つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

サッカーW杯

2018-06-29 20:43:02 | 日記

昨夜、サッカーW杯の日本VSポーランドのクソ情けない試合を見て、完全寝不足&フラストレーション・マックスでゴルフ(with M物産のOBとM商事のOBとM石油のOBと私)に行って、事務所に戻ってきて仕事して、行きつけのマッサージに行って馴染みのSさんに全身揉みほぐしてもらって、再び事務所に戻ってきて、この投稿を書いています。

 

なんでとっとと家に帰って寝なかったのかというと、Sさんから肩甲骨をバインバインほぐされながら、

「ちょこちょこブログ覗きに行ってるんですけど、ぜんぜん更新されませんね!

とお叱りのお言葉を頂いたからだ。

サポーターあってのサッカー、読者あってのこのブログ。

はいっ。ただいま、今すぐ、喜んで。

更新させていただきます。

 

というわけでW杯日本VSポーランド戦である。

日本の戦い方に賛両論があるのはご存じのとおり。

私、別に、熱心なサポーターでもなければ、サッカーファンでもない。

サッカーに詳しいわけでもない(というより、ぜんぜん詳しくない)。

なので、以下は完全な素人の戯言(たわごと)としてお読みください。

 

最低の試合だった。

TVのワイドショーとかレポーターとか解説者は、見苦しい言い訳というか擁護をかましまくっているが、違うだろ!

 

W杯で戦っているのはサッカーのプロだ。それもプロの中でもさらに選りすぐられたプロたちである。

彼らはプロである以上、技術や勝敗もさることながら、見ている人間に試合を通じて感動や夢や勇気を与えなければならない、と私は思う。

そうでなければ金を取って試合を見せるべきではない。

昨日のポーランドとの試合を見て、感動や夢や勇気をもらった人はいるのか?(いたらスイマセン)

後半ラスト10分の日本の戦い方を見て、

「サッカーって凄い。僕も大きくなったら絶対サッカー選手になる!」

と夢を抱いた子供はいるのか?(いたらスイマセン)

 

試合を通じて、感動も夢も勇気も伝えられなかったからこそ、

「あれも戦術のうち」

「別に反則じゃないから」

「ドーハの悲劇を繰り返してはならない」

「日本のサッカーはまた一歩進化した」

「批判を甘んじて受けて勝ちに行った侍ジャパンを誇りに思う」

などなど、聞くに堪えない言い訳ばかりが出てくるんじゃないのか?

 

昨夜のポーランド戦を見て、世界は日本を軽蔑しただろう。

 

昨夜の試合は、日本の試合が終わるたびに観客席で黙々とゴミ拾いをしているサポーターたちをも侮辱したと思う。

 

世界から軽蔑されて、試合後までサッカーに真摯に向き合おうとしているサポーターたちを侮辱して進んだ決勝トーナメントに価値はあるのか?

決勝トーナメントに進んだというのに、どの選手も苦虫を噛み潰したような顔でインタビューに答えているのは何故だ?

「あれも戦術のうち」・・・他力本願のギャンブルに賭けただけだろ?

「別に反則じゃないから」・・・だから何?

「ドーハの悲劇を繰り返してはならない」・・・そのかわりボルゴグラードの喜劇を世界に晒したが。

「日本のサッカーはまた一歩進化した」・・・退化した、の間違いだろ?

「批判を甘んじて受けて勝ちに行った侍ジャパンを誇りに思う」・・・てか、そもそも昨夜の試合は「勝ちに行っ」てませんが?

 

ボール回しで時間を潰している選手たち自身も辛かっただろう。

「こんなことするためにサッカー続けてきたんじゃない」と思ってパスを出していた選手は何人いただろう。

それでも、(戦術などと呼ぶに値しない)監督の指示を拒否して、最後までポーランドのゴールを目指して走り続けようとした選手は一人もいなかった。

日大アメフト部の反則タックル問題とそっくりの、

「結果が良ければ評価は後からついてくる。

結果が良ければ手段の是非は問われない。」

的なプレーが世界に晒された瞬間だった。

日本はサッカーW杯に100年残る恥を晒したのだと思う。

 

 

眠くなってきたので、もう、結論だけ言う。

結果的に負けても、決勝トーナメントに進めなくても、昨夜、あのピッチに立っていたイレブンには最後までゴール目指して走り続けて欲しかった。

どんなに贔屓目(ひいきめ)に見ても、昨夜の試合は「サムライ」の試合ではない。

日本は「サムライジャパン」の名を返上すべきだ。

決勝トーナメント進出、という結果はそんなに大切か?

選手たちのプライドを傷つけ、サポーターを侮辱し、世界から軽蔑されても手に入れなければならない結果だったか?

