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前回は【1】制作サイドの責任を考えた。
今回は、
【2】スタジオメンバーである山里亮太さんやYOUさんたちの責任
を考えてみたい。
テラハを一度も見たことがない、という方のために簡単に説明しておくと、テラハは、番組側で用意したシェアハウスで生活する男女の出演者と、彼らの様子を見ながらスタジオであれこれコメントをするスタジオメンバーで構成されていた。
直近のスタジオメンバーは、YOUさん、トリンドル玲奈さん、山里亮太さん、馬場園梓さん、葉山奨之さん、徳井義実さんらだった。
ただ、徳井さんは昨年10月に発覚した税金の無申告問題で芸能活動を自粛しておられたから、今回の事件が起きたときにはスタジオメンバーとしての出演はなかったと思う。
木村さんが命を絶った後、当然のごとく、SNS上の匿名軍団たちの誹謗中傷攻撃はこのスタジオメンバーに向けられるようになった。
報道を見る限り、スタジオメンバーの中で最も激しく攻撃されているのは山里さんらしい。
彼のTwitterをみると、木村さんの死について山里さんの責任を問う声と、彼を弁護するファンの方々の声、応援する声が入り乱れている印象を受ける。
なので以下では山里さんを中心に、スタジオメンバーの責任について考えてみようと思う。
その前に一言だけ。
山里さんのTwitter上に匿名で彼を口汚く罵るコメントを寄せているすべての方々へ。
仮に、あなたたちの意見が正鵠を射ていても、なんの説得力もないから。
山里さんに言いたいことがあるなら、多勢の陰に隠れて、なおかつ匿名でごちゃごちゃ言ってないで正々堂々と言おう。
あなたたちがやっていることは、同じように匿名の誹謗中傷で追い詰められ命を落とした木村さんに対してさえ失礼だ。
で、山里さんの責任である。
もちろん、ある。
これでまた山里ファンから集中攻撃を(おそらく匿名で)受けるんだろうけど、あるものはある。
テラハを一度でも見たことがある人は分かると思うけれど、スタジオメンバーの中では山里さんが木村さんたち出演者を「毒舌」でこきおろす、YOUさんたちが面白がってそれを煽る、徳井さんが出演者たちを弁護する、とそれぞれに与えられた役回りがあった。
これ一つとっても「テラハには構成台本や演出があった」とわかりそうなもんなのだが、まぁ、それはさておき。
徳井さんが出演していたころは、毒舌コメントと煽りと弁護がそれなりにバランスを保っていた。
おかしくなったのは徳井さんが出演を見合わせるようになってからだ。
この頃から山里さんの毒舌が暴走するようになる。
YOUさんたちはなんのかんの言ったところで「外野の煽り役」にすぎないので、誰も山里さんを止められない。
「素人の若者たちの恋愛風景」をイジる役回りの山里さんが、いつのまにか単なるイジメ役になってしまっていた。
前回の記事にも書いたが、テラハはしょせん、ゲスな大衆の「のぞき見趣味」に迎合した品のない番組だ。
出演者たちをバカにし、否定し、嘲(ののし)る山里さんの毒舌コメントがそれに輪をかけた。
SNSで炎上しない方がおかしいだろう。
しかも、山里さんとYOUさんは、
「自分がゴーサインを出すまでは(SNSで炎上させるのは)待って」(山里さん)
「ゴーサイン出ますから、それまで待って」(YOUさん)
と、SNS上での出演者批判を認める前提に立ったトークまでしていた(発言の細部までは自信が持てないが、意味は間違ってないはず)。
山里さん擁護派の主張を要約すれば、
「山里さんがこのような抑止発言をしたことで逆に炎上を防いでいた」
「山里さんとしては『今はまだSNS上で誹謗中傷するときではない』と暴走しそうな視聴者を諫(いさ)めていた」
というものだ。
あばたもエクボ、牽強付会(けんきょうふかい)とはこのことか。
よく考えよう。
山里さんのこの発言は、
「いつかはSNS上で出演者をけちょんけちょんに叩いてもいいときがくる」
ことを前提にしている。
だからこそ、「(いつかは)自分がゴーサインを出す」のだ。
実際、山里さんは「マジ、ネットでたたきますから!」という発言もしている。
山里さんがどれほどの方なのかは知らぬ。
山里さんがご自身をどれほどの大物と勘違いされておられたのかも知らない。
しかし、この一連の発言を聞いたゲスな大衆が、
「おぉ!テラハは・・・、いや、少なくとも山ちゃんは『SNSで気に入らない出演者をけちょんけちょんにすること』を認めてるんだ」
と暴走する可能性があるとは思わなかったか?
テラハの視聴者はキリストと聖母マリアだけだとでも思っていたか?
それとも自分の煽りを真に受けて暴走するようなバカはいないと信じていたか?
あるいは、自分が「待て」と言えば、バカどもはそれに従うと本気で思っていたか?
