つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

求人! 弁護士!

2015-01-29 10:12:38 | 弁護士のお仕事

タイトルの通りである。

年が明けても相変わらず刑事事件も民事事件も絶好調だ。

昨日は受任中の被疑者の勾留満期だった。処分保留・釈放にしてやったぜぃ。

ってゆーか、捜査機関も前時代的な切り違え尋問で自白取ってちゃダメじゃん。起訴されてたら法廷で全部暴露するところだったぞ。ばっちり証拠付きで。

 

そんなこんなで年が明けても忙しいぞ。

映画も満足に観に行けない(一度だけ行った「ゴーン・ガール」は近年稀に見るサイコ・サスペンスの傑作だったが。)。

真冬でサーフィンも暫く封印だし、ゴルフに行き狂ってるわけでもないし、落語にも行ってないし・・・。

なんでこんなに(遊ぶ)時間が足りないんだ?

念のためスケジューラーを確認してみる。

1月4日まで正月休み。

7日、T女史と新年会。

8日、HさんとYさんと新年会@やげんぼり

9日、顧問先の社長と年始麻雀(2万近く負けた)。

11日~12日、苗場でスノボ(←今年から始めた)

14日、尊敬する大先輩のF先生と、仲良しのK弁護士とM弁護士とゴルフ(打ち初め)~K女史と食事

16日 恩師の事務所と合同新年会@セレブール

19日 顧問先の社長と新年会@ウルフギャング&ノクターン

20日    K女史と新年会。

21日 顧問先の社長と新年会@コムニ

・・・・・あ、意外と、遊んでる・・・・かもかも。

しかし、もっと遊びたいので、ここらで弁護士に1名、入所して頂ければ、と思ったりする今日この頃だ。

弱小事務所なので、「採用してやる」とかじゃなくて、「入所して頂ければ」と低姿勢に出てみたが、私のワーキング・スタイルは低姿勢とは程遠いので、その点は予めご了承ください。

 

このブログを読んで連絡してきてくれるくらい奇特な人なら、少なくとも私がどういう人間か、何を考えているか、何に怒り、何に喜び、何に涙するのかくらいは分かるだろう。

できれば事務所の台所事情が火の車なことも理解してきてくれるとなおありがたいがそこまでは言うまい。

事務所の台所で燃え上がった火の手をあなたが消してくれれば十分である。いや、ほんと。

 

入所というか勤務条件はこちらからは提示しない。

プレゼン、ライフプランニング、ビジネススキル、起案の各能力を拝見したいので、

「こういう条件なら、ネクスト法律事務所で平岩先生と働いてあげてもいいですよ」

という契約書を自分で起案しておくってくれい!

で、私がそれを見て、

「うわっ!こんな好条件(※私にとって)で来てくれるの。いや~ん、うれちい。」

と思ったら契約だ。

私は登録1年目だろうと、10年選手だろうと、弁護士であれば自分とイーブンな関係だと考えているので「採用」とは言わない。「契約」だ。

ちなみに、司法試験の成績とか、ロースクールでの成績とか、年齢とか、性別は問わぬ。国籍も問わないが、日本語が話せる人じゃないとヤダ。

ただ、慶應義塾大学と青山学院大学と神奈川大学の卒業生(含む、ロースクール)は出来ればご遠慮願いたい。

理由はこのブログの過去の記事を読まれたし。

 

あぁ、誰かいい人が来てくれないかなぁ。

冗談っぽいように聞こえるかもしれないが、本気だぞ。少しは。


腫瘍マーカーの数値(22)

2015-01-28 17:44:50 | 親父の肺癌

遅くなりましたが、2014年12月26日の検査結果は以下のとおり。

お袋は逝ったが、親父は元気いっぱいである。

相変わらず、CEAの値が少しずつ大きくなってきてはいるが。

 

ちなみに、先日、お袋の件で実家に寄ったら、実家の建物の耐震診断結果を見つけた。「震度5クラスで倒壊の危険がある」のだそうだ。

耐震補強工事をすると150万~300万かかる、という。

そんな金があるなら半年くらい金沢にホテル住まいして、毎日ゴッドハンドの施術を受けに行けっつーの!

