つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

としまえん余話

2020-08-31 23:37:00 | としまえん問題

「壁の向こうの友人」の打ち上げは21時過ぎに終了。

とてもいい舞台だったと思う。
 
さて。
もう、終わっちゃったかな。としまえん。
半ば諦めつつ、都営地下鉄大江戸線の豊島園駅で降りて、としまえん正門に寄ってみた。
 
驚いた。
 
正門前は人で溢れてた。
 
自分がこの場を立ち去ってしまったら、それがとしまえんの本当の終わりになってしまうとでも思っているかのように、正門前は帰路につこうとしない人たちで二重三重の人垣ができていた。




そうだよね。
僕らは、としまえんの時代に生まれて、としまえんの時代を生きてきた。
だから、としまえんの最後の灯が消えるまで、見守ってあげるのが僕らの務めだよな。
いつまでも正門前から動こうとしないみんなの肩を、涙雨が濡らし続けてた。
 
正門前の様子を見届けて、ふと思いついて東ゲート入園口の方に回ってみた。
東ゲート入園口を入ってすぐ真正面に、としまえんのシンボル、カルーセル・エルドラドがある。
 
もしかしたら、最後の灯が落とされる前のカルーセル・エルドラドの写真を撮れるかも。
 
東ゲートに着いてびっくり。
お客さんは全員退園したはずなのにカルーセル・エルドラドが回っている。
しかも、沢山の人を乗せて。
 
動画で撮影したけれど、gooブログには動画を貼り付けられない。
動画をスクショした静止画でどうぞ。
これ↓



乗っているのはとしまえんのスタッフさんたち。
背広を着てるおじさんもいる。
真っ赤なスタッフTシャツ姿の女の子もいる。
最後のお客様を無事に送り出して、明日はもう解体作業に入ってしまうであろう、としまえんのシンボルに、最後の最後の本当に最後にスタッフ全員でお別れをしていた。
 
そうか。
としまえんは私だけじゃなく、私を含むお客たちだけでもなく、働いてるスタッフ全員にこんなにも愛されてたんだ。
 
うん。
素敵な、最高の、遊園地だった。
 
僕らは、この夢のような遊園地と、そこで働くスタッフさんたちのお陰で、煌(きらめ)くような「としまえんの時代」を生きた。
 
東ゲートでひとり立っていたスタッフの女の子に、
 
長い間、ホントにお疲れさま。ありがとね。
 
と声を掛けて、帰宅の途についた。


 
としまえんの東ゲートから自宅まで歩いて15分。
 
最後の最後のホントの最後のおしまいなんだ。
なんだかホッとして、胸が苦しくなって、切なくなって、ポロポロポロポロ泣きながら僕は雨の中を家まで歩き続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 

今日でさよなら

2020-08-31 10:01:00 | としまえん問題

今日、としまえんは94年の歴史に幕を下ろす。

我が家はとしまえんのすぐ近くなので、長男が生まれた17年前からずーっと、木馬の会(としまえんの年間パスポート会員)だった。
夏のプールに、春秋冬の遊園地に、小さかった長男と次男を連れて何百回、としまえんに来たか分からない。
長男も次男も、としまえんに育ててもらったようなものだ。
次男も小学校高学年になったあたりから私ととしまえんには来てくれなくなったけれど、としまえんには、可愛かった子どもたちとの思い出がそこら中にちらばっている。
 
としまえんが自分たちの日常から消えて無くなってしまうなんて想像もしなかった。
いや、正確にはここ数年、何度も「閉園〜跡地利用」の噂が出ては消えていた。
でも、そういう噂は、まるで、「自分の親がいつかは死んでいなくなってしまう」というのと同じくらい、漠然として、現実感のない「噂話」だった。
 

これは我が家の屋上から見たとしまえんのフライング・パイレーツ。
 

同じく、毎晩、20時に打ち上げられる花火。
 
この景色が見られなくなる日が来るなんて。
 
昨日は最終日の前日。
照れて嫌がる次男を誘って、夜のとしまえんに行ってきた。








そして今日。
ほんとのほんとに正真正銘、としまえんの最終営業日。
今夜は先日ブログに書いたいさをさんの舞台「壁の向こうの友人」の打ち上げがあるので、としまえん最後の瞬間には立ち会えない。
なので、朝、駅に向かう出勤途中、としまえんを通り抜けてきた。

