つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

武蔵野市

2020-06-22 22:06:00 | 晴れた日は仕事を休んで
残すところあと2カ所。
第52回目の今回は武蔵野市だゾウ。

行ってきたのは井の頭自然文化園だゾウ。
ここだゾウ↓


ほんの数日前まで新型コロナ感染防止対策の一環で臨時休園中でござった。
非常事態宣言も解除されて、東京アラートも解除されて、ようやく再開である。
助かった。
東京日帰りツーリングも三鷹市を最後に無期休載になるかと思った。太宰治の悪口書いた祟りかしらん。
ちなみに、井の頭自然文化園は前回の三鷹市編で行った「風の散歩道」のすぐ脇にある。

なんでここに来たかったかというと、ここにははな子のいた象舎が保存されているからだ。

これ、はな子↓


はな子は1949年にタイから上野動物園に贈られて来たアジア象だ。
1947年生まれだから、わずか2歳のときに日タイ友好名目で母親から引き離されて日本にやって来た。

「はな子」という名は、戦争中に軍の命令で餓死させられた上野動物園の象「花子」の名前を受け継いだものだ。
毒入りの餌を与えられても頑として食べようとせず、餓死する直前まで飼育員を信じて餌をもらおうと覚えた芸を文字通り必死に見せていた象の話を聞いたことがあろう。あの「花子」である。

はな子は1950年から日本全国を回った後、武蔵野市と三鷹市の熱心な誘致活動を受けて井の頭自然文化園で暮らすことになった。
しかし、その後、2度にわたる死亡事故(1度目は1956年に夜中に象舎に忍び込んだ馬鹿を、2度目は1960年に何故か飼育員を、いずれも踏み殺した)を起こし、「殺人象」の烙印を押されて鎖に繋がれたり、来園者から石を投げつけられたりした。

漫画家の大島弓子さんが「サバの秋の夜長」という作品の中で触れたとおり、はな子はストレスで立ったままでしか眠れない時があった。
そして、はな子は死ぬまでひとりぼっちだった。
いつも来園者に背を向けて運動場の壁を見ていた(はな子の運動場の床が水はけのために来園者側に向かって緩やかなスロープとなっていたためであり精神的なものではない、という説明もあるが、だったら、そんな床を作った設計上のミスということになろう。)↓



2016年5月26日死去。69歳。

死後、せめて骨だけ、あるいは遺灰だけでも故郷のタイに帰国させてあげてほしい、という運動が起こったが、遺体は研究名目で国立科学博物館に寄贈され、標本にされてしまった。

死の前後、三鷹市や武蔵野市、動物愛護協会、東京消防庁などから表彰状や感謝状が贈られたり↓



亡くなった後、多くのファンから花束が手向けられたり↓



吉祥寺駅前に銅像が建てられたりしたけど↓


はな子はタイでお母さんと一緒にいたかったんじゃないかな。

どんなに大切にされても、どんなに親切にされても、表彰状や感謝状やたくさんの花束を貰って駅前に銅像を建ててもらっても、狭い象舎で見世物にされて一生を送るより広いタイの草原で風に吹かれていたかったんじゃないかな。

67年間、はな子を見世物にし続けて、象舎に閉じ込め続けたことの贖罪(しょくざい)のように、人は今もはな子に想いを馳せて、花を手向け続けている。

はな子を異国の象舎に閉じ込めて一生を終えさせ、死してなお、骨すら故国に返してやろうとしない僕らは今、新型コロナに怯えながら(たかだか数十日)自宅に閉じ込められる生活の不運を嘆き続けている。

動物園というシステムを否定する気はない。
絶滅しかけている動物を保護し、飼育し、その生態を調べ、子どもたちが安全に、そして簡単に、本物の動物を見て、彼らと触れ合える機会を手にすることはとても意義のあることだ。

わかってる。
わかってはいるけど。

はな子は幸せだったのかな。
はな子を、というより一頭のアジア象に勝手に「はな子」という名前をつけて、生涯、いや、死後もなお暗い部屋に閉じ込めて、見世物にしたり標本にしたりする権利が僕らにはあるのかな。

