つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

狛江市

2019-10-27 22:07:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第34回は狛江市。

地図で見ると・・・うわ、小っさ!(個人の感想です)

考えてみると、俺、東京に住み始めて37年経つけど、狛江市って一度も行ったことないかも。

てか、つい最近まで、
狛江市って神奈川県
だと思ってました。

そんな訳なので印象が薄いことこの上ない(あくまでも個人の感想です)。

とくに行ってみたい所も思い浮かばん。

というわけで、こーゆーときは最後の頼みの綱、Wikipediaで狛江市の観光名所を調べてみることに。
ちょこちょこ送られてくる「ご寄付のお願い」に付き合って毎回1000円も寄付してるんだから、たまには役立ってもらわんとな。

で、Wikiで狛江市を調べると「慶元寺」(けいげんじ)というお寺があるらしい。
徳川家康が入府する以前に現在の皇居付近に江戸城(後に太田道灌が築城した江戸城とは別の城)を構えていた江戸氏の菩提寺でもある。
ある意味、東京の原点だ。
生粋の江戸っ子の私(愛知県生まれ)としては是非とも行かねばなるまい。
さすがWikipedia。
俺の1000円は無駄じゃなかったな。

で、行って参りました慶元寺↓


三重塔や山門も見事です↓


満足して帰路についたものの、この違和感はなんじゃろ?

2〜3分走ってふと前を見ると「狛江市」の標識。
「うんうん。ここから狛江市か」

・・・えっ?

ここから狛江市?

バイクを路肩に停めて再度、Wikipediaで「狛江市」を確認すると↓


↑「喜多見側」???
喜多見って世田谷区じゃね?

念のため「慶元寺」も検索してみました↓


あぁ、やっぱり喜多見は世田谷区だ。
・・・って、

Wikipedia、紛らわしい掲載してんじゃねー!

もはや行くアテもなく狛江市内を彷徨う私は、さながら秋の空に浮かぶ糸の切れた蛸。じゃなかった、凧。
ポエムだな。

取り敢えず狛江駅に来てみた↓


一瞬、慰安婦像かとマジでビビった↓


その横には何故かラグビー・ワールドカップのマスコット「レンジー」も↓


なんでもありか、狛江市!

取り敢えず、駅前の案内図で見つけた「万葉歌碑」ってトコに行ってみることに。

ここ↓


彫られている文字は老中松平定信の書とのこと。
これです。木の枝が邪魔です↓


うむ。達筆ですな。
裏面には渋沢栄一の筆による撰文(せんぶん)も彫られているという。
これは写メらねば。
裏に回ってみました。


・・・読めんわ!

あと、狛江市立古民家園とか、兜塚(かぶとづか)古墳とか、多摩川河川敷とかにも行って来たんだけど何かモチベーション下がりまくりなので(しつこいようですが個人の感想です)、割愛しようかと・・・

え?見たいですか?
どうしても?

んじゃ、はい、これ。狛江市立古民家園↓


危険なキノコも生えてるみたいですね。


中に入ってみると、座敷わらしが。


いや、違った。座敷わらしのような子どもが。
てか、普通にみんな上がり込んで遊んでますがな。
座敷わらし、じゃなかった、子どもの横に写っているのは生首じゃなくて、多分、昼寝してるこの子のお父さん。

これ、兜塚古墳↓


ま、一言でいうと「小山」
ちなみに私の高校時代の1年上のナンバー8(ラグビーのスクラムでいちばん後ろにいる選手)は小山先輩。

これ、多摩川河川敷↓


先日の台風の水害の痕が痛々しい。


はぁ〜、疲れた。




小平市

2019-10-26 21:30:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第33回。小平市。

我が町練馬から新青梅街道を西に走ってわりとすぐなのだが、小平霊園くらいしか知っているところがありませぬ。
小平霊園には「シャボン玉」とか「赤い靴」の作詞家、野口雨情の墓とかもあるのだが、なんか、今ひとつ私の「日帰りツーリング心」に響かんのぉ。

小平という所は昔(江戸時代の初期。1654年頃)は水の便も悪く、人の寄り付かない無人の荒野だったらしい。
何がきっかけだったのか、そんな小平の土地を「開拓しよう」と思い立った酔狂者がいた。
武州多摩郡岸村(今の武蔵村山市)の小川九郎兵衛。
1656年。九郎兵衛は新田開発と馬継場の新設を幕府に願い出て、既に開削されていた玉川上水・野火止用水に続く小川分水の開削許可を受けるところまで漕ぎ着ける。

