つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

蛇の夢(夢占いに詳しい方のコメント募集中)

2014-10-30 10:07:42 | 日記

「セブンイレブンじゃ買わないぞ!」と宣言して早4日目。

何が辛いと言って、ローソンやファミリーマートのコーヒーが美味しくないのが一番辛い。

あぁ、セブンカフェが懐かしい。

くっそー、セブンイレブンめ。子どもの笑顔ばかりか、俺のささやかな楽しみのコーヒーまで奪いやがって。

事務所近くのセブンイレブンは妖怪ウォッチキャンペーンのPOPもちゃんと取り外してるしな。不買対象のセブンイレブンは練馬区●●店だけにしちゃおっかな。

・・・弱っ、俺。

 

閑話休題。

昨夜、蛇の夢を見た。以下、夢の詳細である。

 

黄色っぽい、茶色っぽい、けっこう大きい蛇に何故か懐かれた。噛みついてくるわけでもなく、私にまとわりついている。試しに頭を撫でてやると嬉しそうに目を細めたりしている(試すなよ、俺!)。

彼女(後に雌蛇だったことが判明したので)は、私のベッドの上でいつも幸せそうに蜷局(とぐろ)を巻いて眠っている。

懐かれているようではあるものの正直言って気持ち悪い。

 

出てって欲しいけど、やっぱりこっちが彼女(蛇)の気持ちを拒絶すれば、噛みついてきたりするんだろうな。おぉ、そのあたりは雌蛇も人間の女性も同じではないか。そう言えば、イブを誘惑したのも蛇だったな。などと、したり顔で悟っている場合ではないな。

今夜からどこで寝るんだ? 蛇とか? 寝ぼけて蛇を抱き枕と間違えて抱きしめたりとかしたらどーする? ヌメヌメだぞ、たぶん。剥がれた鱗(うろこ)とかがパジャマに付いちゃうかも。

って、問題はそこじゃないだろ。

外に放り出したいが噛みつかれたりしたら怖いので手が出せぬ。性悪女に惚れられて縁が切れないような心持ちだ。おぉ、そのあたりは雌蛇も人間の女性も・・・って、話が進んどらん。

「ど、ど、ど、どうしよう。こいつぁヘビーな試練だぜ」

とか、親父ギャグで悩んでいたところに母親だったか妻だったかが私のベッドでスヤスヤ眠っている蛇を見て一言。

「あら、卵」

タマゴ?目ェおかしいんじゃないか? どこをどう見れば、こいつが卵に見えるんだ?

と毒づきながら、ふと不安に駆られ眠っている彼女(蛇)をそっとどかしてみると、布団の上に10個くらいの白いまん丸な卵が!!

卵から子蛇が孵ったらいくらなんでも気持ち悪過ぎだ。お前(蛇)もなに暢気な顔して卵温めてるんだよ! いや、蛇にはあまり表情はないな。

てゆーか、そこ、お前の巣じゃなくて俺のベッドなんですけど。

 

とにかく卵だけでも駆除(?)せねば。しかし、卵を取り上げようとしたら、やっぱ母親(蛇)は怒るだろうな。

というわけで、まずは彼女(蛇)からお引き取り願うことにする。

彼女をそっと持ち上げて玄関から外に出したら、うねうねしながらどこかに消えてしまった。

次は卵の処理。

いつ孵化するかわからないので、みだりに外に捨てるわけにも行かぬ。家の近所が蛇だらけになったらヤだ。

仕方ないので、カナヅチで一つずつ叩き潰すことにする。我ながら残酷だとは思うが他に方法が思い浮かばぬ。

白い卵を次々にカナヅチで割ってみたら、中身は何故か茹で上がった黄身ばかりであった・・・・。

 

という夢である。

気持ち悪かった。寝覚めが悪いとはこういうことか。というより、眠ってる最中も気持ち悪かったが。

と、気持ち悪かった夢を反芻しつつ、先ほど、事務所に着いて上着を脱いだら思わず尿道が開きました。

ひぇぇぇぇ~↓

 

