仕事を、相手の存在を、リスペクトしているはずだ。たとえ彼女にどんな欠点があっても、私が仕事でとんでもないミスを犯したとしても。

 

他の法律事務所がどうかは知らない。興味もない。

ただ、私は13年前、こういう事務所を作りたかった。

私を含むメンバーの「職場」であり「家」でもあり「居場所」である場所。

秘書ちゃんはそこで、13年間、私を支え続けてくれた。

13年間毎日、藤沢から四谷三丁目まで通い、13年間毎日、私のわがままや愚痴に付き合い、13年間毎日、私の暴走やミスを諌(いさ)めてくれた。

東北で大きな地震が起こった時も、私の父が逝った時も、妹が逝った時も、新型コロナで世界中が引きこもりになったときも、裁判に勝った時も負けた時も、いつも秘書ちゃんはネクスト法律事務所にいた。

秘書ちゃんがいてくれたからこそ、私は平日に能天気にゴルフに出かけ、深酒をして二日酔いで出勤し、オートバイで西日本各地を放浪できた。

そして、必ず、秘書ちゃんのいる事務所に戻ってきた。

しかし秘書ちゃんはどうだったんだろう?

秘書ちゃんが私の愚痴に付き合い、弱音を聞いてくれたのと同じくらい、私は彼女の愚痴に付き合い、弱音を聞けていたか?

彼女が抱えている悩みを、せめて一つでも受け止めて一緒に歩こうとしたか?

彼女は言わないけれど、事務所を辞めるのはそういう至らない私に嫌気がさしたからではないか?
あるいは我儘(わがまま)で気分屋で短気でガサツな私に愛想が尽きたからではないか?
 
もしそうだとしたら?
 
うん。もしそうだとしても、それでも私の秘書ちゃんへの気持ちは0.01㎜も変わらない。

13年の歳月の中で、秘書ちゃんが語ってくれたこと。したこと。してくれたこと。そしていつも私に勇気をくれたあの笑顔を、私はこの先、何一つ忘れない。

 

弁護士を辞めるとき、あるいはこの世を去るとき、私はきっと秘書ちゃんのことを、秘書ちゃんと過ごせた13年間を思い出すだろう。

私が大昔、好きだった人がこう言ってくれた。

「喪失感を感じるくらい信頼できる人と仕事をできたのは幸せなことだよ」

そう。

私が弁護士になって手にした最大で最高の報酬は、秘書ちゃんと過ごせた13年間だ。

だから百万遍言っても足りない。

あなたは最高のパートナーだった。

ありがとう。

ネクスト法律事務所はあなたのもうひとつの「家」だ。疲れたり辛くなったりしたときは、いつでも「ただいま」と帰ってきていい家だ。

あなたがいつでも愚痴や弱音を言いに来れるように、俺はもう少しだけこの家にいるよ。

 

PS:井伏鱒二が訳したように、人生は「サヨナラ」だけかもしれないけれど、秘書ちゃんと歩いた13年間を無駄にしないために、私はもう少しだけ歩き続けます。

秘書ちゃんの後任を募集してます。

興味のある方、hiraiwa@nextlaw.jpにご連絡頂ければ個別に勤務条件等をお知らせします。


「壁の向こうの友人」本番直前

2020-08-20 11:18:48 | 弁護士のお仕事

このブログに何回か登場した戯曲家・演出家の高橋いさをさん(以下「いさをさん」)に頼まれて、とある舞台の法律監修と名古屋弁指導をさせて頂いている。

その作品の名前が「壁の向こうの友人」だ。

「名古屋保険金殺人事件」という1979年から1983年にかけて実際に発生した事件を題材に、被害者の兄と死刑囚となった加害者の交流を描いた短編。

被害者の兄は板垣雄亮さん、死刑囚を若松力さん、面会に立ち会う刑務官を林田航平さんが、それぞれ演じられる。

3人の役者さんは私がかつて小劇場界の端っこでお仕事をさせて頂いていた頃からお付き合いさせて頂いている上谷忠さんが代表を務めるJ.CLIP(https://www.j-clip.co.jp/company/)所属の役者さんで、上演する劇場は新宿御苑前にあるサンモールスタジオ(http://www.sun-mallstudio.com/theatres.htm)。