「ステイホームです」「頑張って今は外出を控えましょう」という声を聞くたびに、天邪鬼(あまのじゃく)な私は、
「はな子は67年間外出禁止で、骨にされても故郷に帰してもらえないんだぞ」
と叫び返したくなるのだ。

次回で東京日帰りツーリングは最終回。
武蔵村山市です。










テラハ事件を考えてみる(3)

2020-06-06 21:57:00 | 日記
今回は、【3】木村花さんに対して実際に誹謗中傷をしていた臆病者たちの責任について考えてみる。
 
匿名でしか人を誹謗中傷できない。
ネット上で多勢の陰に隠れてしか意見を言えない。
そして問題が起こると慌てて自分のコメントを消して逃げ出す。
彼ら彼女らは人間として救い難いクズだ。
 
クズではあるが、可哀そうな人たちだとも思う。
自分のしていること、しようとしていることの意味を正しく考えられない低い知能。
リアルな世界で他者との健全な関係性を構築できない歪んだ人格。
行き過ぎた行為を諫めてくれる友人のいない孤独な人生。
一人寂しくスマホやパソコンに向かって、誰かを攻撃する言葉を打ち込み続けるだけの毎日。
 
「憐れ」という言葉は彼らのためにこそある。
 
 
この「憐れなクズども」に木村花さんの死に対する責任があるのは言うまでもない。
言うまでもないのだけれど、その責任を法的に問うのは実はとても難しい。
法的な責任を問いうるだけの発言なのかという問題と、法的な責任を問うための時間的な制約という二つの壁があるからだ。
 
マスコミでもネット上でも、「木村花さんを追い込んだ誹謗中傷」という一括りの言葉で彼らの(主として)Twitterにおける書き込みとその責任が論じられているけれど、問題の書き込みが「テラハという番組や出演者である木村さんへの感想」だったのか「批判」だったのか「意見」だったのか「脅迫や名誉棄損や侮辱」だったのかは、結局のところ、一つ一つの書き込みを確認していくほかない。
「匿名」という表現方法がどれほど批判されようと、「感想」や「批判」や「意見」を表現すること自体は犯罪でも何でもない。
そして、困ったことに、この「感想」なのか「批判」なのか「意見」なのか、それとも「脅迫や名誉棄損・侮辱」なのかの線引きはとても難しい。
 
例を挙げよう。
「テラハでの木村さんの振る舞いには正直、強い嫌悪感を覚えました」
というのは単なる「感想」に過ぎない。
「どんな理由があれ、彼の帽子を叩き落すという暴力行為をテレビで放送すべきじゃない」
というのは「批判」
「木村さんみたいなキャラは早く卒業させた方がいいんじゃないか」
「意見」だ。
逆に「死ね」は「脅迫」、「ゴリラ女」は「侮辱」だろう。
さらに真実に反する事実の摘示があれば「名誉棄損」だ。
 
では、「気持ち悪い」「卒業してほしい」「消えてほしい」は?
言葉としては木村さんを傷つける表現だけれど、書き込んだ人間にとっては単なる「感想」「意見」だ。
こういう表現に対してまで法的責任を追及する、というのはやはり行きすぎだろう。
 
さらに言えば、木村さんはたった一つのコメントに屈して死を選んだわけではない。
積み重なり続ける何十何百という言葉の暴力が遂に彼女の心の堤防を決壊させてしまったために彼女は死を選んでしまった。
だとしたら、彼女の死に対して責任を負うべきは、「最初に書き込みをしたクズ」か?
それとも「耐えに耐えてきた彼女を追い込んだ最後のコメントを書き込んだクズ」か?
あるいは「その間の無数の書き込みをし続けていたクズたち」か?
非難されるべきは、堤防に蟻の一穴を開けた者か、ロバが膝を折る直前に最後の羽根をロバの背に乗せた者か、ロバを鞭打ち歩かせていた者たちか。
 