サッカーってそんなにチンケなスポーツなのか?

私はサッカーには詳しくないので、的外れな意見だったらスマン。

仮に「W杯の決勝トーナメントに進出できない=敗北」だとしても、サッカーの基本である「相手のゴールにボールを蹴り込む」ことを諦めずに最後まで走り続けたイレブンが手にする敗北は「世界に誇るに足るもの」ではないのか?

 

誇るに足る敗北は卑しい勝利に勝る

と私は思うが、どうか?

 

 

 

 

 


摂ちゃんのこと(14)

2018-06-06 18:05:13 | 摂子の乳がん

 

親父が2015年に逝って、昨年、親父の三回忌を無事終えて、それから半年ちょっとで摂ちゃんは親父のもとに行ってしまいました。

親父が死んだ後、このブログで公開した親父の日記を読めば、親父がどれほど摂ちゃんを可愛がっていたかわかる。

孫たちの小学校と中学校の入学式を見届けて、たぶん、親父の心残りは摂ちゃんだけだったんだと思う。

私は、親父に、

「親父が死んだら、俺が親父に代わって摂子の面倒を見るよ。死ぬまで。」

と約束した(摂ちゃんのこと(10))。

でも、どうやら親父は今一つ私のことが信じられなかったようだ。

天国で、

「利文のやつ、ちゃんとやってけるのか? 大丈夫なのか? 摂子に寂しい思いをさせたりしてないか?」

とハラハラしながら見ていたのかもしれぬ。

私への不安と摂ちゃんへの愛情が高じて、とうとう摂ちゃんを天国に呼び寄せたのだ、と思うことにした。

悪かったなぁ、親父。死んだ後までハラハラさせて。


だけどなぁ。

親父が死んで、摂ちゃんが逝っちゃうまでの2年7カ月。

毎月、名古屋まで行くのは大変だったけど、俺はこれまでで一番、楽しい最高の時間を摂ちゃんと過ごしたよ。


摂ちゃんは、親父が暮らしていた尾張旭の実家が大好きだった。

昔は親父と、お袋と、私と、摂ちゃんが暮らしていた家だ。

正月や夏休みの「実家帰省」の後、親父が小原寮に摂ちゃんを車で送って行くと、いつまでもいつまでも車から降りようとしなかったという。

小原寮で楽しい一生を過ごしたけど、ほんとはきっと、親父や家族と尾張旭の実家で暮らしたかったんだ。

だから、親父が逝って、空き家になった尾張旭の実家を処分することに決めたとき、摂ちゃんと二人で、ガランとした実家で最後のご飯を食べた。親父は遺影で参加だ。

でも、こんなにすぐに摂ちゃんが逝ってしまうんなら、せめて摂ちゃんが逝くまで実家を売り払わなければよかった、と思う。

そうすれば、葬儀会館じゃなく大好きだった実家に、最後に摂ちゃんを連れて帰ってやれたのに。

 

私は18歳で故郷を捨てて東京に出てきて以来、最後の最後に親父と仲良く笑って話せるようになるまで、尾張旭の実家に寄り付かなかった。辛い記憶しかない実家と、辛い記憶を私に植え付けた親父とお袋が大嫌いだった。

摂ちゃんとも、18歳以降、まともに会わなかった。

 

それなのに、摂ちゃんは私のことをちゃんと覚えていた。

誕生日のプレゼントに摂ちゃんが大好きだった黒色のコートを持って面会に行くと、照れくさそうに笑いながらカメラに見せびらかしてくれた。

 

乳がんが再発して通院するようになると、毎回付き添ってくれていたスタッフのMさん(男性)の話では、いつも病院のロビーで私が現れるのを待ちわびていたという。

 

小原寮に面会に行ったときは、できる限りドライブに摂ちゃんを連れ出した。

いつも小原寮の敷地の中のベンチに座って、遠い外の世界を見ていた摂ちゃんはドライブが大好きだったから。

小原寮に面会に行ったとき、病院のロビーで会ったとき、車に乗せてあげたとき、私はいつも摂ちゃんと手をつないでいた。

摂ちゃんから遠ざかっていた30年以上の月日を取り戻すためには、それくらいしか思いつかなかった。

だから摂ちゃんとドライブするときはいつも片手運転だった。

 

 

今まで俺は摂ちゃんとどう接していいのか分からなかったけど。

心のどこかで摂ちゃんを「障害を持った可哀そうな子」だと憐れみの目で見て、そういう妹を持った自分の運命を呪って、悔しくて悔しくて、親父や摂ちゃんが俺に差し伸べようとしてくれた手を振り払って、「俺は一人でいいんだ」と突っ張って生きようとしたときもあったけど。