ところが。
「なんでわざわざ苦労してあんな荒地を耕さなきゃならないんだ」と誰も相手にしてくれない。
九郎兵衛は周囲に笑われながらも自分の夢を捨てず、遂には全財産を投げ打って農民を呼び寄せ開発を進めた。
このとき九郎兵衛が江戸市ヶ谷の月桂寺住職・雪山碩林大禅師を勧請して開山したのが醫王山小川寺(いおうざん しょうせんじ)。
境内の墓地には九郎兵衛の墓もある。

今ある1を10にするより、何もない0から1を生み出すことがどれだけ物凄いことか。

今では人口20万人近くを数える小平市も、最初はたった一人の男が何も無い荒野に水を引き、種を撒いたところから始まった。

三国志時代。空城になっていた合肥(がっぴ)に単身乗り込み、数年後には人口数万を超える魏国の重要軍事都市(※呉の孫権は10万の兵で100日攻めても合肥を落とせず撤退した)に育て上げた劉馥(りゅうふく)のような男が江戸時代にいたとは。

というわけで小川寺に行ってみました。
青梅街道に面した山門がいきなり見事です↓


禅宗のお寺らしい質素で凛(りん)とした佇(たたずま)いの本堂もなかなか。


境内のあちこちに菩薩や如来の石像があって見飽きることがありません。










小川九郎兵衛の墓はこちら↓


九郎兵衛の子孫は江戸時代の終わりまで代々、小川村(今の小平市)の名主を務めていた。
その小川家は小川寺からバイクで青梅街道を東に10分ほど走ったところにある「小平ふるさと村」の中に復元されている↓


この小平ふるさと村、こじんまりとした敷地内に小川家以外の建物や水車(今も動いてます)も復元されていて、お土産も買える。
かなりの穴場。








日本でブルーベリー栽培を最初に始めたのは小平市だということで、お土産にブルーベリージャムとブルーベリーケーキ、それに慶應義塾大学のイニシャル「K」の角六ベーゴマを買ってみた(よーく見ると「K」は最後の一つ)↓


ふるさと村の中をふらふら散策してたら、東京都の職員の方から呼び止められてアンケートに答える羽目に。
回答後に、「来年はオリンピックということで記念グッズを作りました。アンケートのお礼にどうぞ」とバッヂを貰いました↓


いや、でも・・・

マラソン、札幌に変更されちゃったぢゃん!







国分寺市

2019-10-20 16:34:00 | 晴れた日は仕事を休んで
左手人指し指の傷口もなんとかくっついた(ような気がする)ので、東京日帰りツーリング再開でござる。

第32回は国分寺市。

行ってきたのは国分寺市と国立市の境にある「たまらん坂」

国立市編で行ってもよかったんだが、坂のほとんどは国分寺市側にある上に、今回、この坂を目的地に選んだきっかけとなったRCサクセションの「多摩蘭坂」で歌われている「忌野清志郎さんが住んでいたというアパート」もおそらく国分寺市側にあったと思われるので、国立市編は滝乃川学園に譲った次第です。

国立市出身の中野兄貴(仮名)には、「国立市で滝乃川学園に目をつけるとはさすがだ!国分寺市編はきっと例の坂だろ」と見抜かれました。
兄貴、さすがのご慧眼(けいがん)。
恐れ入りました。

YouTubeで、清志郎さんがたまらん坂で「多摩蘭坂」を歌っている貴重な映像を見つけたので、RCファンの方はどうぞ↓
たまらん坂の由来は、一橋大学(当時はまだ東京商科大学)が1927年(昭和2年)に千代田区一ツ橋(当時は東京市神田区)から国立市(当時は北多摩郡谷保村)に移転した際、国分寺駅から学び舎(や)に通う学生たちがあまりの急坂に「タマラン、タマラン」と音をあげた、というところから来ている。

現在はバス停まで「多摩蘭坂」となってるが、「たまらん坂」という、ただただ辛そうなだけの坂に「多摩蘭坂」という地理的にも語感的にも視覚的にも美しい漢字を当てたのは清志郎さんが最初ではなかったかと思う↓