自分以外の他者の表現の数や、その表現が向けられている被害者の心の限界度合いをリアルタイムで、あるいは正確に把握することなど誰にもできない以上、書き込みをしたすべての人間が等しく木村さんの死に対して責任を負うべきだというのも、それはそれで一つの結論ではあるけれど、集団リンチというやつは、責任を負う人間の数に反比例して責任を問われた人間が感じる罪悪感を希釈化してしまう。
数十人、数百人のクソ野郎が、
「ちょっと、今回はやりすぎちゃったね。でも、まぁ、俺一人で彼女を自殺に追い込んだわけじゃないから」
と思うのでは木村さんは浮かばれない。
 
責任追及のための時的限界というもう一つの問題もある。
 
少し専門的になるがしばしお付き合いを。
 
インターネット上の違法な匿名書き込みというのは、(1) 書込人が、(2) 自分の使っている通信キャリア(auとかドコモとかJCOMとか)を使って、(3) TwitterとかYahooや5chの掲示板などにアクセスして行われる。
だから被害者が書込人を特定しようと思ったら、この流れを逆に辿らなければならない。
まず、書き込みがされた掲示板やサイトを運営している事業者(Twitter社とかヤフーとか)に対して、各事業者ごとの専用の「発信者情報開示請求フォーム」を使って、問題の書き込みが行われた際に利用された通信キャリアの情報(IPアドレス)を開示するよう請求する。
たいていの運営事業者はこの請求に応じないから、次に、この運営事業者を相手方として裁判所に「発信者情報開示の仮処分」を申し立てる。
裁判所が申し立てを認めて開示命令を発令してくれれば、運営事業者は情報の開示に応じてくれるけれど、ここで開示されるのは「問題の書き込みが行われた際に利用された通信キャリアのIPアドレス」に過ぎないから、WHOISなどを使って開示されたIPアドレスがどの通信キャリアのものかを調べなければならない。
通信キャリアを特定したら、今度はこの通信キャリアを相手方として、裁判所に「発信者情報削除禁止の仮処分」というのを申し立てる。この場合の「発信者情報」は、IPアドレスだけでなく、それに紐づいている書込人の住所とか契約者名といった契約情報だ。「近いうちに正式な訴訟を起こして開示を求めるから、それまではこれらの情報を削除してはならない」という仮処分命令を裁判所から出しておいてもらうのだ。
この「発信者情報削除禁止の仮処分命令」が発令されたら、通信キャリアを被告とする正式な訴訟(「本案」という)を裁判所に起こす。
「被告の通信キャリアはこれこれこういう書込みに関する発信者情報(=契約者情報)を開示せよ」という本案判決をもらって、ようやく(1)の書込人が(たぶん)特定できることになる。

民事上の損害賠償請求をする場合だけでなく、告訴して刑事上の責任を追及しようとする場合でも同じ。警察は告訴状を持って行っても、よほどのことがない限り、「民事の手続きで発信者情報を開示してもらってくれ」と門前払いに近い塩対応しかしてくれないからだ。

最大の問題は、掲示板やサイトを運営している事業者も、通信キャリアも、IPアドレスといった書込みに関する通信ログを通常は3か月程度しか保存していない、という点だ。保存期間は1か月、なんていう事業者もある。
この1か月とか3か月というわずかな期間内に、被害者は手続きをすべて取らなければならない。
学校に行ったり仕事に行ったり、という日常生活を送りながら、素人がこれをするのはまず無理だ。
なので、結局、お金を払って弁護士に手続きを依頼することになるが、弁護士が手続きをしたからといって通信ログの保存期間が延長されるわけではないから、「時間切れ」で書込人にたどり着けないことも多い。
 
法的な責任が時間切れで問えなかったとしたら、あとはクズ野郎たちの人間としての責任を問うしかない。

「人間としての責任」?
人間としての良心も矜持も持ち合わせていない彼らに対して?
そもそも彼らは、そういう感情がないからこそ、安易に指先一つで木村さんを死に追い込んだのではないのか?
 