 

そっかぁ。

 

 

(※画像は「ブラックジャックによろしく」より引用させていただきました。)



摂ちゃんのこと(13)

2018-06-05 15:44:46 | 摂子の乳がん

結局、摂ちゃんの腸管穿孔の原因はよくわからなかった。

少なからずがんがその原因だったのかもしれないし、がんとは全然別の何かだったのかもしれない。

生前、親父が住んでいた私の実家は既に手放してしまっているので摂ちゃんの身体を運ぶ先は葬儀会社しかない。

親父の葬式の時もさんざん助けてもらった「TEAR(ティア)新瀬戸」に病院から電話を入れた。

TEAR新瀬戸のスタッフが摂ちゃんの身体を引き取りに来てくれたのは午前4時を少し回った頃だった。

 

あまりに急すぎて自分が泊まるホテルの手配もしていなかったことに今更ながら気づき、TEAR新瀬戸の親族控室で摂ちゃんと一緒に休ませてもらう。

摂ちゃんの鼻からは血が流れ続けていた。

夜が明けるまでずっとティッシュペーパーで拭い続けた。

もう、痛みも苦しみもない世界に旅立ったのだとは思うけれど、亡くなった後も血を流し続ける姿を見るのは嫌だ。

私の我儘(わがまま)だ。

 

TEAR新瀬戸のK支配人は相変わらず商売感覚抜きで葬儀を取り仕切ってくれる。

私が豊田市役所に死亡届を出しに行っている間に、摂ちゃんがずっと暮らしていた小原寮に「摂子さんの生前の生活の様子」をわざわざインタビューしに行ってくれていた。

片道車で1時間弱の道のりである。インタビューして帰ってくれば半日、下手したら丸1日吹っ飛ぶだろう。

「告別式で司会者が一言二言、生前の摂ちゃんの暮らしぶりに触れる」という、ただそれだけのために、だ。

ありがたくて涙が出た。

 

一部の親戚は、私が摂ちゃんの乳がんの再発を「隠して」いた、摂ちゃんの訃報が「(私からではなく)自分より遠縁の親戚から入った」と立腹し、通夜にも告別式にも顔を出してくれなかった。

いろんな考えの人がいるから、私なりの摂ちゃんとの関わり方、看病の仕方を否定されても仕方ないことなのかも知れぬ。

でも、小原寮の現スタッフさん、もう、小原寮を辞めてしまったかつてのスタッフさん、摂ちゃんと仲の良かった小原寮の入寮者の人たちはたくさん、摂ちゃんとの最後のお別れに来てくれた。

とびきり素敵なお葬式だった。

(↑ K支配人が作ってくれた葬儀場の入り口に飾った写真)

 

摂ちゃんと同じく知的障害を持っている入寮者の人たちは、納棺師さんに綺麗に死化粧(しにげしょう)をしてもらった摂ちゃんを見て声をあげて泣いてくれた。

あぁ、人間は悲しいときにはこうやって慟哭すればいいんだ、と教えられた。

 

死んだ後も鼻血が止まらなくて、生前は化粧なんてしたことのなかった摂ちゃんのために、K支配人はわざわざメイク(死化粧)の上手い納棺師の方を手配してくれた。

お袋が死んだときも、親父が死んだときも、

「寿命が尽きた後の身体は単なる『物』だ。

魂とか霊魂とかいうものが存在しようとしまいと、遺体自体はただの『物』だ。

なのに、なんで、人は大げさにただの『物』に接するんだろ」

と思っていたけれど、摂ちゃんの身体を丁寧に丁寧に洗い清めて、指先にまで気を配りながら真っ白な死装束に摂ちゃんを着替えさせてくれて、接吻せんばかりに摂ちゃんの顔に自分の顔を寄せて死化粧を施してくれている納棺師の方の美し過ぎる所作(しょさ)を見ていてやっと理解した。

遺体はただの物だけど、それは摂ちゃんが49年間使い続けてきた「摂ちゃんが生きるための大切な道具」だ。

ずっと使い続けてきた愛着のこもった道具を手放すとき、それを躊躇なくゴミ箱に放り込んで平気な人はいないだろう。

それは、職人が使い続けてきた道具を最後に感謝と惜別の情を込めて神社や寺に奉納することに通じるのかもしれない。

使い切った「身体」に感謝と惜別の情を込めてお別れしてあげられるのは、亡くなった本人ではなく遺族しかいない。

あぁ、お葬式というのは一生懸命生きて死んでいった故人とその身体に対する最後のリスペクトの場なんだなぁ・・・という、どうでもいいようなことを、どんどん綺麗になっていく摂ちゃんの身体を見ながらぼんやりと考えていた。