つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

日の出町

2020-01-15 01:00:00 | 晴れた日は仕事を休んで
1月三連休の最終日。
第45回は日の出町。

「ひのでちょう」ではなく、「ひのでまち」と読む。

昨年11月に101歳で逝去された中曽根康弘元総理が愛した日の出山荘があるので有名だ。
ここ↓


昭和58(1983)年、中曽根総理(当時)がレーガン米大統領夫妻を招いて、日米首脳会談をしたのがここだ。
「ロン・ヤス会談」と呼ばれた、あの日米首脳の蜜月関係はその後の空前の好景気、バブル時代へと繋がっている。

この日の出山荘、そういう歴史物語を抜きにしても、めちゃめちゃ風情があって、超お勧めスポットでございます。
今回は、写メもたっぷり。

まず、入口すぐ横。
中曽根元総理がいつも泳いでいたというプールが↓

どう見ても古墳から発掘された石棺にしか見えませんが。

その先左手に何やら由緒正しそうな鐘が。
韓国の全斗煥元大統領から贈られた半鐘である。
こういう贈り物くれるくらい仲良かった時代もあったんですなぁ。
そろそろ、「あの鐘、返せ」とか言われそうだな。
返すか。

その足元にはプリチーな石仏?が。


さらに進むと、「日の出山荘」の代名詞ともなった「青雲堂」が。



江戸時代末期に建てられた茅葺の古民家を中曽根さんが改築したものである。

この青雲堂の囲炉裏で中曽根元総理はレーガン大統領夫妻にお茶を点(た)て↓


当時、中曽根さんの後継者指名を争ってギクシャクしていた安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の三氏を招いて党内融和を図った。

今は皆さん、鬼籍に入られてしまったが、天国でまた集まって仲良くやっていらっしゃることだろう。


青雲堂の入口には何故か、木枯紋次郎の蓑笠が。中曽根さんの地元が上州(群馬)だったからかしらん。


「ロンヤス会談」の1年後に書かれた書。


中曽根さんは円満な日米関係を「太平洋波静」の五文字で表現してみせた。達筆だ。

別の部屋には「忠信を以って甲冑と為し、礼義を以って干櫓と為す・・・」
おそらく「孔子家語」の一節↓

意味は各自でググられたし。

青雲堂を出て更に先に行くと茶室「天心堂」の入口↓



ここでも「ロンヤス会談」が行われた。




敷地のいちばん奥に平成元年に建てられた「書院」↓


これ、中曽根元総理が退任後、政治の舞台で苦楽を共にした国内外の友人たちを招いた、要するに私設迎賓館である。
青雲堂と天心堂は中には入れないが、この書院は中に入って見学可能。
これが凄い。
なんたって、元総理の私設迎賓館ですぜ。
玄関入ると、いきなり、ドーンと↓



ガボン共和国から贈られた「アフリカ女性頭部」。

・・・なぜ、頭部???


中曽根元総理がしばしば吹いていた螺貝(ほらがい)まで(笑)↓


陽当たりのいい、居心地満点のリビング。



こっちはダイニング。


ずかずかと二階に上がってみる。



見晴らし、ばっちり。



中曽根元総理の書斎も残されてます。



自画像が、軽く、・・・下手です


いや、でも、こんだけ歴史的にも凄い施設見て、元総理の私設迎賓館の中まで上がり込めて、入館料は300円である。
しかも、日の出山荘の入場チケットを持っていくと、近くにある「つるつる温泉」の入湯料(施設利用料)が200円引きになるという。

ちょっとハゲたオヤジばかりがいそうで怖かったが、200円引きにつられて行ってみた。
ここがまた、good。
ムーミン谷に迷い込んだような建物だが↓



中は広くて超綺麗。


泉質はアルカリ性単純温泉で、お肌つるつるだ。
駐車場のパイロンまでつるつる↓


ただ、「生涯青春の湯」という、ジジババ感満載、30代以下の若者がドン引きしそうなキャッチコピーだけは何とかならんかのう。










日野市

2020-01-10 01:28:00 | 晴れた日は仕事を休んで
あけましたな。

あけてしまいましたな。

紛(まご)うことなくあけておりますな。

「あけない夜はない」と言いますからなぁ。

・・・というわけで、皆さま、あけましておめでとうございます。

って、もう1月10日だ!