テラハ事件を受けて、現在、国会でこの発信者情報開示請求手続の改正が議論されているが、一番手っ取り早く、かつ、効果的な改正は、掲示板やサイトの運営事業者や通信キャリアなどのインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)に対して、法律で通信ログの保存期間を「一律5年とか10年」と罰則付きで義務付けてしまうことだ。
それだけの時間があれば、被害者はゆっくり発信者情報開示手続きを取ることができる。
いったん、書き込みをしてしまえば5年あるいは10年間は法的な責任追及を受ける可能性がある」ということは、匿名で誹謗中傷を書き込む人間に対する心理的な抑止効果にもなるだろう。

良心の呵責というものが期待できない人間に対しては、結局、こういう方法で対峙するしかない。
 
このブログで再三再四書いてきたとおり、匿名で、インターネットというツールの陰に隠れて、ぐちゃぐちゃと人を誹謗中傷する人間を私は断じて認めない。
彼らのしている行為は表現の自由でもなんでもない。
 
けれど、そういう卑劣で臆病で無責任な人間はどんな時代のどんな社会にも必ずいる。
ITリテラシーの向上とか、綺麗ごとを並べ立てても彼らがいなくなることはないだろう。絶対に。
誤解を恐れずに言い切ってしまえば、私も含めて人間というのは、そういう卑劣で臆病で無責任なダークサイドを心の中に持っている生き物だからだ。
 
アナキン・スカイウォーカーがフォースの暗黒面に走ってダース・ベイダーに堕ちたように、人間は誰もがクソ野郎になる資質を持っている。
木村花さんは、無数のダース・ベイダーによって殺された。
第2の木村さんを出さないために今、必要なのは、性善説に立って愛と教育とフォースの力でダース・ベイダーたちをジェダイの騎士に戻すことではなく(それが大切なことは否定しないけれど)、ダース・ベイダーのマスクをはぎ取って素顔を晒すための時間的余裕を被害者たちに与えることだと私は思う。
 
 

テラハ事件を考えてみる(2)

2020-06-02 15:51:47 | 日記

前回は【1】制作サイドの責任を考えた。

今回は、

【2】スタジオメンバーである山里亮太さんやYOUさんたちの責任

を考えてみたい。

 

テラハを一度も見たことがない、という方のために簡単に説明しておくと、テラハは、番組側で用意したシェアハウスで生活する男女の出演者と、彼らの様子を見ながらスタジオであれこれコメントをするスタジオメンバーで構成されていた。

直近のスタジオメンバーは、YOUさん、トリンドル玲奈さん、山里亮太さん、馬場園梓さん、葉山奨之さん、徳井義実さんらだった。

ただ、徳井さんは昨年10月に発覚した税金の無申告問題で芸能活動を自粛しておられたから、今回の事件が起きたときにはスタジオメンバーとしての出演はなかったと思う。

 

木村さんが命を絶った後、当然のごとく、SNS上の匿名軍団たちの誹謗中傷攻撃はこのスタジオメンバーに向けられるようになった。

報道を見る限り、スタジオメンバーの中で最も激しく攻撃されているのは山里さんらしい。

彼のTwitterをみると、木村さんの死について山里さんの責任を問う声と、彼を弁護するファンの方々の声、応援する声が入り乱れている印象を受ける。

なので以下では山里さんを中心に、スタジオメンバーの責任について考えてみようと思う。

 

その前に一言だけ。

山里さんのTwitter上に匿名で彼を口汚く罵るコメントを寄せているすべての方々へ。

仮に、あなたたちの意見が正鵠を射ていても、なんの説得力もないから。

山里さんに言いたいことがあるなら、多勢の陰に隠れて、なおかつ匿名でごちゃごちゃ言ってないで正々堂々と言おう。

あなたたちがやっていることは、同じように匿名の誹謗中傷で追い詰められ命を落とした木村さんに対してさえ失礼だ。

 

で、山里さんの責任である。

もちろん、ある。

 

これでまた山里ファンから集中攻撃を(おそらく匿名で)受けるんだろうけど、あるものはある。

 

テラハを一度でも見たことがある人は分かると思うけれど、スタジオメンバーの中では山里さんが木村さんたち出演者を「毒舌」でこきおろす、YOUさんたちが面白がってそれを煽る、徳井さんが出演者たちを弁護する、とそれぞれに与えられた役回りがあった。