劇場主兼今回の公演のプロデューサーはこれまた私がずっとお付き合いさせて頂いている佐山泰三さん。

敬愛するいさをさんの作品で、旧知の上谷さんとこの役者さんが出て、プロデューサーは佐山さん、という以上、法律監修も名古屋弁指導もボランティアだ。

ボランティアついでに今回は、当日劇場配布のパンフレットにネクスト法律事務所の広告まで出した。

(パンフレットの現物を持参された方の法律相談料は初回無料にでもしてあげようかとまで思ったりしている。)

↑あんまり大きい声では言いたくないので、小さい声で告知しとく。

 

ここまで私が肩入れしているのは、いさをさんの才能を尊敬して、愛しているからでもあるけれど、なにより、自粛警察野郎、マスク警察野郎が横行して、世の中全体が委縮してしまっている中、それでも必死に舞台の灯をともし続けようとしている演劇関係者を純粋に応援したいからだ。

頑張っている奴がいたら、理屈抜きでエールを送りたくならないか?

野球でも、サッカーでも、箱根駅伝でも、受験生でも、仕事を取るために何度も何度も見積書を書き直している営業マンに対しても。

それは多分、僕らが生まれながらに持っている「生き物としての共感本能」なのだと思う。

 

ただ、そういう理屈を超えて、今回の作品はいさをさんの数ある作品の中でも上位に据えられるような秀作だと(個人的に)思っている。

なので、名古屋弁指導を気軽に引き受けた後で、早々に後悔し、途中からはもう、逃げ出したくなった。

私の下手糞な名古屋弁指導のせいで役者さんを混乱させ、作品のクオリティを落したら、私は誰に謝ればいいのか? 

てか、そもそも謝って済むような問題か?

 

よし、逃げよう。

とりあえず、苗場だな。

こういうときこそ、100万円で買って10万円まで値崩れした苗場に役に立ってもらわんと。

などと日々思いつつ、いつのまにかもう、来週26日は本番初日。

「壁の向こうの友人」は正確には「サンモールスタジオ プロデュース Crime 2nd~贖罪編~」と銘打ったプロデュース公演の中の三作品のうちの一つとして上演される(残りの2作品は「共謀者たち」by singing dogと「僕が数学を好きになった理由」by Tha Stone Age ブライアント)。

新型コロナ感染対策で客席を半分以下にまで間引いたかわりに、28日(金)のソワレ(夜の部)はリアルタイム・オンライン配信でも観られるそうである。オンライン配信の料金は2000円。

リアルタイムである28日以降も1週間程度ならいつでも視聴可能だそうだ。

新型コロナの感染に脅えることなく自宅で冷えたビール片手に三作品観れて2000円。

はっきり言って安いと思う。

オンライン配信は日本中どこでもスマホ1台あれば受信可能なので、東京の公演ではあるけれど、名古屋在住の私の友人たちもリアルタイムで、(平岩が方言指導をした)名古屋弁の舞台を、家でパンツ一丁で冷えたビール片手に枝豆食いながら、観られる。

薄暗く、狭く、汚い小劇場の桟敷(さじき)席にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれ、汗だくで芝居を観ていた世代としては、まさに隔世の感だ。

稽古初日の役者さんたちの(不自然な、大阪弁だか東北弁だか、もう何がなんだか分からない)名古屋弁(?)を聞いたときには正直、そのまま苗場に逃げ出したくなったが、先日の通し稽古では「ほぼ」完璧な域にまで名古屋弁が仕上がってきた。