は虫類とムシの嫌いな方、すいません。

何かの幼虫らしき生き物は勇気ある秘書嬢が隣の四谷警察署の敷地に捨ててくれました(不法投棄?)。

 

夢占いに詳しい方。

「黄色っぽい、茶色っぽい大きな蛇にベッドに卵を産み付けられて、蛇が立ち去った後に卵を割ったら、中身はゆで卵だった」という夢を見た翌朝、出勤途中に背広の襟首に何かの幼虫がくっついて事務所まで来た・・・というのは吉夢でございましょうか?

 


セブンイレブン(練馬区某店)の品位

2014-10-27 16:12:50 | 日記

今、セブンイレブンでお菓子を2つ買うと妖怪ウォッチの等身大ポスターがもらえる、というキャンペーンをやっている。

「アニメキャラクターの等身大ってなんだ?」

という素朴な疑問はさておき、昨夜、子どもたちと近所のセブンイレブンに行った。

店内にはこのキャンペーンの告知が貼られまくり、指定のお菓子の棚の商品値札にもキャンペーンのお知らせ表示がベタベタと貼られている。

妖怪に取り憑かれている我が家のチビどもはワクワクしながら2個ずつお菓子を選び、私と妻はアイスクリームを選んでレジへ・・・。

EDYで支払いを済ませ、レジ袋に商品を入れてもらって・・・って、いっこうにポスターが出てこない。

それどころか「ありがとうございましたぁ」と爽やかな声で我々家族4人を送り出そうとしやがる。

困惑した表情のチビども。

「あの、ポスターもらえるんじゃないんですか?」

と気の弱い私がおずおずとレジにいた店長に尋ねると、店長はしれっと

「あぁ、ポスターはもう品切れでありません。」

聞けば、ポスターはほとんどキャンペーンの初日に無くなったそうである。キャンペーンはたしか10月7日からだ。

後で確認したセブンイレブンのHPにはたしかに「ポスター無くなり次第終了。各店先着40名様限り」と書いてある。

 

そもそもこの列島を覆う「妖怪ウォッチ狂騒曲」の中、1店舗に40枚しかポスターを用意しないで「キャンペーン」などと大々的に告知するセブンイレブン広報担当者の神経もどうかと思うが、昨日は10月26日。店長証言が真実ならば、ポスターが品切れになってから既に2週間以上が経っている計算である。

私がぶち切れたのは言うまでもない。

どうしてお金(EDYだけど)を受け取る前に「ポスターはもうないんです・・・」と一言説明しない?

どうしてポスターが無くなっているのに2週間以上もキャンペーン表示を外さない?

相手は子どもではないか(今回、代金を払ったのは私だが。)。

「セブンイレブンはそこまでしてお菓子を子どもに買わせたいのか?」とクレームをつけてその場で返金してもらったが、そこにいたのが私ではなく、自分の言いたいことも上手く言えない、商品売買契約のキャンセルということにも思いが至らない、未熟で気の弱い子どもだけだったら、がっかりしつつもお菓子だけを買って帰るんだろう。一生懸命貯めたお小遣いと引き換えにした(された)お菓子2つを持って。

ポスターが品切れになった後、昨夜私が吼えた約2週間の間に、そういう目に遭った子どもが一人もいなかった、とは言わさないぞ。

以前にブログでも書いたが、もう一度言うぞ。妖怪ウォッチに群がる大人ども。

最近はその下劣ぶりがますます目に余る!