これ一つとっても「テラハには構成台本や演出があった」とわかりそうなもんなのだが、まぁ、それはさておき。

徳井さんが出演していたころは、毒舌コメントと煽りと弁護がそれなりにバランスを保っていた。

おかしくなったのは徳井さんが出演を見合わせるようになってからだ。

この頃から山里さんの毒舌が暴走するようになる。

YOUさんたちはなんのかんの言ったところで「外野の煽り役」にすぎないので、誰も山里さんを止められない。

「素人の若者たちの恋愛風景」をイジる役回りの山里さんが、いつのまにか単なるイジメ役になってしまっていた。

前回の記事にも書いたが、テラハはしょせん、ゲスな大衆の「のぞき見趣味」に迎合した品のない番組だ。

出演者たちをバカにし、否定し、嘲(ののし)る山里さんの毒舌コメントがそれに輪をかけた。

SNSで炎上しない方がおかしいだろう。

しかも、山里さんとYOUさんは、

「自分がゴーサインを出すまでは(SNSで炎上させるのは)待って」(山里さん)

「ゴーサイン出ますから、それまで待って」(YOUさん)

と、SNS上での出演者批判を認める前提に立ったトークまでしていた(発言の細部までは自信が持てないが、意味は間違ってないはず)。

 

山里さん擁護派の主張を要約すれば、

「山里さんがこのような抑止発言をしたことで逆に炎上を防いでいた」

「山里さんとしては『今はまだSNS上で誹謗中傷するときではない』と暴走しそうな視聴者を諫(いさ)めていた」

というものだ。

あばたもエクボ、牽強付会(けんきょうふかい)とはこのことか。

 

よく考えよう。

山里さんのこの発言は、

「いつかはSNS上で出演者をけちょんけちょんに叩いてもいいときがくる」

ことを前提にしている。

だからこそ、「(いつかは)自分がゴーサインを出す」のだ。

実際、山里さんは「マジ、ネットでたたきますから!」という発言もしている。

 

山里さんがどれほどの方なのかは知らぬ。

山里さんがご自身をどれほどの大物と勘違いされておられたのかも知らない。

しかし、この一連の発言を聞いたゲスな大衆が、

「おぉ!テラハは・・・、いや、少なくとも山ちゃんは『SNSで気に入らない出演者をけちょんけちょんにすること』を認めてるんだ」

と暴走する可能性があるとは思わなかったか?

テラハの視聴者はキリストと聖母マリアだけだとでも思っていたか?

それとも自分の煽りを真に受けて暴走するようなバカはいないと信じていたか?

あるいは、自分が「待て」と言えば、バカどもはそれに従うと本気で思っていたか?

自分の言葉に煽られたバカどもが暴走することなど微塵も考えなかったというのなら、山里さんたちスタジオメンバーは、この先、言葉を道具として芸能界で生きていく資格はない。

彼らはタレントですらない。

Talentには「才能」という意味もある。

自分の発する言葉がどのように解釈されるのか、その可能性を想像して言葉を選べない人間に「言葉芸の才能」があるとは私は思えない。

 

あと。

山里さん擁護派の主張には、

「番組の演出上、山里さんには出演者をイジる役回りが与えられていた。山里さんは自分に与えられた仕事に忠実だっただけだ」

というのもある。

実際、山里さんは出演者たちの弁護役である徳井さんがスタジオを去って以来、ご自身のコメントが行き過ぎてしまうことに危機感を覚え、徳井さん(のような役回り)の復帰を望んでいた、という。

笑止。

 

テラハには詳細な「台本」はなかったんだろ?

