つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

黒川検事長

2020-05-23 10:32:00 | 日記
賭け麻雀発覚で辞職かぁ・・・

国士無双(こくしむそう)十三面待ちオープンリーチかけてたら↓


海底(はいてい)ラスヅモで対面(といめん)がダマで張ってた純正九連宝燈(じゅんせいちゅうれんぽうとう)九面待ちに振り込んだような感じですかな↓


レートはテンピンだったそうですが、役満上がりのご祝儀はいくらだったんだろ?

ちなみに私は貧乏学生時代に、親の九連宝燈をあがって、連荘した次の局の5巡目で国士無双をあがったことがあります。
面子はクリとサエキとクボヤマと私だった。
場所はクリのアパート「あけみ荘」
九連宝燈を私に振り込んだのはクボヤマ、国士無双を振り込んだのはサエキだったか。いや、国士無双は自摸(つも)上がりだった気もする。

黒川さん。民間人になれば、これからは大手を振って麻雀できますね。
今度、面子が足りなかったら是非ご連絡ください。
いつでも馳せ参じます!

私、賭け事大嫌い。
麻雀は素人レベルでございます。

特別定額給付金

2020-05-20 14:28:00 | 日記
振り込まれました。

私はマイナンバーカードを持っているのでサクサクっとオンライン申請。

オンライン申請は(申請側も)意外に大変だとかいう話を聞きますが、私の場合は特に問題もなく3分くらいで申請完了。
みなさん、どこで手間取ってらっしゃるんでしょう?
まぁ、パスワードを忘れたとかは論外ですが。

郵送形式の申請書についてもいろいろ批判があるようですが、いちばん笑っちゃう(笑い事じゃないけど)のは、「給付金を希望されない方」は名前の横の🔲にチェック入れろってトコ。

いやいやそれって、昔、学校の先生が出席取るとき、
「おーい、平岩。平岩はいないか?欠席なら欠席とちゃんと手あげて言え」
ってクッソつまらんギャグかましてたのと同じやろ?

そもそも、給付金の受け取りを辞退する人は、申請書を提出しなければいいだけの話とちゃうのん?

申請書のフォーマット案考えた総務省の担当者の方。想像力、なさすぎ。
さすが、ザ・官僚。
ほんと、いつも笑かしてくださるわ。
いや、褒めてんじゃないよ。

で、我が家は4人家族なので支給されたのは40万円也。
嫁には当然、現金で10万円渡し、次男はまだ小学生なので私が責任を持って管理(費消)することとして、問題は高校3年生(但し、進級後もずーっと休校中でまともに学校に行ってないので頭や心が「高校3年生」と呼べるかは疑問)の長男。

10万円渡して彼の自主性に任せるか、次男の10万円と同様、私が管理(浪費)することにするか。

いろいろ悩んだ末に、やっぱり10万円丸ごと渡して長男の自主性に委ねることに。
但し、私のコメント付きの封筒に入れて。
これ↓


ま、たぶん、おそらく、浮かれてパーっと使っちまうんだろうけど。
浮かれて、くっそ無駄な買い物して、レジで一万円札を出したその瞬間に、一瞬でも封筒に書かれたメッセージを思い出してくれればよしとしよう。


YOUは何して日本で(逮捕)?

2020-05-19 11:27:46 | 日記

ボビー・オロゴンさんが奥さんにDVを働いたということで逮捕された。

最近のボビーさんのお仕事は「YOUは何しに日本へ?」(テレビ東京)のナレーションくらいしか存じ上げないし、別に私はボビーさんのファンでも何でもないのだが、相変わらず無節操なマスコミの報道姿勢にゲンナリしているので、取りあえずブログで物申しておこうかと思う。

まぁ、私がブログで物申しても大勢には何の影響もないっすけど。

 

さて、ボビーさんの逮捕である。

新型コロナネタに飽き始めていたこともあって、マスコミはこの格好のネタにいっせいに飛びついた感がある。

TVでもネット上でも、ボビーさんと親交があった(かどうか知らないが)タレントやら良識派知識人といわれるコメンテーターやらが、そりゃあもう調子に乗りまくって、「DVはいけない」「奥さんに土下座して謝れ」「見損なった」「嫁さんにこんなこと言わせちゃう男は最低」等々、言葉で、文字でボビーさんをバッシングしまくっている。

きっと、こういう人たちが、新型コロナで台頭してきた「自粛警察」の署長あたりになるんだろうな、と思う。

ボビーさんのDV現場を見たわけでも、ボビーさんの奥さんから相談を直(じか)に受けていたわけでもないのに、ここぞとばかりにボビーさんを調子に乗ってバッシングしまくっているすべての人たちに問う。

無罪推定の原則って、知ってるか?