スタッフさんはいつもどおり、ニコニコしながら働いている。

子どもたちに何度も買ってやった「くまさんのカステラ」

「ばくだん焼」はいつもチーズ味だった。

こんな風情のある回転木馬は、たぶん、ここにしかない。

最後の日、誰かが乗りに来てくれるといいね。

12年前の長男と私もこんな感じだった。

子どもがいつも怖がっていた。

としまえんは、最後の最後までユーモアを忘れない。

こちらこそ。

隣の「ユナイテッドシネマとしまえん」のポスターを見て、とうとう涙が止まらなくなった。




最終日。
としまえんに別れを告げる人たちの列がいつまでも途切れない。

としまえんのスタッフの皆さんにも、山盛りの幸せが訪れますように。
 
でもさ、形はなくなっても、としまえんの思い出はなくならない。
いつだったかこのブログに書いたように、記憶が思い出になるのなんてあっけないほど一瞬だ。
でも、思い出になった記憶は永遠だ。
 
スタッフの人たちは最後の一瞬まで笑顔で僕らを楽しませようとしてくれている。
だから私もメソメソ泣くのはやめた。
 
僕らが忘れない限り、としまえんは永遠だ。
だから、さよならは言わない。
いつか、どこかで、きっとまた会えるよね。
絶対に。
 
だって、ほら。


また、ね。
 
 
 

「壁の向こうの友人」本番直前

2020-08-20 11:18:48 | 弁護士のお仕事

このブログに何回か登場した戯曲家・演出家の高橋いさをさん(以下「いさをさん」)に頼まれて、とある舞台の法律監修と名古屋弁指導をさせて頂いている。

その作品の名前が「壁の向こうの友人」だ。

「名古屋保険金殺人事件」という1979年から1983年にかけて実際に発生した事件を題材に、被害者の兄と死刑囚となった加害者の交流を描いた短編。

被害者の兄は板垣雄亮さん、死刑囚を若松力さん、面会に立ち会う刑務官を林田航平さんが、それぞれ演じられる。

3人の役者さんは私がかつて小劇場界の端っこでお仕事をさせて頂いていた頃からお付き合いさせて頂いている上谷忠さんが代表を務めるJ.CLIP(https://www.j-clip.co.jp/company/)所属の役者さんで、上演する劇場は新宿御苑前にあるサンモールスタジオ(http://www.sun-mallstudio.com/theatres.htm)。

劇場主兼今回の公演のプロデューサーはこれまた私がずっとお付き合いさせて頂いている佐山泰三さん。

敬愛するいさをさんの作品で、旧知の上谷さんとこの役者さんが出て、プロデューサーは佐山さん、という以上、法律監修も名古屋弁指導もボランティアだ。

ボランティアついでに今回は、当日劇場配布のパンフレットにネクスト法律事務所の広告まで出した。

(パンフレットの現物を持参された方の法律相談料は初回無料にでもしてあげようかとまで思ったりしている。)

↑あんまり大きい声では言いたくないので、小さい声で告知しとく。

 

ここまで私が肩入れしているのは、いさをさんの才能を尊敬して、愛しているからでもあるけれど、なにより、自粛警察野郎、マスク警察野郎が横行して、世の中全体が委縮してしまっている中、それでも必死に舞台の灯をともし続けようとしている演劇関係者を純粋に応援したいからだ。

頑張っている奴がいたら、理屈抜きでエールを送りたくならないか?

野球でも、サッカーでも、箱根駅伝でも、受験生でも、仕事を取るために何度も何度も見積書を書き直している営業マンに対しても。

それは多分、僕らが生まれながらに持っている「生き物としての共感本能」なのだと思う。

 

ただ、そういう理屈を超えて、今回の作品はいさをさんの数ある作品の中でも上位に据えられるような秀作だと(個人的に)思っている。

なので、名古屋弁指導を気軽に引き受けた後で、早々に後悔し、途中からはもう、逃げ出したくなった。

私の下手糞な名古屋弁指導のせいで役者さんを混乱させ、作品のクオリティを落したら、私は誰に謝ればいいのか? 

