7月7日に無事、摂ちゃんの四十九日法要を終えた。
来年の一周忌、再来年の三回忌と法事は続くが、とにかくこれでひと段落。
ひと段落したので、摂ちゃんがずっとお世話になっていた施設(昭徳会小原寮@愛知県豊田市)に、記念というかお礼の品を届けに行ってきた。
摂ちゃんはよく、施設内のベンチに座ってぼーっと遠くを見ていることが多かったとスタッフさんから聞いた。
遠くを見ながら、摂ちゃんは何を考えていたんだろ。
どうして自分は大好きなお父さんと暮らせないのか。
どうして自分はお母さんから冷たくされるのか。
どうしてお兄ちゃんは毎日会いに来てくれないのか。
どうして自分は思っていることを他の人みたいにうまく伝えられないのか。
どうして自分はここにいるのか。
自分は、どこから来て、どこへ行くのか。
じっと座っている摂ちゃんの顔はいつも寂しそうだった。
どうして、どうして、どうして。
答えの出ない問いを心の中で繰り返しながら、摂ちゃんは小原寮(前身は愛知県三好市にあった三好学園)で大人になって、そして一生を終えた。
だからという訳ではないけれど、「確かにこの場所に摂ちゃんはいたんだよ」ということをちゃんと残しておきたくて、小原寮に届けた記念の品は「摂ちゃんのいす」(というかベンチ)である。
背もたれのプレートは私のアイディアを聞いたMファクトリーのNさんがデザインしてくれた。
(Nさん、素敵なプレートをありがとうございました。小原寮のスタッフさんにも大好評でした。)
小原寮の入所者の方や家族の方、スタッフの方が、白いベンチに座ってくつろぐたびに、摂ちゃんのことを思い出してくれればいいなぁ、と思う。
摂ちゃんは知的障害を負って、ガンになって、きっと寂しい思いもいっぱいして、俺に満足な妹孝行の時間も与えてくれずに、みんなの記憶に笑顔だけ残して、さっさと親父のもとに逝ってしまった。
でもそれはきっと、お金をたくさん稼ぐとか、仕事で出世するとか、歴史に名を残すとかより、遥かに天使に近い一生だったんだと思う。
だから大丈夫だろう。
今度生まれ変わったら、摂ちゃんはもっと別の、もっともっと幸せな人生を送れるだろう。
そうに決まってるので、「摂ちゃんのいす」を小原寮に届けた帰り道、きっと摂ちゃんも見ていた山間(やまあい)の風景を見ながら、私は安心して、寂しくなって、車の中で声をあげて泣き続けた。
摂ちゃん、天国でちゃんと親父に会えたか?