ホテル1泊10000円だとして、半年泊まり続けても150万。

来るのか来ないのか分からない震度5の地震。しかも、仮に来たとしても倒壊するかどうか分からない建物の耐震補強に300万払うのと、今、150万かけて取りあえずガンを消しておくのと、どっちの優先順位が高いか。

なにやらインチキ臭いビジネス・トークみたいになってきたが、俺なら150万かけて金沢に行くぞ。

 

(  )内は前回検査時(2014年11月29日)の検査結果。

CRP 0.16(0.24)※基準値0.3以下 0.4~0.9だと体内に軽い炎症が発生している可能性を示す

ProGRP 59(75)※基準値81以下 肺ガンに特有の腫瘍マーカー

CEA 6.2(5.2)※基準値5.0以下 胃・大腸・肝臓ガンに特有の腫瘍マーカー

NSE 15.3(16.0)※基準値16.3以下 小細胞肺ガン、神経芽細胞腫に特有の腫瘍マーカー。告知時(2012/10/11の数値は22.8)

CA19-9 35(35)※基準値37以下 膵臓・胆道・胃・大腸・肝臓ガンに特有の腫瘍マーカー

【免疫力の数値】

アルブミン 4.3(4.2)※基準値3.8~5.3

リンパ球 34.3(38.5)※基準値18.0~59.0

ガンの大きさは

上部 縦2.23cm(2.02cm)

    横2.41cm(2.64cm)

    奥行−cm(−cm)

下部 縦3.87cm(4.20cm)

    横6.01cm(6.24cm)


母が逝きました(2)

2015-01-26 17:44:15 | 日記

お袋を見送り、一夜明けて名古屋は抜けるような真冬の青空だった。

これだけ空が綺麗なら、お袋も天国まで迷わず行けるのではないか、と思った。

無宗教な自分が、「天国」なんてものを真剣に信じていることに少し驚いた。

 

お袋を見送った翌日、お袋が長年、透析でお世話になっていた印場クリニックを訪ね、院長先生とケースワーカーの伊藤さんにお礼の気持ちを伝えた。

お袋が死ぬ直前まで、お袋のことを気遣って透析をしてくれていた人たちである。

1月20日の透析の時には、お袋は既に言葉も発せられないほど衰弱しており、伊藤さんたちがずっとお袋の身体をさすってくれていたという。

本当は、そういうことは、息子の私がしなくちゃいけなかったんだろう。

 

私がお袋の背中をさすったのは、後にも先にも、昨年、肺に水が溜まり始めて呼吸が苦しそうだったお袋に、

「お袋はよく頑張った。四半世紀以上だぞ、透析。もう、苦しかったり辛かったりしたら頑張らなくていいんだ。病院の先生にもホームのスタッフさんにも俺が言っておくから、1日くらいなら透析休んじゃったっていいんだぞ。」

と伝えたときだけである。

骨と皮だけになっていたお袋の背中はとんでもなく小さかった。

自分は、こんな小さな身体から生まれて、育て上げられて、そのくせ、今じゃ一人で世の中に生まれ出て大きくなったような顔をしてるんだな、と思った。

 

印場クリニックで挨拶をした後、お袋が暮らしていた老人ホームの部屋に荷物の引き取りに行った。

カミサンとチビたちは老人ホームの近くの公園で遊んで待っていてもらった。

段ボール1箱程度のお袋の思い出の品を車に積んで、最後に部屋のドアに鍵をかけるとき、「自分がこの部屋を訪れることはもう二度とないのだ」ということに不意に気づいた。

お袋を見舞っても、年老いたお袋の我の強い態度にイライラし、いつも最後は喧嘩になった。

「もう、二度と見舞いになんか来るか。」

と何度も心に決めつつ、結局、数ヶ月経つと再びお袋の様子を見に来た。

「次が永久に来なくなる瞬間」というのは、こんなにも呆気なく訪れるのだ、ということに少し驚いた。

 

部屋に少しだけ残っている、お袋が確かにこの部屋で暮らしていたことを伝える残り香に、

「おつかれさま。よく頑張ったな。もう、透析に苦しむことなく、ゆっくり眠っていいぞ。

世界中の人がお袋のこと忘れても、俺は、お袋を大好きだったことも、お袋を憎んだことも、お袋を許したことも、お袋に許してもらったことも、死ぬまで忘れない。

さよなら。」

と、本当に二度と会えない「さよなら」を大きめの声で告げた。

お袋は死ぬ1年位前から耳が遠くなっていたからね。

 

PS:お袋の死を知らせる電話を受けたときも、名古屋に向かう車の中でも、お袋の死に顔を見たときも、昨日の記事を投稿したときも、一度も出なかった涙が、この記事を書き終わったらいきなり出てきた。

明日はお袋の81回目の誕生日である。

秘書が帰った一人きりの事務所で、心ゆくまで慟哭した。


母が逝きました。

2015-01-25 22:27:30 | 日記

約1か月ぶりの更新である。

ついでに言えば、今年初めての更新でもある。

相変わらずナマケモノを絵に描いたような更新頻度だ。もうすぐ身体中に毛が生えて爪が大きく伸びて木にぶら下がり始めるのかもしれぬ。

 