上のYouTubeで「多摩蘭坂」を歌う清志郎さんのバックに石垣が見えるが、清志郎さんが住んでいたというアパートはおそらくこの石垣の上にあった。
今はこの石垣もなくなってしまったが、当時は石垣にRCファンの落書きがたくさん書かれていた。


昭和2年当時はかなり勾配もキツかったようだが、その後、坂は削られ、現在では勾配はかなり緩やかになっている。

これは坂の上、国分寺市側から国立市側を見たところ。ずーっと向こうに一橋大学の建物も見えます↓


こちらは坂の下から国分寺市側を見たところ↓


坂を降りた交差点の角に案内板が建ってます↓

RCサクセションが「雨上がりの夜空に」や「トランジスタ・ラジオ」で日本のロック界に旋風を巻き起こしたのは1980年。私は16歳。高校1年。ラグビー部でしごかれまくってた時だ。
ちなみに、忌野清志郎さんの本名は栗原清志。前回、「ブログにラグビーのことも書け」とリクエストをくれたラグビー部の同期クリ(仮名)は栗原隆志(仮名)。
いや、ただ、それだけのことなんだが。

「多摩蘭坂」が発表されたのは翌1981年(アルバム「BLUE」収録)。
私は出来の悪い高校2年。学校の成績は相変わらず劣悪だった。
こんな感じ↓
赤字や赤い下線が引かれてるのはいわゆる「赤点」。つまり単位不認定だ。





どうでもいいが、「担任所見」を見るとエラい言われようだな(笑)

ラグビー部ではどうにかこうにかレギュラーに食い込み、高校生活は全てがラグビー中心で回っていた。
そんな私に「部活動と勉強の両立を」とか「部活動を理由に勉強から逃げている」とか言われてもなぁ。

あれから38年。

私は54歳になり、高校時代の私の成績を知る(主にラグビー部の)仲間たちからは、
「どーゆーコズルイ手を使ったんだ!」
と驚かれながらも司法試験を通り、今はしがない弁護士である。
なんの手違いだか、高校の教科書検定の専門委員なんぞも何度かさせて頂いた。
文部科学省も何考えてんだか。
私が高校時代に教科書を読んでいた総時間を知っての狼藉(ろうぜき)か?
文部科学省の担当の方もこのブログを読んでくれているそうなので、私の高校時代の通知表を見たら、次回からはおそらくお声もかかるまい。

38年前。
「世界」が100m向こうのゴールラインより遠かった日本代表は今日、4強入りをかけて南アフリカと戦う。
まもなくキックオフである。

勉強なんて自分には永遠にできないんじゃないかと思っていた17歳の私。
向かっていっても向かっていっても世界に跳ね飛ばされ、叩き潰され続けた日本ラグビー。

でも。
目の前に立ち塞がっていたのは、自分の限界を決めつける絶望の壁じゃなく、「たまらん、たまらん」と叫びながらも乗り越えるべき坂だった。

(私の二人の息子を含む)全ての若僧諸君。

たとえ今は強固で高い壁にしか見えなくても、
君たちが今、ぶつかっているのは限界という名の壁か?
それともいつか乗り越えるべき坂か?



誇るに足る敗北は、時に勝利に勝る

2019-10-11 00:40:00 | 日記
左手人差し指は明日、抜糸の予定ですが、当分、バイクには乗れそうもありましぇん。
傷口が完全にふさがったわけじゃないので怖くてクラッチ・レバー握れんのぢゃ!

というわけで日帰りツーリングの記事は暫(しば)しお休み。
バイク好きのブログ読者の皆様(何人いるか知らんが)、すまん。

史上最大級の台風も来てるしね。

台風といえば、ラグビー・ワールドカップの日本vsスコットランド戦の行方が気になって気になって2〜3日前から仕事も手につかん。
ホントのところは、今、抱えてる裁判がどうにもこうにもムカつくことばかりで、要するに仕事したくないだけなんだが。

私のポリシーとして、進行中の裁判についてはマスコミの取材は一切受けないし、ブログにも書かないし、流行りのTwitterとかで情報発信もしない。
弁護士である以上、法廷がすべてで、法廷外で相手を誹謗したり、懐柔(かいじゅう)したり、貶(おとし)めたりするのはルール違反だと思うからだ。