つくづく、役者というのは凄い人たちなのだと思う。

 

名古屋在住の皆様、名古屋出身で東京にお住いの皆様。

是非是非、劇場で、あるいはオンライン配信で舞台をご覧いただき、ご意見・ご批判いただければ幸です。

なお、万一、役者さんたちの名古屋弁に違和感があったとしても、それは彼らの責任ではない。

万一、場面に法的な不自然さがあったとしても、それはいさをさんの責任ではない。

この舞台における名古屋弁と法的問題に関する全責任は監修を申し出た私にある。

少しでも自然な名古屋弁に。

少しでも法的な不自然さのない舞台に。

そのために稽古場ではしつこいくらいに役者さんたちにダメ出しをしてきた。

おそらく鬱陶しい方言指導であったろうと思う。不愉快な思いをされた役者さんもいたかもしれぬ。

この場を借りて役者さんたちにはお詫び申し上げるとともに、私の拙(つたな)い方言指導と法律監修のせいでせっかくの名作に傷がついていないことを切に祈るのみである。



 

 


告知

2019-03-31 09:15:00 | 弁護士のお仕事

何年か前に私が法律監修した舞台が再演されます。

元宝塚の月影瞳さんや、鳳恵弥さんの出演です。

私は昨日、通し稽古を覗いてきましたが、なかなかいい出来になってました。

私もどこかで本番、観に行く予定です。

私経由なら関係者割引でチケット買えるらしいので興味ある方はご連絡くださいな。

久しぶりの方は舞台終わった後で飲むのもOK

来週はけっこう暇なので(笑)

以下、概要です。

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ISAO BOOKSTORE× オメガ東京提携公演

「母の法廷」作・演出:高橋いさを

日時201942日(火)~7日(日)

2日(火)19:003

(水)19:004

(木)19:005

(金)19:006

(土)13:00/18:007

(日)13:00

開場は開演の30分前

場所オメガ東京(JR線「荻窪駅」西口より徒歩8分)〒167-0043東京都杉並区上荻2-4-12 B1FTEL: 03-6913-9072 

料金¥4000(前売り・当日とも)

出演中村まり子鳳恵弥月影瞳永池南津子 

内容殺人未遂事件を起こした若い男をめぐる検察官、弁護人、裁判員、被告人の母親による女たちだけの裁判劇。ISAWO BOOKSTOREの第二弾!「それでも、わたしはあなたの母親です」

スタッフ

美術:仁平祐也

照明:長澤宏朗

音響:丸山慶将(predawn

舞台監督:福島聡

ヘアメイク:本橋英子

演出助手:杉山剛志

制作:ファイナルバロック

プロデューサー/宇津井武紀

制作協力:オメガ東京

協力:キョードーファクトリー/エムカンパニーパニック・シアター/しぃぼるとぷろだくしょん/愛企画/MARCH


巧詐不如拙誠(修習生諸君へ)

2019-03-02 12:33:24 | 弁護士のお仕事

正月明けから先月まで、久しぶりに司法修習生を事務所にお預かりしていた。

H君という。

人柄もよく、起案の出来も非常によかった。

弁護修習は2ヶ月なので、あっという間にH君は次の修習(刑事裁判修習)に行ってしまった。

うぉぉぉぉ、寂しいぞ。

 

さて、H君だけでなく、この2カ月、何人かの司法修習生と話す機会があった。

彼らに語った話の中で、ちょっと、形に残しておいた方がいいかな、と思った話をこのブログにもアップしておこうと思う。

就職とか、仕事とか、人生に悩んだら読み返されたい。いや、別に司法修習生じゃなくても読み返していいんだけれども。

 

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この2ヶ月の間に、何人かの修習生から今後の進路、具体的には「就職」についてご相談を受ける機会があった。

