本来であれば、この記事は昨日(クリスマス)、投稿予定であった。
まったく、エセ職人どもは私の善なる心の投稿まで引っ掻き回していきやがる。
というわけで、ダルニー基金である。詳細はHPを確認されたい↓
http://www.minsai.org/activities/darunee
数年前、赤坂公証役場に置かれていたパンフレットで知った。
タイとラオスの子どもたちは、10,000円で1年間学校に通えるという(※当時。今は物価変動や事務局の経費高騰で1年14,400円に値上がりした。)。
1年(わずか)14,400円である。
赤坂や歌舞伎町のオネーチャンのいる店で、オネーチャンの胸の谷間やミニスカートの奥にチラ見えるパンツを肴に酒を飲んでも軽く5万~10万円だ。しかも、その5万~10万円は泥酔した私のゲロ以外、何もこの世に残さないし、そこから未来への希望が生まれ出ることもない。オネーチャンの乳見てゲロ吐いて10万円。タイやラオスの子どもたちに同額を送れば3人の子どもが3年間、学校に通える。
「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン。それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。」
とマララさんは言った。
私もその通りだと思う。
「勉強したい」と願う子どもたちに教育の機会を与えないのは我々大人たちの罪だ。
子どもたちの未来を奪うという、もっとも許されざる大罪である。その子どもの性別も、年齢も、国籍も関係ない。
数年前から私はこのダルニー基金に募金をしている。何人かのタイとラオスの子どもたちは、私が送った微々たる奨学金で学校を卒業し、社会人になった。
事務所には、ダルニー基金用の100円玉プレートも設置してある。100円玉が100枚入るので、これがいっぱいになったら1人の子どもが1年間学校に通える。
事務所独立とほぼ同時に会議室に設置したのだが、このたび、めでたくいっぱいになった↓
本日、早速、ダルニー基金に送金手続きを取った。この100枚の100円玉は1人のカンボジアの小学生の1年間の学費に使われることになる。
ちなみに、上記100枚のうち、50枚くらいは顧問先I社の岩崎社長の募金である。この1年間、岩崎さんは打ち合わせに来られるたびに小銭入れの中の100円玉をプレートに差し込んでお帰りになった。カンボジアの小学生に代わって、岩崎さんにはこの場を借りてお礼を申し上げる。
暫く個人的な募金が中断していたので、併せて、タイのこども1人を卒業までの3年間、支援する募金登録もしておいた。
ところで。
今年、「アイス・バケツ・チャレンジ」という募金活動が流行った。筋萎縮性側索硬化症 (ALS)の研究支援の募金のために、頭から氷水をかぶるか募金をするかを選ぶ、というヤツ。
世間が飽きたニュースをマスコミが取り上げることはないので、今も継続しているのかどうか、残念ながら分からない。
ただ、「アイス・バケツ・チャレンジ」が世間の耳目を集め、芸能人や政治家が嬉々として氷水をかぶっているニュース映像を見るたびに、私としては、「なんだかなぁ」と違和感を覚え続けていた。
別にALS研究への活動支援を否定する気はまったくない。実際、私の親友Tの父上もALSでお亡くなりになっている。ALSの研究が進んで1日も早く特効薬が開発されればいいのに、と思う。
ただ、それはそれとして、「アイス・バケツ・チャレンジ」については、なんだかなぁ、だ。
そんな中、タレントの武井壮さんが「アイス・バケツ・チャレンジ」の指名を受けたにもかかわらず、これを拒否したことがちょっとしたニュースになった。
武井壮さんの言い分はこうである。
「ALSという病気に焦点を当てて募金活動をすることは素晴らしいと思うが、自分は毎月頂く給料の中から募金をしている。今後も募金活動は続けるが、その募金先は自分の判断で選びたい。」
武井壮、かっこいいじゃないか!
その通りである。
募金というのは、人から強制されてするものではない。たとえ、それがはっきりと「強制」という形を取っていなくても、募金を求められた者が事実上、それを拒めないような状況に置かれるなら、それは強制である。
強制的に人にお金を払わせるのは募金とはいわない。それは徴税である。
武井壮さんの言葉で私が「アイス・バケツ・チャレンジ」に抱いていた「なんだかなぁ」の実体が分かった気がした。
あの頃、マスコミが狂ったように「アイス・バケツ・チャレンジ」を持ち上げる中で、いつの間にか、誰の心にも、「指名されたら断れない」という楔(くさび)が打ち込まれていた。それはとても小さな楔だったし、もしかしたら幻覚だったかもしれないが、その楔が打ち込まれた瞬間(打ち込んだのは物事の本質を考慮することなく、なんでもお祭り騒ぎにしてしまわないと気が済まないマスコミの連中だ)、「アイス・バケツ・チャレンジ」という小舟は、当初の目的だった「善意なる募金」の舫(もやい)を断ち切られ、「半強制的なお祭り騒ぎ」の荒海に放り出されてしまった。
武井壮というタレントを私はこれまであまり好きではなかったが、以来、私は武井壮さんの大ファンである。
なので、このブログを読んだ方に「ダルニー基金に募金せよ」と強いる気はまったくない。
まったくないが、あなたが新年会でゲロに変えるかもしれない14,400円をタイかラオスかカンボジアかベトナムかミャンマーの子どもに送って頂ければ、この泥にまみれ、荒みきったブログも少しは救われるような気がする。
ちなみに、私は「ダルニー基金」以外に「ユニセフ」と「国境なき医師団」にも毎月募金をしている。
この記事は、冒頭書いたように本来、クリスマスに投稿する予定だった。
なので、最後にちょっとだけクサイことを書く。
世界中の軍隊を持っている全ての国々が、1年に1日だけ、自国の軍備費の1%を世界中の貧しい子どもたちの教育資金に回せば、子どもたちの貧困問題も教育問題も健康問題も瞬時に解決して、お釣りがくる。
わずか1%である。
人を殺すためのミサイルに使う100万ドルを、1年に1日だけ、子どもたちの未来に使ってはもらえないだろうか。
人は人を殺戮するための武器を作り出す手を持っているけれど、その同じ手で、子どもたちに学校を、教科書を、鉛筆やノートを、渡してやることだってできるはずだ。
少なくとも私はそう信じている。
だから、そういうことを考え、声に出し、走り、実行する政治家が、いつの日か出てくることを願う。
それは、現代においてもっとも子どもたちが待ちこがれ、必要としているサンタクロースである。