ま、今、ムカついてる裁判については、いつの日か記事にしてアップするのでそれまで待たれい。

さて。
ラグビーといえば、私、何を隠そう(隠してないが)高校時代はラグビー部でした。
50歳過ぎた今でも連絡を取り合う高校時代の友人といえばほとんどがラグビー部の連中である。
同期のノトヤ(仮名)は先日の日本vsサモア戦の試合会場から写メを送ってくれた。

この記事のカバー写真↑とこれ↓
(PHOTO by ノトヤ)

日本vsサモア戦。
私は出張先の金沢のホテルの部屋で見た。
当然だが試合の終了直前、日本が4トライ目を取った時にはダダ泣きした。
同期のクリ(仮名)から、「最後うんこちびらんかった?」と(名古屋弁で)LINEが来たが、
もちろん、ちびった。

そのクリ(仮名)から、「ブログにラグビーの話も書け」と指示が来た。

よし。書く。

というわけで今回はラグビーのお話。

私の周りのにわかラグビーファン(主に女子)からよく言われるのが、
ルールが分かりにくいですぅ❤︎

うむ。たしかに。
ただ、「とりあえず楽しんでラグビーを観る」ということなら、以下の1〜11を覚えておけばよろしい。

1.ボールは前に投げたり落としたりしちゃダメ。
2.ボールを持って前に走ったり、前に蹴るのはOK
3.反則があると主審がプレーを止めて、「軽い反則ならスクラム」「中くらいの反則ならフリーキック」「重い反則ならペナルティキック」でそれぞれプレー再開、と覚えておけばOK
4.相手の陣地(ゴールラインの向こう)にボールを押さえつければトライ(5点)。
ちなみに「トライ」の語源は、相手の陣地にボールを押さえつければ、相手のゴールポストにボールを蹴り込む(コンバージョン・キック)挑戦(トライ)権が与えられる、というところから来てる。
5.コンバージョン・キックに成功すると(ゴールポストの間をボールが通れば)2点。
6.コンバージョン・キック以外でゴールポストにボールを蹴り込めば3点
7.相手の反則が重大で、「おいおい、その反則なかったらトライが決まってたんじゃね?」と主審が判断したら7点(ペナルティ・トライ)
8.蹴ったボールがサイドライン(グランドの縦長方向のライン。端から端まで100m)から外に出たら、外に出た場所orボールを蹴った場所のどちらかからボールを投げ入れてプレー再開(ラインアウト)。投げ入れる場所は「ボールを蹴った場所がどこだったか」で決まる。
9.双方のチームの選手がボールを持った選手に集まって揉みくちゃになってるとき、ボールが地面に落ちてれば「ラック」、選手の誰かがボールを抱えて立ってる状態が「モール」。どちらも、なかなかボールが外に出て来ないと主審が判断したらその場でプレーを止めて、スクラムで再開。スクラムにボールに投げ入れるのは、モール(orラック)でボールを優勢に保持してた方のチーム。
10.主審の判断は絶対。
時に選手や監督が審判に食ってかかったり、ひどいのになると暴行までしたりして退場させられてるようなスポーツとは違うのだ。
11.最後。これがいちばん重要。
てか、これだけ覚えてれば他のことはどーでもよろしい。
試合が終わったら敵も味方もない。相手をリスペクトしてお互いを讃(たた)えあう。
ノーサイド。
試合が終わってもグダグタと相手を罵ったり、サポーター同士が乱闘騒ぎを起こすようなことはラグビーでは絶対にない。


で、サモア戦。

ラスト5分は、たぶん、ラグビー史上に残る場面だった(クリの言葉を借りれば、「うんこちびる」ほどの名シーン)。

世間ではサモアフォワードを凌駕した日本フォワードのパワーとか、日本人離れした姫野の突進力とか、トライを決めた松島の快足ばかりが評価されちゃってるけど、私は松島のトライの5分前のサモアの戦い方に感動して泣いた。

ラグビーの試合時間は80分。
その間に怪我人が出たりしてプレーが止まった時間があれば、オーバータイムが追加される。

あの日のサモア戦。
終盤、日本は31-19でリードしていたけどトライ数は3つ。
悲願のベスト8進出のためには「1試合4トライ以上」に与えられるボーナスポイントがどうしても欲しかった。

オーバータイムに突入する直前の79分25秒。
ここで日本は自軍のラインアウトからモールに移った所でサモアにボールを奪われてしまい、サモア側のボールでスクラム。
この時点で試合開始から80分が経過したことを知らせる銅鑼の音が鳴った。ここから先はオーバータイム。
ところがその直後、日本は痛恨の反則。サモアのフリーキックで試合再開。