そのたびに同じ話をした。

何人かの修習生は、まだ就職希望先の事務所から内定を貰えず、あるいは、内定を貰った事務所が本当に自分が進むべき事務所としてふさわしいのか、悩んでいる。

私も司法試験に合格したのは少し齢(よわい)を経てからだったので(確か35歳だか36歳)、150kgくらいのヘビーな不安を抱えて就職活動をしていた。

最終的には、「即独」(※司法研修所を卒業して、どこかの弁護士事務所に所属して修行することなくいきなり独立して事務所を開くこと。「即、独立」の略。)まで考えた。

いきなり独立して、あるいはノキ弁(※どこかの弁護士事務所に所属はするけれど、給料は貰えず、机だけ置かせてもらって修行をすること。「事務所の軒だけ借りている弁護士」の略。)としてどこかの事務所にもぐりこんだとしても、実際に自分のクライアントを開拓して弁護士として食っていけるのか、ということになると、そりゃあもう、1tくらいの不安で押し潰されそうだった。

司法修習が終わる翌年(平成15年)2月には長男も生まれる予定で、「こんな状態で嫁さんと子供を食わせていけんのか、俺?」と考えると、いっきに不安も5割増しだ。

1年目の年俸が1000万だ」とか「うちの事務所は1200万だよ」という若い同期の修習生の自慢話(もちろん彼らは自慢する気などなく、ただただ浮かれていただけなのだが)が耳に突き刺さった。痛いってばよ!(←NARUTO風に)

そんな私も、結局、なんとかとある法律事務所にもぐりこんで、今は曲がりなりにも自分で法律事務所を経営している(日々の事務所経営はヒーヒーだが)。

 

私は司法研修所55期生なので、弁護士になって今年で17年になる。

そういう自分の経験から「まだ就職希望先の事務所から内定を貰えず、あるいは、内定をもらっている事務所が本当に自分が進むべき事務所としてふさわしいのか悩んでいる修習生たち」に敢えて言う。

どんなに就職先に悩んでいても、お金とか目先の生活費云々という取るに足りない(失礼!)事情で事務所を決めるべきではない。

君のプライドとか魂を、目先のお金や安定で売るべきではない。

プライドとか魂の売買契約には買戻特約も再売買の予約もつけられない。

目先のお金や安定と引き換えに売り払ったプライドや魂は二度と取り戻せない。

それが君にとってどんなに重大な損失かは、それを失くしたときに初めて分かるけれど、分かってからでは遅い。

大切なのは、「今、君が何をやりたいか」だけだ。

それが3年後には変わっていてもいい。むしろ、変わっているのが当たり前。

ただ、「今やりたいこと」に嘘はつかないことだ。

「自分がやりたいこと」に嘘は絶対につかない。手を抜かない。全力でやる。余力を残さない。

そうすれば、「次のやりたいこと」が出てきたときに、必ずひとつ上のステージに行ける。君を助けてくれる人が出てくる。

たとえ今はそれが誰だか分からなくても、必ずそういう人がいる。

私自身がそうだったからだ。

 

私が司法研修所を卒業した17年前は、弁護士の広告が解禁され、いくつかの弁護士事務所が派手な広告を打ち始めた時代だった。

「過払い金バブル」と揶揄されるほどに、いくつかの事務所は羽振りが良く、大量の修習生を高額な初任給で採用していた。

いっぽう私はといえば、本気で「即独」を考えていたくらいなので、どうやったら顧客開拓ができるのか、そればかりを考えていた。

「やっぱり俺がテレビCMに出るしかないのか。

とりあえず、電通のディレクターに電話するか?」

(↑うそ)。

 

そんな私(を含む5510組)に当時の司法研修所の民事弁護教官(平成31年3月2日現在の第一東京弁護士会会長。以下、「W先生」)がこう言った。

「弁護士の広告が解禁されて多くの事務所が派手な広告を打っているが、弁護士にとって最高の広告というのは、私は『目の前の依頼者の事件に精一杯、全力で、誠意をもって取り組む』ことに尽きると思っている。