さっきまで餅食って、酒飲んで、だらだらだらだらしてたと思ったのに1月がもう3分の1も終わってやがる。

あ、今、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」という永遠の5歳児の声が聞こえた。幻聴かな。年だし。

昨日、事務所でボーッとコーヒー飲みながら、頂き物のお菓子を頬張りつつネットサーフィン(死語)してたら、隣の席の秘書ちゃんから、
「先生、ブログの更新止まってますよ」
と叱られてしまいますた

というわけで、新年一発目。通算だと、えーと・・・第何回だっけ?
あ、44回目だ。
うわっ。正月早々(もう、早々でもないが)、死のゾロ目とか縁起悪っ!

今回は日野市。
行ってきたのは1月5日。

日野市と言えば、たしか、
「トントントントン日野の2トン」
のトラックで有名な日野自動車の城下町。

そう言えば中学時代。
定期試験前に徹夜で勉強するときは、いつもCBCラジオでオールナイトニッポンを聴いてました。
ただ、何故かCBCラジオではオールナイトニッポンは第1部(午前1時〜3時)だけのオンエアで、第2部の時間帯(午前3時〜5時)にはTBSラジオの
「歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」
という、長距離トラックの運ちゃん向け番組が流れてた。

「歌うヘッドライト」が終わるのは明け方5時。夏はちょうど東の空が白み始める頃。冬はまだ真っ暗で、窓から見上げた南の空にはオリオン座。
朝メシまで2時間。試験勉強のラストスパートに入る合図がラジオから流れてくる「歌うヘッドライト」のエンディング・テーマだった。
「歌うヘッドライト」は日野自動車の単独スポンサー番組じゃなかったかしらん。
よし。
今回は青春時代の思い出を辿って、日野自動車の本社工場に行ってみよう。

と思って、念のためWikiってみたら、「歌うヘッドライト」のスポンサーって、

「いすゞ自動車」じゃん!

この高速逆走痴呆老人状態をなんとかすべく、「44回」という縁起の悪さを祓(はら)うべく、そういやまだ初詣にも行ってなかったし、というわけで。

行ってきました高幡不動↓


正式名は「高幡山金剛寺」。
真言宗智山派のお寺。御本尊は大日如来だが、関東三大不動の一つに数えられる丈六不動明王像の方が有名だ。

現在、本物の不動明王像は奥殿に、身代り本尊の「新丈六不動明王像」が不動堂に、それぞれ安置されている。
拝観はできるが、残念。写真撮影は禁止でござった。
仕方ない。拝観料払ったときに頂いたパンフレットの写真を転載だ(無許可)。

こちらが本物の丈六不動明王像↓


で、こちらが身代り本尊の新丈六不動明王像↓



江戸時代、日野市は幕府の直轄領、武州多摩郡83村の一つだった。
幕府の直轄領だから、そこに住む百姓たちには「俺たちは将軍様の百姓」という意識が強かった。そういう風土の中から、幕末の京都を震撼させた佐幕攘夷浪士団「新選組」の中心メンバー、近藤勇や土方歳三、沖田総司らが出た。
高幡不動は土方歳三の菩提寺で、境内には彼の銅像がある。


それにしても、正月も5日だというのにこの人の量↓



匂いにつられて買ったタコ焼きはデカくてバカうま。子どもたちのお土産に2船追加で買ってきた。


おみくじも大吉↓


富士山もとびきり美しく↓



高幡不動とはぜんぜん関係ないが、18歳で東京に出てきて、最初に感激したのは、「オールナイトニッポンの第2部をニッポン放送の電波でダイレクトに、クリアに聞ける」ってことでした。

その6年後。
私がプロデュースした「FROM A ACT-ALIVE」という小劇場イベントの主催になってくれたのがニッポン放送で、「FROM A ACT-ALIVE」のニッポン放送の最初の担当者は、私が愛知県の片田舎で貪るように聴いていた中島みゆきさんのオールナイトニッポンのディレクター、入江太乃士さんだった。入江さんご夫妻(奥様がこれまた美人)は我が家の仲人でもある。
スキー場で「ひらいわくんがいちばん好き〜!」と言ってくれてた当時5歳の入江さんちの娘は昨年、結婚した(何故か私とではない)。

みんな、今年はいい年にしような!