 

てか、報道によると、ボビーさんはDVを否認してるんだよね?

釈放された際の会見でもマネージャーさんが謝罪の弁を述べていたけど、ボビーさん自身はその横で憮然とした表情だった。3秒ほど頭を下げてはいたけど、たぶん、本心は「ふざけんな!」って思ってたんだろう。

そもそも、今回の「事件」は、報道を見る限りでも?????だらけだ。

まず、ボビーさんは現行犯逮捕されたという。

このブログには珍しく、参照条文を引用しておこう。うーん、アカデミック。

刑事訴訟法第212条と第213条だ。

第二百十二条 現に罪を行い、又は現に罪を行い終つた者を現行犯人とする。
 2 左の各号の一にあたる者が、罪を行い終つてから間がないと明らかに認められるときは、これを現行犯人とみなす。
 一 犯人として追呼されているとき。
 二 贓物又は明らかに犯罪の用に供したと思われる兇器その他の物を所持しているとき。
 三 身体又は被服に犯罪の顕著な証跡があるとき。
 四 誰何されて逃走しようとするとき。
 
第二百十三条 現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。

警察官は奥さんからの110番通報で駆けつけてボビーさんを「現行犯逮捕」したという。

奥さんへの暴行は指の爪で額(その後の報道で「顔」になったが、当初は「額」とされていた)を叩いたことだという。

奥さんに傷害を受けた痕跡はなかったという。

指の爪で額を叩いた」

・・・・えーっと、これって、いわゆるデコピンじゃね?

ケガもしてないし暴行を受けた痕跡もないのに、「110番通報された」ということで「現行犯逮捕」?

しかも、その後の勾留請求は当然のごとく却下された(ちなみに検察官の準抗告も却下)。

奥さんの主張する「ボビーさんのDV」の中に「ガスを止められた」というのがある。

ボビーさんは別居してたのかな?

あんまりそういう話は聞いたことないし、今回の逮捕騒動後の報道でもそのあたりを検証しているものは(少なくとも現時点では)ないように思う。

あとは、「家を売りたいから出て行ってくれ」「離婚届を出せ」と言われたりとか。

この辺りまで来ると評価の問題だろうけど、夫婦げんかでこの程度の言葉って出るときは出るんじゃないかなぁ、と私なんかは思う。

現実にはボビーさんは奥さんと子供たちと一緒に暮らしてるわけだし、自ら離婚届を用意して奥さんに突き付けたってわけでもないようだし、夫婦げんかで頭に血が上れば「だったらこの家も売って、みんな勝手にすればいいじゃないか!」くらいは言うだろう。

人間なんだからさ。

夫婦喧嘩ってそういうもんじゃないのかな?

昨今の「理性的」な風潮だと、夫婦げんかでさえ丁寧な言葉を使って相手を思いやりながら議論を積み重ねてお互いの妥協点・着地点を探らなきゃならないらしいけど、そもそも「喧嘩」ですから!

 

こういうことを書くとすぐ、「女性の敵」とか「昭和の遺物的発想」とか見当はずれなコメントが届いて鬱陶しいことこの上ないのだが、別に私は、「今回の逮捕劇は奥さんの狂言だ」とか、「ボビーさんは無実だ」と言っているのではない。

家庭内の、夫婦のトラブルで、しかも一方当事者の主張しか情報がなく他方当事者は事実を否認している、という状況下で、鬼の首でも取ったかの如く「加害者」とされている人間を(それがたとえタレントであっても)有罪と決めつけて正義漢面したコメントを出すな、ということだ。

