つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

誕生日

2023-11-26 23:45:00 | 日記
ということで久しぶりにブログも更新してみた。
何歳になったのかは秘密だ。

何人かの方からは誕生日おめでとうLINEを頂いた。
ありがとうございます。
と、この場を借りて御礼。

もしかしたらFacebookとかTwitter(今はX)とかにお祝いメッセージ送ってくれた方もいらっしゃるかもしれませんが、すいません、私、昨年末でTwitter(今はX)のアカウントは削除しました。
Facebookも夏の北海道・東北ツーリング以来、まったくアクセスしてないです。そしてたぶんこの先も、見ることも書き込むこともないと思います(Messengerでしか繋がっていない方がいるので、Messengerだけは生きてますが、基本、ノーチェック)。

理由は単純で、TwitterとかFacebookとかその他諸々のSNS全般にほとほと嫌気がさしてしまったから。
これらのツールに依存・・・じゃなかった、これらのツールを使いこなしている友人・知人も多いけど(というか、そういう人が圧倒的多数)、彼ら彼女らとSNSの功罪について議論するのはまったく本意ではないので、私がSNSと縁を切った理由についてここでは細かくは書かない。
細かくは書かないけど、簡単に言うなら、「50歳過ぎて、自分が楽しいと思っていないこと、ストレスを感じてることに手間暇をかける愚はそろそろやめよう」ということだ。
SNSが楽しくて、ストレスになんかならないよ〜んという人は、それはそれでいいと思う。
ただ、私はそうじゃないので、酒の席とかでしつこく議論吹っかけてくるのはやめてね。

あと、数年前から年賀状の発送先も整理し始めた。
一時期は2500通くらい送ってたときもあったけれど、今はせいぜい500〜600通くらい。これでも多いと思ってる。
発送先を減らすことにしたのは、あるとき突然、「どうせ出すなら、本当に出したい人にだけ、ちゃんと出そう」と思ったからだ。
あと数年かけて、最終的には30通前後にまで減らしたいなぁ、と思う。
てかさ、年の終わりに、「あぁ、あの人に今年も世話になったなぁ」とか「今年は会えなかったけど、来年はなんとかして会いたいなぁ」と顔が浮かんでくる人ってそんなにいる?
私は友だちが少ない(ほとんどいない、とも言う)上に、元来、一人でいるのが好きなので、そう思う相手って数えるほどしかいない。いや、マヂで。
別に世話になったわけでもなく、特に会いたいわけでもない相手に、「今年もお世話になりました。来年は是非、食事でも」って年の初めから心にもない葉書送りつけるのは、もう、やめようと思うのだ。
かといって、年賀状自体をやめる気はさらさらないけれど。
昨今の、「年賀状、もうやめましょう」運動も、あれはあれで、なんだかなぁと思う。
たかが年賀状じゃん。
書きたい相手にだけ、書きたいことを、書いたいように書いて送ればいいんじゃね?
書きたい相手が1人でもいるなら、「もう年賀状出すのやめ!来年からは誰にも出さない!」とか、いきなりレッドゾーンに針振り切らなくてもよくね?
ONかOFFしかないんすか?
思考回路は二進法のコンピュータっすか?

あと、昨年から自分が死んだときに備えて、家族に宛てた手紙も書いた。WordとExcelで。
法律上の要件を満たしてないので遺言書ではない。ただの「手紙」だ。
ただ、その手紙には私の財産がどこにいくらあるか、銀行や証券会社の口座のIDやパスワード、私が「これでいいんじゃない?」と思う遺産分割方法、最後に家族に伝えておきたい気持ちとかが全部、書いてある。だから、たとえば明日死んだとしても、特に思い残すことも、伝え残して無念なことも、心配なこともない。
だいたい半年に一度くらいの割合で内容は更新する。WordとExcelで作ってるので変更が楽なこと楽なこと。
嫁と喧嘩したときとかは、嫁の相続分を減らしてみたりする。こどもか!

本とか服とかもザクッと捨ててみた。
断捨離って始めると止まらなくなる。
人間は何かを削ぎ落としていくことに恐怖を覚えるタイプと快感を覚えるタイプに分けられるらしいけど、私は間違いなく後者だ。

という近況を話すと、たいていの人に「終活ですね」と言われるけど、そこまで深刻に考えてるわけでもなく。すいませんね、適当で。

何歳とは言わないけど、50数年生きてきて、閉塞感っつーか、停滞感っつーか、澱(おり)っつーか、要するに、「めんどくさい柵(しがらみ)とか、どうでもいい世間の流行とか流れだけでなんとなく続けてるけど、俺の人生をちっとも楽しくしてくれてないものを削ぎ落としたらどうなるんだろ?」と思い始めただけなのだが。


全然、話が飛ぶけれど、昨年、ちょっと色々あって久しぶりにどん底に落ち込んだので、「俺、ヤバいわ。辛いわ」と高校時代の友だちに連絡したら、「よし会おう」と返事が来た。
新宿の安居酒屋でもつ煮込みと焼き鳥を食ってサワーを浴びるほど飲んでカラオケに行った。
最後にケツメイシの「友よ」を歌って別れた。
「ああ、高校のときコイツに出会えたことが、きっと俺の人生の意味なんだな」と思った。
世の中がどう騒ぎ立てても、コイツには死ぬまで年賀状を送りつけるんだ、間違いねー、とも思った。

本と服を断捨離して、年賀状出す相手を整理して、SNSと縁を切って、家族に遺言(手紙)をしこしこ書いて、10年ぶりくらいに会った友だちに弱音を吐いて、こうして俺はジジイになっていくんだなぁ、と思った。
メチャメチャ満足した。


この1年は、凹んで凹んで凹みまくって、身体から元気の「気」が抜けて、気持ちと心が萎んで、逡巡して逡巡して3周逡巡した。

そしてまた歩き出した。
それは、「辛い」と伸ばした私の手を握り返してくれた奴がいて、「大丈夫だ」と背中を押してくれた奴がいたからだ。

だから、私もこれからは、誰かが「HELP!」と連絡してきたら、とにかく「よし会おう」と言おうと決めた。
「HELP!」と口にするまで、そいつがどれほど1人で悩んで苦しんだか、「HELP!」と叫んだことのある私にはわかるからだ。

私の人生は、せいぜいあと20年だろう。
50代最後の誕生日。
私は、大切な奴と過ごす時間と、楽しく過ごす時を、その20年の真ん中に据えて生きていくことに決めた。