子ども相手にインチキな商売するなよ。

子ども相手に卑劣な商売するなよ。

1個たかだか200円そこそこのお菓子を売るために子どもたちから笑顔を奪うなよ。

ぶち切れた(気弱な)私から、

「天下のセブンイレブンが、子ども相手にそんな姑息な商売してちゃダメだよ。 今すぐキャンペーンの値札とポスターを外すか、『ポスターは品切れになりました』ってちゃんと告知しなよ。」

と言われた店長はビビリまくって必死に店内の値札やポスターを外しておられました。

ものの5分程度で出来ることを、どうして2週間以上も放置しておく? 意図的だったな、と言われても言い訳できないぞ。

 

はい、すいません。弁護士にあるまじき品性でございます。

大阪の橋本さんと同じレベルやも知れません。店長のことを「あんた」とか「おまえ」とは言いませんでしたが。

 

当分、セブンイレブンでは何も買わぬ。

私にはローソンとファミリーマートがある。


Tの品位

2014-10-14 12:10:07 | 日記

「Dの意思」に続いて「Tの品位」である。

ちなみに、N社長によると、D君は今、長い長いトンネルに入り込んでしまっているらしい(トンネル掘りのバイトに行ったんじゃないぞ。比喩な。)

 

今回のTは2人だ。

一人はこのブログにもたびたび登場している高橋いさをさん(それどころか、いさをさんはご自身のブログでこのブログのことにも言及してくれている。ひゃー、ありがとうございます!)。

もう一人は私の親父の恩人でもありゴルフの師匠でもある顧問先のT社長(詳細は過去のブログ記事を参照されたい。)。

 

お二人にはいくつか共通点がある。

一つ。私より年上の先輩であること。

二つ。極めて温厚で品のいい男性であること。

三つ。昔はかなり激しい性格だったらしいということ。

四つ。自分の好きな道で生きていること。

 

いさをさんとはかれこれ四半世紀を超えるお付き合いになってしまったが、その間、いさをさんが声を荒げたり、人を悪し様に罵ったり、怒りの感情を露わにしたところを私は見たことがない。

先般、「ぶれさんぽうず」の稿で私が、

「いさをさんは私が何を言ってもニコニコと聞いていてくれる。パンチドランカーじゃないかと心配になる。」

と書いたら、早速、これについてのコメントをご自身のブログで書いてくださった↓

http://ameblo.jp/isawo-t/day-20141007.html

 

「この人は大人だなぁ」と思うのは、いさをさんのブログ中の、

「他人には他人の人生と価値観があるのだから、それがわたしと違うからと言って目くじらを立てても始まらない。だから、怒ることもなく、まずは全部受け入れる。」

という一節だ。

スゴイのは「だから、怒ることもなく」という部分ではなく、「まずは全部受け入れる」というところ。

「怒らない」ということは何となくできそうな気もするが(要は「イラッ」としてもガマンしてしまえばいいのだ。それすらできていない私が言うのもナンだが。)、「まずは全部受け入れる」というのは難しい。

というか私には無理だ。

「まずは全部受け入れる」というのは裏を返せば、自分の生き方に揺るぎない自信と誇りがないとできない大人の対応なのである。

 

一方、T社長は大学卒業後、名前を聞けば誰でも知っている一流ホテル(先般、申告漏れで名前の挙がった日比谷公園の向かいのホテルじゃない方)に就職し、その後、これまた名前を聞けば誰でも知っているアメリカの超一流ホテルに転職(というか就職留学)し、帰国後は某一流商社に迎えられて世界的な某ホテルチェーンの日本展開に先鞭を付けられた方である。

そして今はご自身でホテルのオペレーション会社を経営しておられる。

T社長が手掛けているホテルの稼働率は毎月(ほぼ)100%だ。この稼働率は驚異的を通り越して異常である。

 

で、T社長。この方もいさをさんと同様、温厚極まりない。

私が紹介する人物を、「あの人はいいですねぇ。」「彼はいい男ですねぇ。」と、ことごとく肯定してくれる。

出会いの入口の部分で人を否定するとか疑ってかかる、ということを絶対にしない。

自分を裏切った人間に対しては容赦ないが、まずは、全部肯定して受け入れる。この点、いさをさんとまったく同じである。

だからかもしれないが、両T氏は人に恵まれている、と思う。

周りにいいブレーンが多い。彼らを裏切ったり、利用したり、という下世話な輩が継続して彼らにまとわりつくこともない(ように見える)。

 