これに勝る弁護士の広告はないのだ。

一生懸命仕事をしなさい。そうすれば、必ずその中の何人かはあなたのことを覚えていてくれて、あなたに次のクライアントを紹介してくれる。

そうやって増えたクライアントこそがあなたの財産になるのだ。

広告を打って投網漁のようにお客を集めれば、確かに大きな売り上げになるかもしれない。

しかし、510年経ったときに弁護士としてのあなたの財産として残るのは、結局、宣伝広告費で使ったお金の量ではなく、

あなたが依頼者のためにかいた汗と依頼者のために流した涙の量なのだ。

 

最初に入った事務所のボスと喧嘩してたった2ヶ月半で事務所を代わったり、たいして顧問先もないのに勢いにまかせて独立しちゃったりして、日々、不安で押し潰されそうになりながらも(このあたりの話はこのブログの「二葉鮨」に書いた。)、それでも何とか今日まで来れたのは、あの時のW先生の言葉があったからだ。

それは、たぶん、どんなに時代が変わっても、弁護士の真理の一つである。

私はW先生から「弁護士の真理」を教えられてしまった。

教えられてしまった以上、私にはそれを次の世代に伝える義務がある。

私が司法修習生を受け入れたり、弁護士会で司法修習の仕事を引き受けたりしてきたのは、つまるところ、あのW先生の言葉を司法修習生に伝えるためだ。

そして、つくづく、「あの時、(最初の)ボスに言われるままに自分の魂とプライドを売らなくてよかった」とも思っている。 

 

司法修習生諸君。

人生は必ず何とかなる。どうにもならないことは、どうにでもなっていいことだ。

悩んでいる暇があったら一生懸命勉強した方がいい。

あと、たった10ヶ月ではないか。

司法修習が終わったとき。二回試験が終わったとき。余力を残して酒を飲むような、薄らみっともない修習生活だけは送るな。

あの弁護士教官の言葉を、韓非子はわずか六文字で言い切った。それがこの記事のタイトルである。

偕楽園の茶室の待合にこの言葉が飾ってある(おそらく今も)。

意味? それくらい自分で調べんかい!


値切るな!

2019-01-29 14:57:24 | 弁護士のお仕事

最近でこそ減ったが、以前は弁護士の費用(着手金とか成功報酬とか法律相談料とか)を値切ってくる人(そういう人を私は「客」とか「相談者」とは呼ばない。)がチラホラいた。

「最近でこそ減った」のは、私は値切ったり値切られたりするのが大嫌いなので、そのテの人には優しく、時に厳しく、

「もう、二度と来ないでくださいねっ」

とお伝えし続けてきたからである。

昨年末、久しぶりにそういう人が来た。ある知人の紹介で法律相談にやって来たご夫婦は、私の回答がお気に召さなかったらしく、

「こんなとこにいても時間と金の無駄だ。金がもったいない。」

と叫びだした。

面倒くさいので相談料は頂かずお引き取り願って、出入り禁止にさせて頂いた(お願いだからもう二度と来ないでくださいね。)。

 

リフォーム工事とかの会社だとそのテの人(とにかく値切る人)が多いと思う。

築18年の我が家も現在、浴室のリフォームを考えはじめて、いくつのかのリフォーム会社さんに見積もりをお願いしている。

私は基本的に担当者個人とその会社を信頼して見積もりを出してもらっているつもりなので、出てきた見積もりを「値切る」ということはない。

せいぜい、

「別の製品だとメーカー希望小売価格からの値引き率が高かったけど、この製品だと値引き率が低いのは何故ですか?同じ程度の値引き率にはならないのですか?」

と疑問点を伝えるくらいである。

たいていは、担当者から、

「この製品は新製品なのでどうしても人気が高く、希望小売価格以下では仕入れができないからです。」

とか

「前の製品は別案件でキャンセルが出て倉庫に残ってしまっていたものなんです。会社としても今回、平岩さんに使ってもらえるなら保管料が浮いて助かるんです。」

とか、「なるほど」という説明が返ってくる。

「なるほど」と思ったらそれで終わりだ。

 

