「当番弁護士」という制度がある。
警察に捕まった人が、
「弁護士の話を聞きたい!」
と申し出ると、警察や裁判所経由で弁護士会に出動要請が来る。で、その日の「当番」担当の弁護士が(たいていは警察の留置場に)面会に行く。初回に限り無料。
私がまだ駆け出し弁護士だった10年以上前のこと。3月だったと思う。
その日は私の「当番」担当日。事務所でボスに怒鳴られながら仕事をしていた私。
その日はちょっと肌寒く、あいにく風邪気味で、労働基準法なんぞどこ吹く風とこき使われていたため慢性のオーバーワーク気味だった私。そんな私が、
「今日はこのまま出動要請こないといいなぁ」
と思っていたとしても、誰がそれを責められよう。いや、責めてもらっていいけどさ。
まぁ、早い話、さくさくっと仕事終わらせて飲みに行きたかったわけである。はい。私、弁護士の風上にも風下にも置けないクズですが、それが何か?
ところが神様はそんな怠惰な私に罰を・・・じゃなかった、試練を・・・・じゃない、仕事をちゃんとくださいましたのだ。ああ、ありがたい。
弁護士会から出動要請のFAX。
「韓国人。窃盗。通訳必要。●●警察署」
うわ。いきなり外国人事件だし。(←初体験)
最近流行の韓国人窃盗グループの一員かもしれぬ。(←怖い)
おまけに日本語NGとか・・・
どんだけ試練だ!
数時間後。
弁護士会から紹介してもらった通訳さんに連絡取り、●●警察署の前で待ち合わせて、一緒に警察の接見室に。
「あぁ、めちゃ怖いヤツが入ってきたらどうしよう・・・」
と待つこと数分。
接見室に入ってきたのはとんでもない優男。どことなくヨン様(←古っ!)に似ていなくもない好青年。
ありゃ? なんかイメージ違うし。
「すげぇイイヤツっぽいじゃん(見た目は)」
「どうみても【韓国人凶悪窃盗団の一員】って感じぢゃないぞ(見た目は)」
「さりげなく俺よりイケメンなのもちょっと悔しい(見た目で)」
(通訳さんを介して)自己紹介して、
(通訳さんを介して)当番弁護士制度について説明して、
(通訳さんを介して)「今日は春なのに寒いよね」とか言ってみたりして、
そして
(通訳さんを介して)事件の詳しい事情を聞いてみた。
(通訳さんを介して・・・以下、略)彼から聞いた話は以下のとおりである。
彼(仮に「K君」という。)は、その年の1月、東京の某日本語学校に入学するために韓国からやって来た。日本語学校の新学期は4月からだが、1月から3月までは「プレ・スクール」みたいな感じで勉強するのだそうだ。
で、3月に行われる試験の成績次第で4月からの本科生クラスのレベルが決まる。できのいい人は上級クラスに、まぁまぁなヤツは中級クラスに、ということですな。
K君の実家(韓国)はいわゆる中流家庭。
ただ息子をホイホイと日本に留学させてやれるほどの蓄えや収入はない。
ご両親は親戚や近所の人からK君の渡航費用と日本語学校の前期分授業料を借りてK君を日本に送り出してくれたという。
なんで「渡航費用」と「前期分の授業料」だけかというと、(当時の)韓国には「日本への留学生を集めるブローカー」みたいな商売があったそうで、そのブローカーが留学希望者向けの説明会で、
「日本は黄金の国。簡単なバイトでも韓国のサラリーマン並みの収入はすぐ稼げる。アルバイトをすれば日本語学校の授業料も、生活費も捻出できる。祖国の両親に経済的な負担はかからない」
と説明していたからだ。
大嘘。
そもそも法律上、「留学生」として認められるのは新学期が始まる4月からで、1月から3月までは「留学生」でもない上に、就労は違法。
結局、K君は日本に来た途端に日々の生活費にも事欠く状態に陥った。
それでも両親が借金までして送り出してくれた夢にまで見た日本留学である。その借金の額だって、当時の円/ウォンのレートからすれば、韓国の人にとっては目の飛び出るような金額。
「いやぁ~、まいっちゃった。話が違ったよ~。」
とスゴスゴと帰国しないあたり、韓国人の骨っぽさだと思う。しびれるな。
お金がないK君は日本語学校で知り合った韓国人の友人とルームシェアして暮らしていた。
東京都下。中央線某駅から徒歩20分の2DKのアパート。
K君含めて3人は、そのアパートをとんでもなく高い家賃で借りていた。
外国人(しかも、アメリカとかEUとかじゃなくて韓国人)だから貸主に足下見られまくってる。
「この金額で文句あるなら借りなきゃいいだろ。」
ってことだ。