あと、T社長は、アメリカでご苦労されてきただけあって、「人間としての大切な部分」が程良くアメリカナイズされている。と私は勝手に思っている。

例えば、T社長は、何かしてもらったとき、必ず「ありがとう」と言う。

レストランでウエイトレスがお水を持って来てくれたとき。レジでお金を払うとき。タクシーを降りるとき。私の事務所で会議中に秘書がコーヒーを持ってきたとき。

高速道路の料金所でお釣りをもらったとき料金所のオジサンにまで「ありがとう」と仰っているのを見たときはさすがに恐れ入った。

よくよく考えれば、アメリカ人って何かにつけて「サンキュー」って言う。

ハワイとかニューヨークに何度か遊びに行ったことがあるが、アメリカという国はびっくりするくらい街中に「Thank you」が溢れている。あまりに頻繁に「サンキュー」と言うので現地では不感症になってしまって気にも留めなかったが、日本でT社長のように、ことある毎に「ありがとう」と言う人を見ると、(しかもそれが私と同じコテコテの日本人だったりすると)軽いカルチャーショックを覚えたりする。

 

弁護士という仕事をしていると、「アメリカ留学しました」「ニューヨーク州弁護士の資格取ってきました」「私はカリフォルニア州の弁護士資格です」という輩に掃いて捨てるほど会う。

しかし、T社長のように爽やかに、誰に対しても、呼吸をするのと同じくらい自然に「ありがとう」という人を、私はまだ見たことがない。というより、(同業者を批判して恐縮だが)弁護士という人種はやたら偉そうで、上から目線で、「軽やかに人にお礼を言う」ということが生理的にできない人の集団のように思う。

以前、ある弁護士(ニューヨークからの留学帰り)と牛丼の松屋で昼食を取った際、店を出るときに私が店のスタッフに「ごちそうさま」と声をかけたら、彼は、

「平岩さん、牛丼屋にまで『ごちそうさま』って言うんですね。やっぱり、顧客の開拓って、そういうところからですよね。」

とぬかしおった。

 

そーゆーことじゃねーだろ?

 

異国に留学する、ということの意味は、語学の修得、資格の取得、見聞を広める、人脈を作る・・・と人それぞれであろう。人それぞれであろうが、T社長のように「アメリカでの体験を、いい意味で自分の骨肉とした人」にはなかなか出会わない。

 

話を戻す。

いずれも自己申告だが、いさをさんはその昔、稽古場に竹刀を持ち込むほどの激しい演出家だったそうだ。

T社長も瞬間湯沸かし器に近いほどの、激昂しやすい性格だったという。

 

何がお二人をここまで変えたのか。

人間というのは修羅場をくぐり抜けて年輪を経るとこうまで変わることができるものなのか。

イニシャルがTだからか? Hはダメなのか?

 

そもそも、

「他人には他人の人生と価値観があるのだから、それがわたしと違うからと言って目くじらを立てても始まらない。だから、怒ることもなく、まずは全部受け入れる。」

というのは、弁護士という仕事をしている私にこそ求められるものではないのか? にもかかわらず、この攻撃的かつ批判的かつ品のないブログは如何なものか。

そう逡巡して悩み苦しみ、この1週間というものブログの更新に手が付けられませんでした(←ウソ)。

試しにいさをさんのブログを覗いてみて欲しい。

私のブログのように誰かを批判したり、攻撃したりする記事は皆無である。そして何よりスゴイのは「毎日更新」を続けていることだ。

 

品位のある記事を毎日更新し続けること。

広い間口で人と接すること。

人の悪口を言わないこと。

否定するより肯定すること。

どんな小さなことでも、誰かに何かをしてもらったら、「ありがとう」ということ。

 

「人間の品位」というのは、こういう所に現れるものなのである。


御嶽山の噴火と小三治のまくら

2014-10-03 12:50:22 | 日記

上野鈴本演芸場10月上席の夜の主任は柳家小三治師匠である。人間国宝(内定)だ。

これは行かねばならぬ。

というわけで久しぶりに寄席に行って来ました。

人間国宝ともなると「落語を聴きに行く」というより、「拝観料を払いに行く」ような心持ちである。

 