てか、そもそも謝って済むような問題か?

 

よし、逃げよう。

とりあえず、苗場だな。

こういうときこそ、100万円で買って10万円まで値崩れした苗場に役に立ってもらわんと。

などと日々思いつつ、いつのまにかもう、来週26日は本番初日。

「壁の向こうの友人」は正確には「サンモールスタジオ プロデュース Crime 2nd~贖罪編~」と銘打ったプロデュース公演の中の三作品のうちの一つとして上演される(残りの2作品は「共謀者たち」by singing dogと「僕が数学を好きになった理由」by Tha Stone Age ブライアント)。

新型コロナ感染対策で客席を半分以下にまで間引いたかわりに、28日(金)のソワレ(夜の部)はリアルタイム・オンライン配信でも観られるそうである。オンライン配信の料金は2000円。

リアルタイムである28日以降も1週間程度ならいつでも視聴可能だそうだ。

新型コロナの感染に脅えることなく自宅で冷えたビール片手に三作品観れて2000円。

はっきり言って安いと思う。

オンライン配信は日本中どこでもスマホ1台あれば受信可能なので、東京の公演ではあるけれど、名古屋在住の私の友人たちもリアルタイムで、(平岩が方言指導をした)名古屋弁の舞台を、家でパンツ一丁で冷えたビール片手に枝豆食いながら、観られる。

薄暗く、狭く、汚い小劇場の桟敷(さじき)席にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれ、汗だくで芝居を観ていた世代としては、まさに隔世の感だ。

稽古初日の役者さんたちの(不自然な、大阪弁だか東北弁だか、もう何がなんだか分からない)名古屋弁(?)を聞いたときには正直、そのまま苗場に逃げ出したくなったが、先日の通し稽古では「ほぼ」完璧な域にまで名古屋弁が仕上がってきた。

つくづく、役者というのは凄い人たちなのだと思う。

 

名古屋在住の皆様、名古屋出身で東京にお住いの皆様。

是非是非、劇場で、あるいはオンライン配信で舞台をご覧いただき、ご意見・ご批判いただければ幸です。

なお、万一、役者さんたちの名古屋弁に違和感があったとしても、それは彼らの責任ではない。

万一、場面に法的な不自然さがあったとしても、それはいさをさんの責任ではない。

この舞台における名古屋弁と法的問題に関する全責任は監修を申し出た私にある。

少しでも自然な名古屋弁に。

少しでも法的な不自然さのない舞台に。

そのために稽古場ではしつこいくらいに役者さんたちにダメ出しをしてきた。

おそらく鬱陶しい方言指導であったろうと思う。不愉快な思いをされた役者さんもいたかもしれぬ。

この場を借りて役者さんたちにはお詫び申し上げるとともに、私の拙(つたな)い方言指導と法律監修のせいでせっかくの名作に傷がついていないことを切に祈るのみである。



 

 


苗場より

2020-08-12 19:44:00 | 日記
ちょっと用事があって苗場に来ている。

今から12年くらい前(だったと思う)に買ったリゾートマンションだ。
とこう書くと、すぐ、
「このブルジョワ野郎め!」
とかチャチャが入るのだが、別にブルジョワでも金持ちでもない。
なんせ、購入金額は(家具込みで)100万円だった。
中古車以下の価格である。

売ってくれたのはご高齢の神田の歯医者さん。
バブル前に新築で購入されたそうだが、契約時に、「子どもも孫も、みんなこのマンションに泊まりに来て、スキーは苗場で覚えてね。もう、私もお迎えが近いから身辺整理しなくっちゃ。造り付けのカリモクの家具があるんだけど、どうせ他で使うわけにもいかないんだから、よかったら差し上げますよ」と笑って仰っていた。
というわけで、おそらく100万円の3分の1位は家具代である。
「私は新築時に3000万円で買ったんだけどねぇ。30年近くで30分の1になっちゃうとは思わなかったなぁ」とため息もついておられた。