真面目に日本語学校に通って勉強していたK君だが、所持金は日々減っていく。
しかし祖国の両親に
「もう少しお金を送ってくれ。」
とは口が裂けても言えぬ。かといって4月に学校に納める前期分授業料(36万円)には死んでも手をつけられぬ。
ここに在日韓国人の某社長が登場。
八方塞がりになったK君に声をかけた。
「チラシ配りのバイトをやらないか? これなら法律違反じゃないぞ。」
これも大嘘。
レッキとした違法就労でありバレたら国外退去もんだ。
しかし、K君はすがるような思いでこの話に飛びついた。日本語学校の授業が終わった後、黙々とチラシを配った。
エッチなチラシではない。
「●●新聞を購読しませんか?」
みたいな真面目なチラシ。バイト料は1枚配って5銭。
そういうお金の単位が報酬の基準として存在していたこと自体オドロキであるが、結局、K君はここでもボッたくられてるのだ。
今度は日本人のクソ大家じゃなく同胞のゲス社長に。
そんなある日、チラシを配っていたK君は小さな事件を起こした。
K君はいつものように日本語学校が終わった後、とあるマンションの1階の集合ポストにチラシを投函していた。1枚5銭で。
マンションの集合ポストに投函するのは、戸建ての家を一軒一軒回るより効率的だから。
チラシを投函していたK君は誰かが置き忘れていったらしいスポーツバッグを見つけた。スポーツバッグのチャックは開いていた。中を覗くと財布が入っていた。
「頭の中が真っ白になって、心臓がドキドキして、いけない、いけないと思ってるのに手がフラフラッと出てしまった」
とK君は泣きながら私に話した。
財布を掴んでK君は逃げ出した。財布についていた鈴が揺れて、「チリンチリン」と音を立てた。
スポーツバッグ(と財布)は、マンションに掃除のバイトにやって来ていたおばあさんのものだった。おばあさんは2階の廊下を掃除していた。
運が悪い(?)ことに、おばあさんは足腰も達者で耳もよかった。
鈴の音を聞いて、おばあさんは驚いて階段を駆け下りてきた。道路に飛び出して逃げて行くK君の後ろ姿が見えた。K君は財布を盗んだマンションからわずか30m先の路上でおばあさんに追いつかれ、腕を捕まれた。
「あんた、それ、私の財布じゃない。あんたのやってること、泥棒じゃない!」
怒るおばあさん。
そりゃ怒るわな。
K君はまだ日本語が満足に話せなかった。
おばあさんが何を言っているのかも正確には理解できなかったが、おばあさんが怒っていること、自分の盗んだ財布がおばあさんものであることは理解できた。
K君はその場でおばあさんに財布を返すと、アスファルトの道路の上に土下座して許しを請うた。韓国語で。何度も何度も。春先のまだ冷たいアスファルトに額をこすりつけて。
おばあさんには韓国語は理解できない。
おばあさんは恐ろしくなった。
「外国人だ。きっと中国人か韓国人だ。最近、中国人や韓国人がグループを組んで窃盗や強盗をしていると聞いたことがある。近くに仲間がいるかもしれない。どうしよう、どうしよう。怖い・・・」
当番弁護の出動依頼FAXを受け取った時の私と同じ。無知と差別と偏見。
弁護士である私は自らの無知と差別と偏見を糾弾されても文句は言えないが、誰がこのおばあさんを非難できよう。
K君は土下座しながら泣いた。
泣きながらおばあさんを拝んで、土下座したまま許しを請い続けた。
けれど、恐怖でパニックになっていたおばあさんは集まってきた野次馬に向かって叫んだ。
「早く警察を呼んで!」
K君は到着した警察官に窃盗の現行犯で逮捕された。
そしてそのまま留置場。
丸2日経って身柄拘束が「勾留」に切り替わったとき、勾留質問を担当した裁判官がK君に当番弁護制度を教えてくれた。
異国で罪を犯して、満足に会話もできず、誰も助けてくれない。
心細くて怖くて。
祖国の両親が懐かしくて、祖国の両親に申し訳なくて。
どうしたらいいのか、これからどうなるのか。
藁にもすがる思いでK君は
「弁護士に会いたいです。」
と申し出た。
その日の当番の藁が私だった。
財布は、おばあさんの手に戻っていた。中に入っていたのは2000円。
被害は一瞬。距離にして30m。被害額は2000円。
K君のやったことは確かに犯罪である。
刑法第235条。
「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」
でも、K君が韓国人ではなく日本人だったら?
