衆議院議員選挙の予想は、ほぼ、当たった。
(1)自民党・公明党の圧勝(おそらく改憲発議要件の3分の2超)
は的中。
(2)希望の党の大惨敗
は見方によっては当たったともいえるだろうが、結果だけ見れば、希望の党は立憲民主党に次ぐ野党第2党である。
「大惨敗」は言い過ぎだった。
(3)立憲民主党その他の野党が「希望の党大惨敗」分の議席を分け合う
これは外れた。「希望の党」が本来、獲得するはずだった票はほとんど立憲民主党に流れた。
「その他野党」は見るも無残な議席減である。
ただ、この「立憲民主党が相当数の票を獲得する理由」として指摘した「判官贔屓」(ほうがんびいき)は当たっていた、と自負している。
立憲民主党が躍進したのは、彼らの公約に選挙民が惹きつけられたからじゃない、と思う。
要は、「今まで自民党のジジイどもに虐(いじ)められてた可哀想な小池さん」が、「前原代表が党を放り出してしまったために右往左往するしかなくなった可哀想な民進党議員」を虐める側に回った結果、政策ではなく雰囲気でしか選挙権を行使しない人たちが、これまで贔屓してきた小池さんを新たな悪役に認定して、「虐められて行き場が失くなったのに健気に頑張ってる(っぽく見える)立憲民主党」に一票を投じたに過ぎない。
再び、予言する。
立憲民主党も長くはもたないだろう。
党勢を伸ばした理由が、希望の党のそれと大差ないからだ。
株価でもなんでもそうだが、急激な上昇の先には急降下が待っている。
ところで希望の党。
小池さんの「リセット」とか「排除」とか、耳が腐りそうな品のない言葉については評価に値しないので、ここでは触れない。
「政権選択を選挙民に問いつつ、自分は立候補しない」という彼女の下衆(げす)な戦略については、前回述べたとおり。
なので、今回は、彼らが掲げていた公約についてちょっと触れておこうと思う。
めちゃくちゃである。
およそ、まともな財務会計知識、政策能力がある人間が作った公約とはどうしても思えない。
私の財務会計知識だって、せいぜい簿記3級レベルだが、その私をして、「めちゃくちゃだ」と言わしめる公約だった。
内部留保課税。
簡単に言えば、「大企業の内部留保に課税して金を踏んだくれ」という政策である(公約上はあくまでも「検討」とあったが、同じことだ。)。
内部留保課税案に対しては「二重課税」との批判もあった。これも的を射ていた。
んが、しかし。
それ以前に、もっと根本的な、理論的に破綻(はたん)した問題がある。
できるだけ簡単に説明してみる(※間違ってたらご指摘を乞う。)。
企業は売上から人件費等の費用を控除する。それで利益が残れば、その利益に法人税等が課税される。
この法人税を払った残りの「利益」が「税引後当期純利益」である。
企業の所有者は「株主」だから、この「税引後当期純利益」は要するに株主の財産である。
ただ、法律上、株主が会社に供出した「出資」(財産)の払い戻しには厳しい制限がある。「税引後当期純利益」を株主に配分するためには、①配当するか、②自社株買いで出資の払い戻しに応じるか、③内部留保しておくか、しかない(はずだ)。
つまり、「内部留保」というのは、株主が会社に対して持っている権利(=株式)の価値(=株価)を構成している一要素に他ならない。
こういう「内部留保」に課税したら?
企業は内部留保を極力、残さないように決算を調整するだろう。
株価を構成する一要素が激減するor減少するから、理論上、株価は下落する。
早い話、税金を踏んだくろうとして人為的にリセッション(景気後退)を作り出すわけだ。
類を見ない愚策と言わざるを得ない。
そもそも、「内部留保」というのは、貸借対照表上は単なる貸方の勘定科目に過ぎない。
貸方と借方の総額は等しくなければならない、というのが会計・簿記の大原則だが、希望の党(と、希望の党の公約に大喜びした方々)は、もしかしたら、「内部留保」という勘定科目に表示されている額の「無駄金」(と呼ぶべき現預金)が企業に存在している、と勘違いをしているのではないか?(少なくとも私にはそう見えた。)
貸方の内部留保が大きければ大きいほど、それに対応して借方(=資産)も大きくなる。
ただ、この場合の「資産」とは現預金だけではない。
現預金の他、設備投資の結果取得した固定資産、流動資産、知的財産、不動産、車両・・・。つまり、企業活動を継続して、さらに利益を稼ぐために必要な諸々の「資産」(ツール)である。
この中に含まれる「現預金」とは企業活動においては運転資金と同義だ。
これが枯渇(こかつ)したら企業としては途端に立ち行かなくなるが、実際問題として「いくらの運転資金を確保しておかなければならないか」は企業規模とか業種・業態によってまちまちで一概に基準を立てられない。
株主(※あくまでも企業の所有者である株主が、である。希望の党とか「我々庶民」と常に自分を一人称で語れない、左がかった方々ではない。)が文句を言っていいのは、この「現預金」が必要以上に溜め込まれている場合だが、その「文句」は「株価」という形で市場形成されるのが資本主義のルールである。
内部留保課税とは、企業活動において必要不可欠で、その過大な「留保」への評価は本来、自由市場に委ねられるべき「現預金」を、「税金」の名のもとに吸い上げよう、という制度以外のなにものでもない。
こうして見てみると、希望の党の公約の背後には、「内部留保」=「本来は市場に還元すべき無駄なお金」という訳の分からない理解があった、としか思えない。
「国政を担う」と公言している人たちの集まりが簿記3級レベルの知識さえ持ち合わせていなかった、という事実には驚愕を通り越して恐怖を感じざるを得ない。
希望の党が掲げていた公約には、ほかにも、「ベーシックインカム」という以前の民主党(国民に媚び売るバラマキ)政権でさえやらなかった究極のバラマキ政策、最後の一線を超えた財政出動もあった。
こういう狂った政党に票が集まらなかった、という一点で、日本の民主主義は意外にちゃんと機能しているのではないか、と安堵した次第である。