小三治師匠以外の落語家さんは、

柳家禽太夫(辰巳の辻占)

柳亭燕路(たらちね)

古今亭菊志ん(紙入れ)

春風亭一之輔(蝦蟇の油)

柳家はん治(老年夫婦ネタの新作)

であった(敬称略。かっこ内は当日のネタ。但しネタの順番は今ひとつ記憶に自信がない。)。

あと、前座さん。名前は忘れた(ネタも)。

 

小三治師匠といえば「まくらの小三治」。

「まくらだけでも一席成立する」と言われる人だ。人間国宝に選ばれた詳しい理由は存じ上げないが、「まくら」を一つの芸にまで昇華させた功績が評価されたことは間違いなかろう。

 

10月1日の「まくら」は「御嶽山噴火」であった。

 

亡くなった方々の数は雲仙普賢岳の噴火を超えて戦後最悪となり、日々、新たに発見される犠牲者のお名前が発表され、自衛隊や警察・消防が行方不明者の捜索を懸命に続けている、というこの状況で、である。

「笑い」という落語の世界から最も遠い場所に位置する話題と言っていい。

当然、客席の反応も微妙である。

小三治師匠なので、それでも語りの端々に「クスっ」と笑うツボを織り込んでくるのだが、テーマがテーマだけに(しかもあまりにリアルタイムなので)客の方がついて行けてない。いつものように「ドッ」と笑えないのだ。

・・・・・なんなんだ、この何とも言えない緊張感というか引きつった笑いの空間は。

 

そして本編。

小三治師匠が選んだネタは「野ざらし」であった。

このタイミングで御嶽山噴火を「まくら」に据えて、本編で「野ざらし」を演る、ということには批判もあるはずだ。いわゆる「小三治信者」と揶揄されるような盲目的に小三治師匠を崇拝している方々以外の客は、多かれ少なかれ心に打ち込まれた違和感を抱いたまま「人間国宝 小三治」の話を聞いていたはずだ。私も違和感を持った一人である。

柳家小三治はバカではない。客が戸惑うことも、場合によっては「不謹慎ではないか」と批判されることも当然分かっていたはずだ。

それなのに小三治師匠は敢えて「御嶽山噴火」から「野ざらし」へと話を紡ぎ、一礼して高座を下がっていった。

 

帰りの銀座線の中で気づいた。

あれは柳家小三治という稀代の天才落語家にしかできない「鎮魂歌(レクイエム)」なのだ。

 

この世界では、日々、どこかで、誰かが不幸になり、あるいは非業の死を遂げていく。

その一方で笑いを求める人がいる。求められる笑いを提供することを生業としている人もいる。

目の前の不幸から目を背け、何もなかったかのように落語を語るのは簡単だ。

目の前の不幸に哀悼の意を表するのだと、高座を自粛してしまうのも簡単だ。

しかし、ダンサーがダンサーであり続けるために死ぬまで踊り続けるように、落語家はこの世のどんな不幸に直面しようとも落語を語り続けなければならぬ。

目を背けるでもなく、語ること自体を諦めるでもなく、批判を浴びることを承知の上で、客が注目する「まくら」で御嶽山噴火を語り、なおかつ「野ざらし」を演じてみせることが、「まくらの小三治」が選択した犠牲者への祈りだったのだろう。

 

柳家小三治を嫌う人、否定する落語家も多いと聞く。

が、目の前の悲劇に背を向けることなく、自分の芸を通じて犠牲者の方々に何かを手向けようとした柳家小三治の生き様を私は目映い、と思う。

天才と呼ばれる人間の芸は、我々凡人の理解を凌駕して、なお、もの凄い。 


ぶれさんぽうず

2014-10-01 15:02:58 | 映画

という話芸集団の朗読舞台「母の法廷」の法律監修をさせて頂いている。

脚本・演出はこのブログでもご紹介したことのある敬愛する高橋いさをさん(映画「LIFE!」のレビュー参照のこと)。

いさをさんの脚本については、以前にも「モナリザの左目」(だったか右目だったか・・・)の法律監修もさせて頂いた。たしかこの作品はいくつかの賞も獲得したはずで、評判も上々だったと記憶している。