あるいは日本語がちゃんと話せて、ちゃんと謝罪の言葉をおばあさんに伝えられたら?
K君のしたことは2日間も留置場にブチ込まれるような罪なのか?
検察官に勾留請求されて更に10日間、場合によっては20日間、身柄を拘束されるほどの罪なのか?
おばあさんに怒られて、お巡りさんに頭叩かれて、
「ばかやろ! もう絶対するなよ!」
でいい事件ではなかったか?
ここまで聞き出すのに、たっぷり3時間。疲労困憊の私と通訳さん(とK君)。
とにかく、ルームメイトも心配してるだろうし、ガサ入れがまだなら警察より先に彼の部屋に置いてあるはずの学費やパスポートなんかは確保しておきたい。警察より先に学費やパスポートを私が押さえたところで、何が有利になるわけでもないんだろうが、駆け出し弁護士で刑事弁護の要諦もよく分かっていなかった私は、
「とにかく警察より一つでも二つでも情報を多く持たなきゃ勝負にならない。ご両親が必死に集めてK君に持たせてくれた学費を守んなきゃなんない」
と思ってた。その時は。
今から考えると、ほとんど意味は無いのだが。
K君に
「ご両親が持たせてくれた学費やパスポートはどこにしまってあるの? ルームメイトにも説明しに行ってあげる。」
と伝えてみた。もちろん通訳さんを通じて。
・・・返事なし。
以後、K君と通訳さんの会話が延々続く。
韓国語は「アニハセヨ」以外知らない私。二人が何を話してるのかさっぱり分からず、手持ちぶさたなことこの上なし。
なんだか仲間外れにされてるみたいで寂しいぞ。もう帰っちゃおかな。
と、思い始めていたところで、ようやく通訳さんとK君の話が終わった。
通訳さんの説明。
「K君は当番弁護で先生に面会に来てもらったけど、初対面の弁護士にすべてを話していいのか悩んでます。恥ずかしい話だけれど、韓国では警察の手先になったり、被疑者の財産を勝手に持っていってしまったりする弁護士もいます。K君はそれを心配している。私が、『この先生はそんな人じゃない。日本の弁護士は被疑者を絶対に裏切らない。』と繰り返し説明したらようやくK君も分かってくれた。パスポートと学費は彼のベッドの枕カバーの中に隠してあるそうです。」
いやいや、通訳さん。日本人の弁護士だってどーしよーもない輩はいっぱいいます。まぁ、藁の私がその輩の一人かどうかは議論のあるところでしょーが。
通訳さんと警察署を出て、私の車でK君(とルームメイト)のアパートに向かった。警察署からアパートまで1時間半くらいだったか。
アパートに着いて玄関のチャイムを鳴らすと、『不安!』と書いた紙を顔に貼り付けたような韓国人の青年が2人、出てきた。
・・・・・お前ら、わかりやすっ!