番組制作スタッフが山里さんに与えていたのは、「山里さんの芸風である(あった)『負け組の僻(ひが)み目線での毒舌コメント』を出演者たちに向ける」というもの以上ではなかったはずだ。

「毒舌コメント」「ひがみコメント」はいい。

そういう芸風も(私は大嫌いだが)ありだろう。

しかし、それを「お笑いの芸」にできるのは、「負け組」であり「僻んで世の中を見るだろう」と思ってもらえる人間だけだ。

お笑い芸人として成功し、自身のMC番組を複数抱え、美人女優とも結婚し、ようするに下世話な世間的評価からは「勝ち組」であり「負け犬どもから僻(ひが)まれる」側になった山里さんのコメントは、もはや「イジり」でも「毒舌」でもない。

それは「イジメ」であり、単なる「毒」でしかない。

 

山里さんの発言を聞いたり、彼のTwitterを拝見している限り、彼がバカだとはどうしても思えない。

なのに、何故、自分の芸風を軌道修正できなかったのか?

きっちりとした台本がないのであれば、制作スタッフの意向を踏まえつつ、自分の役回りから外れないようにしつつ、言葉を軌道修正できたはずだ。

天下のフジテレビ様の演出だろうと、徳井さんがいなくなったことによるスタジオメンバーのバランス崩壊に気づいていたのであれば、

「徳井さんがいない現状、従来の演出や役回りでは出演者たちに対する一方的な否定・イジメになってしまう」

と何故、声をあげられなかったか。

ダメなものはダメ。

人を傷つけてまで名声や金が欲しいとは思わない。

と何故、胸を張って言えなかったか。

 

成功体験が続きすぎて調子に乗ってはいなかったか。

天狗になってはいなかったか。

「誹謗中傷を受ける側」だったのなら、その辛さや苦しみを誰よりも知っているのなら、自分がそれを煽る側に立たざるを得なくなったとき、せめてカメラが回っていない場所で、2倍3倍のフォローを、あなたにイジメられ、誹謗中傷を煽られて苦しんでいる出演者たちにしてあげられなかったか。

山里さんだけではない。

スタジオメンバー全員が、番組スタッフの下劣極まる演出に異を唱え、是正させ、素人出演者たちを守る機会と力を持っていた。

なのに彼らはそれをしなかった。

 

何度でも言う。

彼らに責任はある。

 

それはプロフェッショナルなタレントとしての職業倫理上の責任だ。

だから責任の取り方は六法全書には書かれていない。

山里さんは、今回の事件について「一生考え続けます」とコメントされた。

足りない。

考えるだけではなく、二度と同じエラーをしないための行動を。

今度同じことがあったときは、相手がフジテレビの社長であっても、「だめです。そんな下劣な演出は受け入れられません。」と声をあげる勇気を。

匿名でしか人を攻撃できない、卑劣な意気地なしどもから第二の木村花さんを守るためには、考えて、勇気を持って行動するしかない。

 

プロフェッショナルなタレントとして木村花さんの死に責任を取り続ける、というのはそういうことだと思う。

次回は【3】誹謗中傷投稿をしていた臆病者たちの責任について考えてみる。

 

 

 


テラハ事件を考えてみる(1)

2020-06-01 12:12:00 | 日記

東京日帰りツーリングが残り2つ(武蔵野市と武蔵村山市)まできて足踏み状態だ。

いや、新型コロナ騒動で外出を自粛しているからではない。

てか、前にも書いたけど、バイクのソロツーリングって究極の反三密ですから。

こういうと、

「ツーリングの途中に万一事故ったら病院のお世話になって医療関係者に迷惑かけるだろ」

とか噛みついてくるゼロリスク中毒の方がいらっしゃるが、それは近所のスーパーに食料品を買いに出かける場合だって、時差出勤する場合だって同じだろう。

交通事故に遭う確率なら、歩きスマホしてるねーちゃんや、ウー◯ーイーツのバック背負って車道を自転車で爆走しているにーちゃんの方が遥かに高いと思うんだが。

昔、ある先輩弁護士が言っていた。

「本当に手に負えないのは、ヒステリーを起こした正義だ。」

 

私が武蔵野市と武蔵村山市に行けないのは、どちらも目的地に設定している場所が新型コロナの問題で営業を自粛しちゃってるからだ。

 

閑話休題。

 

日帰りツーリングにも行けず、7日間ブックカバーチャレンジも終わり、さすがにブログのネタが尽きてきたので、今回はテラハ事件について書いてみようと思う。

「フジテレビの人気番組『テラスハウス』(通称「テラハ」)の出演者だった女子プロレスラーの木村花さん(22歳)がSNS(主にTwitterらしい)上で自分に向けられた誹謗中傷に耐えかねて自ら命を絶った」