何かあるとタレントや芸能人を公開処刑に処して憂さを晴らす。

この国のマスコミと大衆は昭和の時代から何一つ変わっていない、と思う。


7日間ブックカバーチャレンジ【最終日】

2020-05-11 23:18:39 | 日記

やっとここまで辿り着きましたでござる。

7BCの7日目。つまり最終回。
 
いろいろ悩んだ結果、最後に紹介する本は池澤夏樹さんの「南の島のティオ」(文春文庫)

可愛らしいカバーは杉浦範茂さん。
 
南の島に住むティオの不思議な日常を描いた児童文学の傑作だ。
児童文学とはいえ大人が読んでも十分面白い。是非、ご一読を。
 
連作短編10話が収録されているが、その第1話「絵はがき屋さん」は、受け取った人が必ずその絵はがきに印刷された場所にやって来るという不思議な「絵はがき」を売る男ピップの話。
本当にこんな絵はがきがあれば、今、新型コロナ騒ぎでお客が1人も来なくなってしまった観光地の皆さんはいくらお金を出してもいいからピップに注文したいところだろう。
 
でも大丈夫。
「人を呼ぶ絵はがき」は、今、ネットで、TVで、雑誌で、形を変えて日本中、世界中に送られてる。数えきれないほどの人たちが絵はがきを受け取っている。
だから、新型コロナがおさまったとき、世界中の人が、世界中に動き出すだろう。
 
行きたい場所に行ける、会いたい人に会えるということが、いかに幸せなことか、いかに人間らしく生きるために大切なことか、僕らは気づいてしまった。
どんなにリモート会議システムが進んでも、どんなにVRが進化しても、結局、自分の足でその地に立って、その地の花の匂いを自分の鼻で嗅いで、その地の食べ物を自分の舌で味わって、そしてその地の人と手を繋ぐ、という幸福にはかなわないのだ、ということに僕らは気づいてしまった。
 
新型コロナによってパラダイム・シフトが起こる、という意見には賛成だけれど、そのシフトはよりヴァーチャルに、よりリモートに、という方向ではなく、よりリアルに、より実体験に、という方向に進むだろう。
実体験というものが、これまでにないほどに価値を持つだろう。
 
新型コロナはたくさんの大切な人たちを奪っていったけれど、同時にたくさんの大切なことを僕らに教えてくれた。
新型コロナの負の側面だけを見て、怯えて身体と心を閉ざすのではなく、それを乗り越えて新しい価値観を自分の中に作り上げていく。
新型コロナと共生・共存するとは、つまりはそういうことなのだと思う。
 
ちなみに、ティオの住む「南の島」のモデルはミクロネシア連邦の首都パリキールがあるポンペイ島。
なので新型コロナが下火になったら、Mが写真を送ってくれたシェラ・ネバダと、昨年のラグビーW杯でファンになったサモアと、そしてポンペイ島に行こうと思う。
 
それは、そんなに遠い未来の話ではない。

(Ⅿが送ってくれたグラナダ近郊から見たシェラ・ネバダ)
 
 
 

7日間ブックカバーチャレンジ【6日目】

2020-05-10 21:26:00 | 日記
ふう。
やっと6日目だ。
私がバトンを渡した方は既に7日間の紹介を終え、オマケの8日目に突入した人までいるというのに。
フッ。
ウサギと亀ですな、まるで。

ま、いいや。
人は人。自分は自分。

さて。
7BCの6日目は片岡義男先生の「彼のオートバイ、彼女の島」「ときには星の下で眠る」「ボビーに首ったけ」(いずれも角川文庫)

いずれもカバーレイアウトは竹原宏さん、写真は大谷勲さん、モデルは三好礼子さんだ。

「彼のオートバイ、彼女の島」と「ボビーに首ったけ」はたしか映画にもなってたっけな。あんまりヒットはしなかったように思うが。

私が片岡義男を初めて読んだのは中学1年か2年の頃だった。
大ファンだった薬師丸ひろ子さんが雑誌のインタビューで、「好きな作家は片岡義男とか半村良です」と答えていたのを読んで、速攻で千円札握りしめて近所の本屋に片岡義男と半村良を買いに走ったっけ。
愛知県の田舎の垢抜けない中学生だった私は、同い年の薬師丸ひろ子さんが好きな作家を尋ねられて、竹宮恵子(「地球(テラ)へ」かな)でも大島弓子(「綿の国星」とか)でも吉田まゆみ(「れもん白書」だな)でも手塚治虫でもなく、私が聞いたこともない小説家の名前を、それも2人もサラリと答えるのを見て、「やっぱ映画の主役に抜擢される東京の女の子は違うわ。こりゃ、俺も片岡義男読まんと!」と(名古屋弁で)妙に感心したのを覚えている。