通訳さんが彼らに事件の概要を説明してくれて、私が(通訳さんを介して)
「K君も魔が差しただけだと思う。そんなたいした事件じゃないから。きっとすぐに釈放してもらえるから。」
と伝えると、二人は堰を切ったように。
「彼はそんな悪いことする人間じゃない。」
「いつも一番に学校に行って、夜も遅くまで部屋で日本語の勉強をしていた。」
「何かの間違いじゃないか?」
「僕たちも面会に行きたい。僕らにはKを励ますことくらいしかできない。他に何かしてあげられることはないか?」
トモダチっていいな。
ルームメイト2人に立会人になって貰って、K君のベッドの枕カバーの中を探ると、そこには真新しいパスポートと、くしゃくしゃの茶封筒に入った36万円が。
ルームメイトたちに金額を確認してもらい、その場で「預かり証」を書いて、私と通訳さんとルームメイト2人にも署名してもらって取りあえず目的達成。
その後は、K君が日本に来てからどれだけ悔しくて、辛くて、大変な思いをしていたか、日本語を勉強して、祖国に帰ってどんな仕事をしようとしているのか。ルームメイトからいろんな話を聞いて(というより、聞かされて。だって帰してくれないんだもん。)、ようやく帰途についたのは日付も変わりかけた深夜であった。
あまりに申し訳ないので私の車で通訳さんをご自宅まで送ることにして、途中のロイヤルホストで通訳さんと二人で(かなり遅めの)夕食を取った。
今は制度が変わったけれど、当時は当番弁護で接見に行った際に通訳さんをお願いしたら、その通訳料は弁護士が一時的に立て替えてお支払いすることになっていた。後日、弁護士会から当番弁護の接見手数料(1万円)と立て替えた通訳料が入金されるのである。
その日はかなりの長時間、通訳さんに一緒に動いてもらっていたので、立て替える通訳料もかなりの金額に・・・。よく覚えていないが12万円くらいだったのではないかと思う。
駆け出し弁護士の財布にそんな大金が入っているハズもなく、深夜も開いているクレジットカード会社のATMを探して、現金を借りた。
ロイヤルホストでカレーライスを食べながら通訳さんに、
「こんなに遅くまでお付き合いしていただいてホントに申し訳ありません。」
と謝って、ATMで借りてきた通訳料を渡そうとした。
ところが通訳さんは、
「これは受け取れない。」
と頑としてテーブルの上のお金に手をつけない。
私が、
「それは困ります。」
と言っても、
「先生が困っても受け取れないものは受け取れない。」
「どうしてですか?」
と私。
「日本人の先生が、こんな夜遅くまで、私の同胞のために一生懸命動いてくれている。私もこういう仕事してるから、当番弁護の先生が貰う日当がいくらだか知ってます。私が、今、このお金を受け取ってしまったら、私は同胞に顔向けできない。私にも韓国人としての誇りがあります。先生が今日、弁護士会から受け取られる1万円以上のお金は、私もいただきません。」
通訳さんと私の間に置かれて行き場を無くした通訳料がカレーライスの横で切なかった。
しかし世界はまだまだ捨てたモンじゃない。
翌日はK君の通っている日本語学校の担任の先生が学校で使っているテキストやドリルを留置場に差し入れてくれた。
「こんなことになったけど、くじけるな!」
と接見室のアクリル板越しにK君を励ましていた。
ルームメイトの友人2人も授業が終わった後で接見に来てくれた。ルームメイトの接見には私も同席させてもらったが、ほとんど話さない。K君もルームメイトも。ただ、接見室のアクリル板越しに見つめ合って、寂しそうな顔して。
・・・ポツッ・・・ポツッ・・・・って何か言ってる。
「寒くないか?」
とか
「勉強、頑張ろうな。」
とか。
なんだろ、これ。
なんていえばいいんだろ、こういうの。
悲しいとかじゃなくて。
「なんで、こいつらが、ここまで辛い思いしなきゃならないんだ?」
と思うと、なんとなく腹が立ってくる。誰に対してってわけでもなく。敢えて言うなら、そういう彼らに何もしてやれなくて、韓国語で励ましの声一つかけてやれない自分に対して、である。
その後、事務所に戻って、担当の検察官に電話。
「もう、いいぢゃないっすかぁ。釈放してあげてくださいよぉ~」
「交渉」っていうより「懇願」ですな。あんまカッコよくないですな。
しかし、検察官の無情なお言葉。
「いえ、先生。最近の外国人犯罪の多さは目に余るものがあるので。一罰百戒の意味を込めて起訴する予定です。」
今度は「なんとなく」じゃなくてハッキリと腹が立ったぞ。検察官に。
しかし、怒っていても埒はあかぬ。古今東西、交渉事は怒って席を立った者の負けなのだ。
怒りを抑えつつ、
「じゃ、被害者の方が許してくれたら、不起訴も考えてくれます?」
と尋ねると、さすがに検察官も、
「まぁ被害者の方のご意見は参考にさせていただきますけどね。」
検察官に被害者のおばあさんの連絡先を教えて貰い、早速、その夜、ご自宅まで謝罪に伺う。
日本語学校の校長先生だったか担任の先生だったかも一緒だった。先生はお詫びの菓子折を買ってきてくれた。金曜日の夜7時くらいだった。
被害者のおばあさんの家は古い都営住宅。まだ、取り壊しにならないんだぁ~と、思わず感心するほどの。
優しそうでお人好しそうでとても品の良いおばあさんはご主人と二人暮らしだった。
ご主人はちょっと強面で(←控えめな表現)。白髪だけどパンチパーマで。まだ春先なのに何故か半袖の甚平をご着用遊ばしてて。
なんだか怖いぞ!