という事件である。

木村さんが亡くなった後、マスコミやネット上ではテラハ事件の問題点が色々と論じられているが、今回は、

【1】テラハの制作サイドの責任

について考えてみる。

 

マスコミやネット上の議論を見ていると、

(1)テラハには本当に台本はなかったのか

という問題と

(2)木村花さんが追い詰められてしまったことについて制作スタッフの責任はなかったのか

という問題がごっちゃになっている印象を受けるが、この2つはそもそも全く別の問題である。

まず、(1)テラハには本当に台本はなかったのか、という点。

この点はかつての出演者が取材に応じたりSNS上で内幕を暴露したりしているのだが、そもそも、TV番組の、しかも報道番組ではないエンタメ番組を制作する過程で、制作サイドから何の指示も出ていないわけがないではないか。

出演者の台詞の一つ一つが書かれた「台本」はなかったかもしれないが、物語としての大きな流れ、演出プラン、各週・各クール毎のクライマックスポイントは当然、制作スタッフが制作会議を重ねて詰めているわけで、それを、「台本」と呼ぶか「構成台本」と呼ぶか「演出」と呼ぶか「番組の方向付け」と呼ぶかは言葉の問題に過ぎない。

だいたい、プロの役者でもないド素人の若い男女を一カ所に集めて、

「自由に生活して恋愛して喧嘩して別れてください。」

とだけ指示して、面白い番組ができるわけないだろう。

世の中で「テラハには台本(あるいは演出)があった。騙された。詐欺だ」と騒いでいる輩(やから)はそんなこともわからないのか? あ、わからないから騒いでるのか。

 

じゃ、こういう言い方をすればわかるだろうか

テラハという番組が、ヤラセとか情報の捏造とかが絶対に許されない「報道番組」ではないことに異論はないだろう(ここで異論がある人はこの先は読まないでよろしい。議論にならない)。

テラハはどう見たって「娯楽・エンタメ番組」である。

その内容は視聴者の「のぞき見趣味」「他人様(ひとさま)の恋愛を揶揄(やゆ)する無責任心理」をくすぐる、(わたし的には)品性下劣なエンターテインメントだと思うが、とにかく、単なる「娯楽・エンタメ番組」の一つに過ぎない。

ここで、「テラハには台本(あるいは演出)があった。騙された。詐欺だ。」と騒いでいる人たちに問いたい。

あなたたちはマジックショーを見た後で、「あのマジックのトリックはこれこれこういうものだ」と教えられたら、「あのマジシャンは『タネも仕掛けもありません』って言っていたのに。詐欺だ!」と騒ぐのか?

 

フィクションをあたかもノンフィクションのごとく見せる。

虚構をあたかも真実のごとく見せる。

それはエンターテインメントの世界では称賛されこそすれ、批判されるものではない。

たとえ話をもうひとつ。

ウチの事務所の裏には「東海道四谷怪談」で有名なお岩さんを祀(まつ)った稲荷神社がある。

言うまでもなく、「東海道四谷怪談」は鶴屋南北が「仮名手本忠臣蔵」の外伝として書きおろしたフィクションである。

田宮家も於岩(おいわ)さんも実在した人物らしいが、於岩さんが夫の伊右衛門に毒殺されたとか、按摩(あんま)と不義密通した挙げ句、戸板の裏表に張りつけられて隠亡堀に流されたとかはすべて南北が作りあげた創作だ。

正確には時代を異にしつつも実際に起こった事件を、すべて「田宮家の夫婦問題」に落とし込んで怪談に仕立てたものだ。

まさかとは思うが、21世紀が始まってかれこれ20年が経とうとしている現在、「東海道四谷怪談」が史実(実話)だと思っている人はいないよね?(いたら、スマン)。

エンターテインメントとしての「東海道四谷怪談」が時代を超えて評価されるのは、「上演前にお岩詣でをしないと祟りがある」などという興行側の絶妙なプロモーションに大衆がひっかかって、書き下ろされてから200年近くにわたって(※初演は1825年)、「実話だ」「お岩さんは祟る」と本気で信じられていたからだ。