半村良にはあまりハマらなかったが、片岡義男には超どハマりした。
最初に買ったのは「ボビーに首ったけ」

お祖父様がハワイ移民、お父上が日系二世だからなのか、片岡義男の作品はどれも全編に「アメリカ」が漂っている。それも狂った大統領に率いられた狂った今のアメリカではなく、古き良き時代のアメリカである。いや、「アメリカ」ではなく「古き良きハワイ」と言った方がいいかもしれない。
今回、紹介はしなかったけれど、デビュー作「白い波の荒野へ」をはじめとして片岡義男にはハワイを舞台にした作品が多い。私にとっての「ハワイ」の原風景は中学時代に貪(むさぼ)るように読んだ片岡作品によって記憶の奥深いところに刷り込まれてしまったらしく、いまだにハワイに遊びに行ってもワイキキとかホノルルとかのホテルにいてもどうも落ち着かないというか、「ハワイに来た」という感じがしない。
レンタカーを借りてハレイワやカフクまで足を伸ばしたり、ハワイ島のヒロやワイメアなんかに行くと、「あぁハワイだぁ〜」と一気に気分が盛り上がってしまう。

(↑ヒロの町の星条旗)

(↑ハレイワの町外れの教会)

(↑タートル・ベイの夕日)

最初の頃は、ワイキキで嫁や子どもたちがはしゃいでいるのに、なんで私は今ひとつ盛り上がらないんだろう?と我ながら不思議だったが、2〜3年前に片岡義男を読み返してやっとその謎が解けた。
思春期の刷り込みとはかくも恐ろしいものか。
ちなみに片岡義男はアメリカ本土を舞台にした作品も数多く発表しているが、その舞台はやはり「都会」ではなくハワイのような「カントリー」、要するに西部だ。中でもビリー・ザ・キッドの生涯を描いた「友よ、また逢おう」はお薦め。



片岡義男といえばサーフィンとオートバイ。これはもう、鉄板。
私のオートバイ好きも元を辿れば片岡義男である。
今回、ルール無視で紹介した3冊はどれもオートバイをテーマにした青春小説。
紫外線ですっかり色褪せた、懐かしい「赤背表紙」(80年代、これが角川文庫における片岡義男の代名詞だった)を本棚から取り出して読み返すと、矢も盾もたまらずバイクで何処かに行きたくなる。

「彼のオートバイ、彼女の島」の中に、主人公コオが深夜、都心のビル街で愛車のカワサキW3にまたがって信号待ちをしているとき、身体に伝わってくる愛車のアイドリングの振動を感じて思わず泣いてしまう、というシーンがある。

50歳を過ぎるとさすがに泣きはしないが、真夜中の都心や人も車もほとんど走って来ない山間の道を走っていると、広い世界にポツンと放り出されたような、それでいて騒々しい世間から首尾よく逃げ出せたような愛車と自分の存在を全身で感じる時がある。車では絶対に感じたことがないあの感覚はなんだろう。

今回、7BCで紹介するにあたって冒頭の3冊を読み返していたら、無性にバイクで遠くに行きたくなった。

そういえば今週末は2年前に急逝した妹、摂ちゃんの三回忌。
天気予報は週末まで快晴。
これはもう、行くっきゃないな。
一億総自粛警察と化している今日この頃だが、まぁ、なんとでも言ってください。
今週末は、妹の位牌を愛車ボルティのサイドバッグに突っ込んで、下道・寄り道しながら名古屋まで長距離ソロツーリングだ。

摂ちゃんはドライブが大好きだったけど、ついに私のバイクには乗せてやれなかったからね。