ちなみに今は同じマンションの同じタイプの部屋が10万円で買えます。
まぁ、売却益とかをあてにしてるわけではないので、現在の市場価格が10万円だろうと300万円だろうとどうでもいいのだが。

神田の歯医者さんのとこと同様、わが家の子どもたちもスキーは苗場で覚えた。
子どもたちが小さかった頃はワンシーズンに何度来たかしれない。
夏は夏で近隣の越後湯沢に「鱒(ます)どまり」(↓)という川遊びができる絶好のスポットがあるので、毎年、夏・冬は苗場で過ごした。


(新型コロナのせいなのか、あいにくの雨だからか、今回は誰もいなかった。)

長男は小学校5年生になった頃から友だちと遊ぶ方が楽しくなってきて、次第に一緒に苗場には来てくれなくなった。
次男は今、小学校6年生。今回、「パパはちょっと苗場行くけど、一緒に行くか?」と誘ったが、「今年の夏は色々、忙しいから」とすげなく断られてしまった。

というわけで、昨日から一人苗場生活を満喫している。
本読んで、酒飲んで、音楽聴いて、気が向いたらその辺をふらふらして。
それはそれでまぁ、幸せな骨休めなのだが、子どもたちが小さい頃から毎年、来ていた苗場は、そこら中が子どもたちとの楽しい思い出でいっぱいだ。
小さかった頃の子どもたちを思い出すと、懐かしさで胸が締めつけられるほど切なくなる。

この記事のカバー写真は長男が小さかった頃、「川の始まりから、大きな川になるまでを写真で追いかける」という夏休みの自由研究で苗場を流れる浅貝川の源流の一つである旧三国スキー場の湧水をデジカメで撮りに行った際に見つけた、通称「ちょうちん岩」
奇岩である↓


年をとって涙もろくなってるので、当時、小学校2年生くらいだった長男と見た「ちょうちん岩」を見ただけでなんだか懐かしくて切なくて涙が出てきたりする。ヤバい。
いや、こんな(↑)奇岩見てポロポロ泣いてる50男って、どう考えてもヤバいだろ。

私に苗場の部屋を(家具付き100万円で)売ってくれた神田の歯医者さんも、最後に苗場の風景を仰ぎ見たときには、きっと同じように胸を締め付けられたんだろうと思う。
体験が記憶になって、記憶が思い出になるというのは、こういうことなんだろう。

苗場に来て、幼い頃の長男と次男の笑顔を思い出すだけで、(たとえ今はどんなに憎たらしいクソガキにメタモルフォーゼしていようと)嫌なことも腹立つことも全部忘れて今すぐ抱きしめたくなってくるから不思議である。

それにしても、今年は苗場プリンスホテルも、越後湯沢駅前(↓)も、ほとんどゴーストタウン状態だ。


新型コロナの感染防止で、日本中、「とにかく観光地に来るな!住んでる都道府県から出てくるな!」の大合唱なので当然といえば当然なんだけど、こういう風景を実際に目の当たりにしてしまうと、「新型コロナが収まるより先に日本中の観光地が全滅するんじゃないか」と心配になってくる。

私は「新型コロナなんてただの風邪」論者ではないが、それにしても、ちょっと今の日本の現状は行き過ぎというか、ヒステリックに過ぎるというか、心配を通り越して正直なところなんだか気味が悪い。
人混みや屋内公共機関ではマスクを着用して、こまめに手洗いとうがいをして、手指消毒も面倒くさがらずにして、お店とかは一度に入店できる人数を制限して、帰宅したらすぐにシャワー浴びて、それでいいじゃないかと思っている。
もう少しみんな冷静になって、経済と感染防止との両立を図れぬものか。

幼かった長男を連れてよく来た越後湯沢駅前のへぎそば屋「中野屋」さんもこんな状態である↓

かつては店の外にまで入店待ちのお客さんが溢れている有名店だった。

長男が「美味しい、美味しい」と天ぷらそばをおかわりし続けて、帰りの車の中で腹痛を起こしたのも懐かしい思い出だ。

もう、ああいう日々は二度と来ないのかな。
苗場も越後湯沢も、どんどんどんどん寂(さび)れてっちゃうのかな。

記憶が思い出に変わるのって、いつも突然で、あっけないんだな。