新年第1号の投稿が訃報である。

このブログを楽しみに読みに来てくださる(数少ない)ファンの方には新年早々、縁起の悪い話で申し訳ない。

先週木曜日(1月22日)にお袋が逝った。午前11時45分だった。

暮らしていた老人ホームで朝、呼吸が止まりかけている状態のお袋をスタッフの方が発見してくれ、愛知医科大学病院のEICUに救急搬送され、死亡が確認されるまで2時間半もなかった。

その間、私は台東区にある某小学校で6年生のチビッコを相手に模擬裁判の指導をしていた。

私の携帯に最初の連絡が入ったのが9時18分。

着信履歴を見ると、その後も10時16分、10時22分、10時27分、10時35分、11時42分と電話やメールで名古屋と連絡を取り合っている。11時35分の電話でEICUの医師から、

「お母様の呼吸は搬送されてきた時点で既に止まっていました。意識もありませんでした。延命措置はどうしますか?」

と確認され、以前から言い聞かされていたお袋の意思に従って、「延命措置不要」と伝えた(と思う)。

その間も模擬裁判は続いている。

ご担当の社会科の先生や同行した2人の弁護士に心配をかけないように、約60人の子供たちを動揺させないように、しれっと模擬裁判を続けながら、

「あぁ、俺は親不孝な商売を選んだな。」

と思ったりしていた。

その後、受任中の刑事事件の被疑者に接見に行き、事情を説明し、来週月曜日まで接見に来られない、すまぬ、と謝った。

何故か、被疑者が泣いてくれた。お袋の死を知って最初に泣いてくれたのが接見室のアクリル板のむこうの被疑者、というのもなぁ。

弁護士とはつくづく因果な商売だ。

 

家族を車に乗せて、雨の東名を飛ばして、名古屋インターを出たのは日付けが変わる直前の23時半だった。

名古屋インターを出た瞬間、誰もスイッチを触ってないのに車の室内灯が2回、チカチカと点滅した。

たぶん、お袋が「さよなら。」を言いに来たのだろう。

病院の霊安室でチビたちとお袋の遺体と会い、最後のお別れをした。

12時間近く霊安室に安置されていたお袋の顔はひんやり冷たかったけれど、まるで眠っているように静かで安らかだった。

お袋は約30年間、人工透析をしていた。

「透析は辛い。病院に行きたくない。」とずっと言い続けていた。

ようやく、大嫌いだった人工透析をしなくて済むようになり、水分や果物の摂取制限も気にしなくていい世界に旅立ったのだ。心底ホッとしたのだろう。

お袋は死後、角膜を提供する「アイバンク」と、遺体を解剖実習に提供する「献体」に登録していたので、私たち家族が病院に着いた時にはお袋の角膜は既に摘出してもらった後だった(摘出の仕方が上手なのだろう、お袋の目元は何もなかったかのように綺麗だった)。

お袋の遺体は、私とカミサンと2人の孫とお袋の最期を看取ってくれた三木医師と夜勤の看護師さんに見送られて、献体受け入れの窓口になっている会社に引き取られて行った。

お袋の意向もあり、お袋の兄弟姉妹も高齢なので、以前から通夜や葬儀はしないことに決めていた。

通り一遍、型通りの、何度聞いても意味もよく分からない読経に見送られて、おそらく誰にも呼ばれることのない戒名を付けられて旅立つより、2人の孫の、

「ばあちゃん、さよなら。ありがと。おつかれさま。」

と言う言葉で送られる方がお袋も嬉しいだろう。


病院での細々とした手続きを終え、ホテルにチェックインし、コンビニで買ったビールを飲んで、ようやく一息いた。

小学校6年の長男がマンガを読みながら私の晩酌に付き合ってくれた。

酒のツマミの焼き鳥を横取りして食べている長男を見ながら、

「今日の(既に日付けは変わっているので、正確には昨日だが)模擬裁判の児童たちも6年生だったな。あぁ、そう言えばお袋が二度目の自殺未遂を俺の目の前で図ったのも、俺が小学校6年の時だった。」

と思い出した。

 

翌日、お袋の遺品の整理に老人ホームに行った際、若かったころのお袋の写真を見つけた。

看護婦をしていたお袋が、色褪せた写真の中で嬉しそうに笑っている。

 

人工透析で苦しみ続けて、親父と上手くいかなくて離婚して、辛いことばっかりの人生みたいにみえたけどさ。

お袋、あんたも輝く笑顔で人生を生きていた時期がちゃんとあったんだな。

 

そう思ったら、少しだけ安心した。

 

 

この記事を書いている間中、そして今も、お袋の遺品を詰め込んで持って来た段ボール箱の中でずっとカタカタと音がしている。

どうしたお袋。何か忘れ物か?