ここでサモアがボールをサイドラインから蹴り出していれば、
試合は終了だった。

31-19で試合には勝てたけれど、日本はボーナスポイントを取れなかった。



サモアは、ボールを蹴り出さなかった。



自陣のゴール直前から100m先の日本のゴールまで走り込んでトライを奪う可能性にサモアは賭けた。
トライとコンバージョン・キックを成功させれば31-26。
試合には負けるけれど、「得点差7点以内の負けチーム」に与えられるボーナスポイントが手に入る。それはプール戦(予選)敗退を首の皮一枚の差で回避できる可能性が出てくる、ということ。

80分を走り抜いて、ぶつかり続けて、体力的には誰もが限界のはずなのに、サモアの選手たちは100mのトライに賭けた。

たとえ負けが決まっていても、サモアの選手たちは誰一人、最後まで勝負を投げようとしなかった。
自分たちの可能性を髪の毛一本も疑わなかった。

結果的には日本に4トライ目を奪われてしまったけれど、日本中が感動したあの松島選手の4トライ目は、サモアが最後まで試合を投げずに走り続けようとしたからこそ生まれた。


ラグビーは人生に似ている。

楕円形のボールはいつだって不条理に転がる。
体力的にも技術的にもとてもかなわない相手の突進を止めなければならない場面が何度もやって来る。
痛くて苦しくて、楽しいことなんかほんの僅(わず)かしかないのに、負けることが分かっているのに、それでも走り続けなければならない。

でも。

誇るに足る敗北は、勝利に負けず劣らず美しいときがある。


私はあの日以来、サモアの大ファンだ。



















ゆびきり

2019-10-03 09:08:00 | 日記
昨日の朝のこと。

自宅屋上の芝生が伸び放題なので、本格的な秋に突入する前に最後の刈り込みをしておこうかと早起きしておじいさん(=私)は屋上に芝刈りに。

いや、別に油断してたわけではないんじゃ。

ただ、私はとにかく朝に弱い。
弁護士会の健康診断で朝イチの枠に割り振られたりすると、たいてい、血圧は二度三度と測り直される。
午前中だと上の血圧、下手すると100あるかないかだったりするからだ。
血圧測ってくれる看護師さんが「血圧計の故障か?」と思うらしい。

朝イチの裁判期日はなるべく回避するよう努力する。
立ってるだけでも精一杯で、裁判官から面倒くさい釈明とかされたら、
「はい。和解で結構です」
とか言っちゃいそうだからだ。


そんな低血圧大王の私が朝6時に起きて芝刈りですよ。
そりゃー事故が起こらないほうが不思議ですな。

芝と一緒に左手人差し指まで刈りました。
使っていた芝刈り機はハンディタイプのこんなヤツ↓


(Amazon プライムの画像より)

いや、もう、血が出る出る。

めちゃクソ痛いし。

とはいえ、朝の6時15分。
近所の病院もまだ開いてないし。
痛みで気が遠くなりそうなので自分で車を運転して病院の救命救急に行こうにも、病院着くまでに誰か轢き殺しそうだし。

取り敢えず下のチビにスマホで検索してもらって東京消防庁の救急相談センター(#7119)に電話してみました。
結局、「すぐに救急車を向かわせます」と言われ、救急車で練馬総合病院へ。

3針縫いました。


(リアルな傷口はあまりにグロ過ぎるので自粛)

あと1cm深くバリカンの歯が入ってたら左手人差指の先が丸ごとなくなってたとこでした。

痛み止めが切れるとジンジン痛いし。

こりゃー、しばらくバイク乗れないかも。
ちゃんとクラッチレバー握れるかどうか。

というか、今週末の日曜は金沢でゴルフコンペなんだが。
クラブ振れるかしらん。

前日入りするため金沢のホテルは予約済みだし、月曜は大阪地裁で裁判なのでゴルフコンペ後は金沢から大阪に直行予定で大阪のホテルも予約済みだし。

うーむ、困った。


ぜんぜん関係ないけど、傷口縫ってもらってる間、ずっと頭から離れなかった疑問をここで本ブログ1000万の読者に問う。

「ゆびきりげんまんのゲンマンって何だ?」