 

というより、いさをさんとは今から四半世紀前に一緒に舞台作品も作らせて頂いた仲である。

「カップルズ~世界で一番嫌いなあいつ~」という作品。今思い返してみてもなかなかの佳作であった(ステマ?)。

 

で、今回は冒頭の「ぶれさんぽうず」の「母の法廷」である。

「ぶれさんぽうず」というのは「Breath and Pause」(呼吸と間)の意味だそうだ。

最初聞いたときはONE PIECEに出てくる海坊主の仲間の名前かと思った。

内藤和美さんと、斉藤由織さんと、池田郁子さんと、近藤サトさんが出演されるそうだ。

弁護士役は近藤サトさんだと伺っている(情報提供者:高橋いさを)。

あのサトさんがどんな最終弁論をされるか、非常に楽しみである。

 

「法律監修」とか言いながら、私がこういう性格なので(&相手が気心の知れたいさをさんなので)、法律以外の部分でも脚本にはバンバン注文というか意見を出しまくりだ。

わたしの身の程わきまえない、クソ生意気かつわがまま放題の意見(と言える程のものなのかどうか・・・)をいさをさんはいつもにこにこ笑いながら辛抱強く聞いていてくれる。

「もしかしたら、この人はパンチドランカーなのではないか?」

とたまに心配になったりする(うわっ、天下の高橋いさを大先生に向かって・・・)。

 

いつもこのブログで辛辣な映画レビューばかり書いているので、

「んじゃ、てめーは面白い作品が作れんのかよ!」

と突っ込みたい御仁も大勢いるはずだ。いるよね?

お待たせしました。みなさま。

容赦なく突っ込んで頂く機会到来でございます。

「ヒライワぁ~。てめぇ、全然口ほどにもないじゃねーか」

というご意見から

「お前、ホントにそれでも弁護士か? 法律用語めちゃくちゃじゃねーか!」

というご意見から

「平岩先生ってやっぱりスゴイ! あぁ、もう、どうにでもしてっ!」

(いや、別に私がすべて作ってるわけじゃないんですが。)

というご意見まで、ぶれさんぽうずの「母の法廷」をご覧になったご感想をお待ちしております。

詳細は以下のとおり ↓ (いさをさんのブログhttp://ameblo.jp/isawo-t/page-2.html#mainから無断コピペしました。著作権法違反じゃな) 

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話芸集団ぶれさんぽうず秋の公演

朗読舞台「母の法廷」

作・演出/高橋いさを

■出演
内藤和美
斉藤由織
池田郁子
近藤サト

■内容
若い男による殺人未遂事件の裁判が始まる。
裁判員の女が裁判の経過を振り返る。
裁判が進行するに連れて明らかになる事件の全貌。
そして、隠された真相。
裁判の経過を女弁護人、女検察官、被告人の母親、女裁判員4人の視点で描く異色の朗読ミステリー。

「さよなら、あなた」「父さんの映画」「和紙の家」に続く、ぶれさんぽうず×高橋いさをの新作朗読劇。

「それでも、わたしはあなたの母親です」

■日時
2014年11月21日(金)19:00開演
   11月22日(土)14:00開演
    (開場はそれぞれ30分前)

■場所
内幸町ホール
千代田区内幸町1ー5ー1
03(3500)5578
JR新橋駅日比谷口より徒歩5分

■料金
¥3000
¥2500(学割。学生証提示)

■チケット申込み・問い合わせ
しもきた空間リバティ
TEL:03(3413)8420/FAX:03(3413)8331
Eーmail:brethanpause@libertyーfeel.co.jp

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