企業が適正な利益を含んだ見積金額を出してくるのは当然である。

だから私はいつも、提示された見積金額は「その会社から提示してもらえる適正な金額だ」と信じている。

その「適正な金額」を私が払えるかどうかは単に私の懐具合の問題であって、その会社や担当者の責任ではない。


担当者がフェアなルールと考え方で見積書を出してくれた以上、例えば、「担当者の上司と交渉すると見積金額が更に下がる」というのはおかしいと思う。

それではその会社にとっての「正しい値段、適正な値段」とはいったい何だったのか、ということになるだろう。

東南アジアのバッタ物の屋台の店主と値段交渉をしているんじゃあるまいし。 


私が信頼している担当者が見積書を出してくれた以上、その担当者が「これが当社としての適正な見積額です」と言うのであればそれでいいのだ。

仮にその担当者が必要以上の利益を見積額に計上していたり、ボッタくっていたりしたとしても、出された見積金額に私が納得すればお金を払えばいいし、納得しなければその会社とは以後、付き合いを断てばいいだけの話である。

 

別に自慢するようなことでもないが、私は飲み屋やエ〇チな店でも出された請求書を値切ったことは一度もない。

20代の頃、歌舞伎町でビール2本と水割り1杯とカラオケ1曲歌って38万6000円請求されたことがあるが、必死でバイトを増やしてなんとか払いきった。

腹は立たない。

そういう店があることは馬鹿でも知っているし、そういう店に入った私が甘かったというだけの話である。

(弁護士としては失格だが)身銭を切って遊ぶ、というのはそういうことだと思う。

但し、金額の多寡に関わらず、受けたサービスや受け取ったモノが払った金額と釣り合いが取れていない(金額の方が高い)、と思ったら二度とその店には行かないし、その会社のものは買わない。

 

話が少し脱線したけれど、例えば、担当者の上司と交渉して見積額が安くなったとしたら、私の担当者に対する信頼は何だったのかという話になってしまう。極端に言えば、これまで一生懸命やってくれた担当者の存在を否定することに等しい。だったら最初からその会社の社長と話をすればいいだろう、ということになる。

ほとんどの客は、「担当社員の見積もり」→「値切り交渉」→「上司の再見積もり」→「値切り交渉」→「もっと上の役職者の最終決済」という交渉をしていると思うが、

「それで当初の見積額より大幅に値段が下がったとしたら、当初の見積もりっていったい何だったんだ?」

とは思わないのだろうか?

私なら、

「そういう見積もりを出してきた担当者を信じて仕事を依頼することはできない」 

と思う。

それは、

「あなたは文句を言わないウスラバカに見えたので、いくらでもふんだくっていいと思っていました。」

と告白されたようなものだ。

そんな担当者と仕事などできるわけがなかろう。

 

依頼する側もされる側も、売る側も買う側も、取引を通じて最大限の利益を得ようとするのは当然である。

但し、「フェアにやる」という前提でだ。

だから私は複数の会社から相見積もりを取るときも、他社の見積金額を別の会社に見せたりはしないし、他の会社の見積金額をベースに値切り交渉などもしない。絶対に、だ。

そういうことは品がないと思っている。

ゲスなやり方で10万や20万の金を得したところで何か意味があるのか、

とも思っている。

 

弁護士費用を値切る人に言いたい。

私が弁護士費用を提示して、あなたがそれを値切って、私が「いいですよ」と値引きに応じたとしたら、私が最初にあなたに提示した金額はいい加減な、水増しされた金額だった、ということになる。

値切られるのを前提に最初から高めの金額をあなたに提示していた、ということになる。

そんな弁護士にあなたの人生の一大事を依頼したいですか?