菓子折渡して、とりあえず平謝りに謝って。
たまに横目でチラッチラッとご主人の方を見ると、口がへの字になってて、腕組みしておいでになる。怖いから何か話してくださいよぉ~。
(怖くない)おばあさんの話。
「あの時は怖かったけどね。道路に土下座して謝ってるあの子のこと見てたら、なんだか手癖の悪かった自分の息子を見てるみたいでねぇ。腹が立つやら悲しいやらで。そう、韓国の人だったの。日本語を勉強しにねぇ。偉いねぇ。もう学校には戻れたの?」
いえいえ、おばあさん。彼はまだ勾留中です。●●警察署の留置場にいます。
留置場の中で差し入れて貰った日本語のテキストとドリルを毎日やってます。
担当の検察官は「一罰百戒の意味を込めて起訴する」と言ってます。起訴されれば100%有罪判決~強制送還になります。
K君が日本に来ることになった経緯、祖国のご両親が借金してまで持たせてくれた学費の話、日本での苦しい生活、彼を食い物にしていたクソ野郎共の話、考えられないような安いバイト代で毎日毎日チラシを配っていたこと・・・
私の説明を聞いているうちにおばあさんは泣き出した。
「可哀想なことをした。今でも道路に土下座して、一生懸命私を拝みながら謝っているあの子のことを夢に見るんですよ。非道いことをしてしまった。罪なことをしてしまった・・・」
いえいえ、おばあさん。そうはいっても、そもそも罪を犯したのはK君の方ですから。
それでも泣き続けるおばあさん。
「あの時私が警察を呼んでくれ、なんて言わなけりゃ良かったんだよねぇ。そんなに頑張ってる子だなんて分からなかった。2000円くらい言ってくれればあげたのに。」
ホイホイと韓国人の苦学生に2000円をあげられるほど余裕のある生活してるようには見えないおばあさんが嗚咽しながら絞り出すように言った。
「何か私がしてあげられること、ないかねぇ・・・」
ラッキー!! ああ、神様。やっぱりあなたはいらっしゃったんですね。
おそるおそる(怖いご主人の方を見ながら)切り出す私。
「担当の検察官に電話してもらえませんか? もう許してやってくれって。K君を裁判になんかかけないでくれって。明日は土曜日ですけど、担当の検察官は午前中は登庁するって言ってましたから。」
ところが、
「私はそんな検察官様なんかに電話なんかしたことないし。おっかないですよ。それに明日は朝から●●アパートの掃除の仕事も入ってるし・・・」
こらっ! バァちゃん!
今さっき、「私がしてあげられること、ないかねぇ」って言ったじゃん!!
てゆうか、検事に「様」付けるなよ。
これだから老人は・・・。
ああ、神様。やっぱりあなたはいらっしゃらないんですか!
・・・・・しばしの沈黙・・・・・
腕組みしていたご主人がおもむろに口を開く。
「グチャグチャ言ってねぇで電話くらいしてやれよ、ババァ。可哀想じゃねぇか!」
ご主人、いつの間にか腕組みしたまま泣いてるし。
ああ、ご主人様! あなたが神様だということに気づかなかった私は愚者でした!
おばあさんの家を辞して事務所に帰ったのが夜の10時過ぎくらい。
それから検察官宛の意見書を書き上げた。
「検察官が言うように『一罰百戒』が必要な犯罪者も確かにいるとは思うけど、K君は違うんじゃない? 被害者のおばあさんだって『もう許してやってくれ』って言ってるしさぁ。」
噛み砕いて言えばこんな内容。これを法律家っぽい言葉で書いて、深夜の東京地方検察庁の夜間受付にタクシーで届けに走った。
あとはおばあさんが約束通り検察官に電話してくれるのを祈るばかりである。
明けて翌週月曜日。
朝一で検察官から電話がかかってきた。
「被害者の方から土曜日にお電話を頂きました。状況は理解しました。先生の意見書も拝見しました。」
・・・あぁ、おばあさん、約束通り電話してくれたんだ。
ご主人が神様なのは知ってたけど、おばあさんは天使だったんですね。
検察官「被害者の方と先生に免じて、今回だけ不起訴処分にします。」
私 「ありがとうございます!」
検察官「ただ、一つだけ約束してください。軽微とはいえ彼のやったことは不法就労と窃盗。ケジメはちゃんとつけて欲しい。任意で一度韓国に帰って、彼のことを心配しているご両親に事情を説明して、『それでも日本で勉強を続けたい』というのであれば再度、来日するように先生から彼に伝えてもらえませんか?」
私 「分かりました。仰ることはもっともだと思います。約束します。」
月曜日の夕方、日本語学校の担任の先生と、K君のルームメイト2人と、通訳の先生と私の5人で釈放されるK君を警察署まで迎えに行った。
ルームメイトの一人が泣いた。担任の先生は「よかったね、よかったね」と言い続けていた。通訳さんは黙ってK君の肩を抱いていた。
K君は少し照れくさそうに、
「留置場の毛布が南京虫だらけなのには弱りました。」
と笑って私に言った。
翌日(火曜日)から3日間はK君の通う日本語学校の期末テストだった。
たしか、読み(Reading)、書き(Writing)、聞き取り(Listing)の3科目。
木曜の夕方だったと思う。日本語学校の校長先生から事務所に電話があった。
「K君、全科目満点でしたよ。」
留置場の中で差し入れてもらった日本語のテキストとドリルでひたすら勉強し続けてたもんな。偉いぞ、K!