 

もう一度言う。

フィクションをあたかもノンフィクションのごとく見せる。

虚構をあたかも真実のごとく見せる。

それはエンターテインメントの世界では称賛されこそすれ、批判されるものではないのだ。

 

では、(2)木村花さんが追い詰められてしまったことについて制作スタッフの責任はなかったのか

議論するまでもない。責任はあった。

少なくとも、制作スタッフは木村さんに「テラハ」内においてヒール(悪役)を演じることを求めていた。

少なくとも、制作スタッフは木村さんがその方向に走っていることを制止しようとはしなかった。

何故か?

視聴率が取れて、ネットフリックスにも高く売れるからだ

それ自体はよろしい。エンタメ・ビジネスとはそういうものだ。

視聴者受けするコンテンツ、数字(視聴率)が取れるコンテンツ、他の媒体に高く売りつけられるコンテンツを作ることは評価されこそすれ、(そのコンテンツが違法なものだったり放送倫理に抵触するものでない限り)非難されるべきものではない。

ただ、それによって出演者が被る有形無形の不利益については、たとえ出演契約書に義務として明記されていなかったとしても、制作スタッフは出演者の安全を確保するための手立てを尽くす商道徳上の義務があるはずだ。

契約上の義務とは「契約書に書いてあるもの」がすべてではない。

テラハが「フィクションをあたかもノンフィクションのごとく見せる」「虚構をあたかも真実のごとく見せる」ことに成功していたコンテンツである以上、そして、番組の方針やスタジオ出演者の言動によってSNSを通じて雲霞(ウンカ)のごとく湧いて出る匿名のウンコ野郎どもの誹謗中傷さえも「番組人気のバロメーター」としていた以上、制作スタッフは木村さんを含む出演者たちが無防備にそれらの誹謗中傷に晒(さら)されないように、あるいは、度を越した誹謗中傷には法的措置まで取るくらいの覚悟を持って番組制作に臨むべきだった。

覚悟も方策もないのに(結果的にではあれ)SNSの炎上を「番組人気のバロメーター」として利用していた制作スタッフたち(法律的には「制作スタッフの所属していた会社」、あるいは番組制作の発注元であるフジテレビ)は出演契約に当然に付随・内包される「出演者に対する安全配慮義務違反」を問われてもやむを得ないだろう。

たとえば、番組出演中は個人のSNSアカウントの使用は控えてもらい、番組の専用アカウントのみに視聴者意見を集約させるとか、週に一度、定期的に出演者の個人アカウントに寄せられたすべてのコメントを制作スタッフもチェックして、あまりに度を越した誹謗中傷については制作サイドで法的措置を取る用意があることを出演者に伝えるとか、スタジオ出演者の山里さんらにこれらの糞コメントに対して番組内で何らかの是正意見を述べさせるとか、番組全体の演出としてヒール化していた出演者(=木村さん)をヒロイン化させていくとか。

方策はいくらでもあった。

「自分は一人ぼっちではない。番組スタッフ全員が味方になってくれている。自分を守ろうとしてくれている。」

それを木村さんに現実の行動として伝えるだけで、彼女は死を選ばずに済んだかもしれない。

「そういうことは思いつきませんでした」と言うのであれば、そういう制作スタッフは少なくとも生身の人間を出演させるコンテンツ制作に今後はかかわるべきではない。

想像力も危機対応力もない人間が創造行為に関与することは、幼稚園児に実弾の入った銃を渡して「好きに遊べ」というに等しい。

制作スタッフは、木村さんが追い詰められ、命を絶つまで事態の深刻さに気づかなかった。

そして22歳の一人の女の子の命が失われた。

人間の悪意にタカをくくる。

人間の心の弱さに思いを馳せられない。

そういう人間が作るコンテンツが、観る者の心を打つことなどあり得ない、と思うがどうか?

次回は、【2】スタジオメンバーである山里良太さんやYOUさんたちの責任について考えてみる。