「今回の事件は、もとを質せばウチの学校が韓国で学生募集のコーディネートを依頼していた業者の誤った勧誘が原因です。でもK君は最後まで諦めずに勉強を続けてくれた。検察官との約束もありますから、いったん、K君には帰国してもらいますが、もし、また来日してウチの学校に入ってくれるというなら、次回からは1月~3月のプレスクールは私の判断で免除して、4月開始の本科生特例入学ということにしました。」
翌金曜日の午前中、今度は検察官から事務所に電話が。
検察官「先生、約束はどうなりました?」
私 「へ? 約束って?」
検察官「Kですよ。まだ帰国させてないでしょう?」
私 「はぁ・・・」
検察官「月曜の夜以降の成田から韓国への出国者リストを確認してますがKの名前が見あたりません。いったい、どういうことですか?」
・・・いや、そんな怒らなくても。ちょっと期末テスト受けてただけじゃん。
あんなに一生懸命勉強してたんだよ。テストくらい受けさせてやりたいじゃんか。
検察官「今週いっぱい待ちますが、来週月曜日の時点でKの出国が確認できなかったときはこちらにも考えがありますから!」
うわっ、怖っ! 国家権力ってどうしてこう・・・
その日の夕方。
事務所で仕事を続けていた私のもとに電話が。
電話を取り次いでくれた秘書のS嬢。
「先生、お電話です。外国の方みたいです。」
受話器の向こうからK君の声が聞こえた。
「先生、今、成田空港です。18時の飛行機で韓国に帰ります。先生、ありがとうございました。僕は日本に来て、みんなに騙されて、酷い目にあって、日本のことが嫌いになりかけてました。やっぱり祖国の両親や親戚が言うように、日本人は信用できないと心のどこかで思い始めてました。でも、先生は最後まで僕を助けてくれた。僕が財布を盗んだのに、おばあさんは僕を許してくれた。先生、僕、やっぱり日本が好きです。先生とおばあさんのお陰で日本のこと嫌いになりませんでした。僕は韓国に帰りますけど、多分、もう、日本には来れないと思うけど、韓国で日本語の勉強して、いつか必ず先生とおばあさんに手紙書きます。」
日本語がまだまだできないK君である。多分、日本語の上手な友人か日本語学校の先生に原稿を書いてもらって、その原稿を電話口で読んでいるのであろう。その証拠に、受話器の向こうでカサカサ紙の音がするぞ。K。
でも、だけど、K君の話を聞きながら涙が止まらないのは何故だろう。コーヒーを持って来てくれたS嬢が、
「うわっ。先生、なに泣いてんですか!」
とびっくりしていた。
くだんの通訳さんは、結局、最後まで私から通訳料を受け取ろうとしなかった。伺った話では、日本人の夫と離婚して、女手一つで2人の子供を育てているという。それでも通訳料は受け取らなかった。彼女の矜持なのであろう。
それどころか、その後しばらく、
「先生は働き過ぎだから。健康が心配だ。」
と、毎月、朝鮮人参の粉末を事務所に送ってきてくれていた。
今からもう10年以上前の、私が駆け出しの弁護士だった頃の話である。
2014年5月28日現在。K君から手紙はまだ届かない。
K君、達者で勉強してるかい?
俺は、元気だ。