自分の言葉に煽られたバカどもが暴走することなど微塵も考えなかったというのなら、山里さんたちスタジオメンバーは、この先、言葉を道具として芸能界で生きていく資格はない。
彼らはタレントですらない。
Talentには「才能」という意味もある。
自分の発する言葉がどのように解釈されるのか、その可能性を想像して言葉を選べない人間に「言葉芸の才能」があるとは私は思えない。
あと。
山里さん擁護派の主張には、
「番組の演出上、山里さんには出演者をイジる役回りが与えられていた。山里さんは自分に与えられた仕事に忠実だっただけだ」
というのもある。
実際、山里さんは出演者たちの弁護役である徳井さんがスタジオを去って以来、ご自身のコメントが行き過ぎてしまうことに危機感を覚え、徳井さん(のような役回り)の復帰を望んでいた、という。
笑止。
テラハには詳細な「台本」はなかったんだろ?
番組制作スタッフが山里さんに与えていたのは、「山里さんの芸風である(あった)『負け組の僻(ひが)み目線での毒舌コメント』を出演者たちに向ける」というもの以上ではなかったはずだ。
「毒舌コメント」「ひがみコメント」はいい。
そういう芸風も(私は大嫌いだが)ありだろう。
しかし、それを「お笑いの芸」にできるのは、「負け組」であり「僻んで世の中を見るだろう」と思ってもらえる人間だけだ。
お笑い芸人として成功し、自身のMC番組を複数抱え、美人女優とも結婚し、ようするに下世話な世間的評価からは「勝ち組」であり「負け犬どもから僻(ひが)まれる」側になった山里さんのコメントは、もはや「イジり」でも「毒舌」でもない。
それは「イジメ」であり、単なる「毒」でしかない。
山里さんの発言を聞いたり、彼のTwitterを拝見している限り、彼がバカだとはどうしても思えない。
なのに、何故、自分の芸風を軌道修正できなかったのか?
きっちりとした台本がないのであれば、制作スタッフの意向を踏まえつつ、自分の役回りから外れないようにしつつ、言葉を軌道修正できたはずだ。
天下のフジテレビ様の演出だろうと、徳井さんがいなくなったことによるスタジオメンバーのバランス崩壊に気づいていたのであれば、
「徳井さんがいない現状、従来の演出や役回りでは出演者たちに対する一方的な否定・イジメになってしまう」
と何故、声をあげられなかったか。
ダメなものはダメ。
人を傷つけてまで名声や金が欲しいとは思わない。
と何故、胸を張って言えなかったか。
成功体験が続きすぎて調子に乗ってはいなかったか。
天狗になってはいなかったか。
「誹謗中傷を受ける側」だったのなら、その辛さや苦しみを誰よりも知っているのなら、自分がそれを煽る側に立たざるを得なくなったとき、せめてカメラが回っていない場所で、2倍3倍のフォローを、あなたにイジメられ、誹謗中傷を煽られて苦しんでいる出演者たちにしてあげられなかったか。
山里さんだけではない。
スタジオメンバー全員が、番組スタッフの下劣極まる演出に異を唱え、是正させ、素人出演者たちを守る機会と力を持っていた。
なのに彼らはそれをしなかった。
何度でも言う。
彼らに責任はある。
それはプロフェッショナルなタレントとしての職業倫理上の責任だ。
だから責任の取り方は六法全書には書かれていない。
山里さんは、今回の事件について「一生考え続けます」とコメントされた。
足りない。
考えるだけではなく、二度と同じエラーをしないための行動を。
今度同じことがあったときは、相手がフジテレビの社長であっても、「だめです。そんな下劣な演出は受け入れられません。」と声をあげる勇気を。
匿名でしか人を攻撃できない、卑劣な意気地なしどもから第二の木村花さんを守るためには、考えて、勇気を持って行動するしかない。
プロフェッショナルなタレントとして木村花さんの死に責任を取り続ける、というのはそういうことだと思う。
次回は【3】誹謗中傷投稿をしていた臆病者たちの責任について考えてみる。
東京日帰りツーリングが残り2つ(武蔵野市と武蔵村山市)まできて足踏み状態だ。
いや、新型コロナ騒動で外出を自粛しているからではない。
てか、前にも書いたけど、バイクのソロツーリングって究極の反三密ですから。
こういうと、
「ツーリングの途中に万一事故ったら病院のお世話になって医療関係者に迷惑かけるだろ」
とか噛みついてくるゼロリスク中毒の方がいらっしゃるが、それは近所のスーパーに食料品を買いに出かける場合だって、時差出勤する場合だって同じだろう。
交通事故に遭う確率なら、歩きスマホしてるねーちゃんや、ウー◯ーイーツのバック背負って車道を自転車で爆走しているにーちゃんの方が遥かに高いと思うんだが。
昔、ある先輩弁護士が言っていた。
「本当に手に負えないのは、ヒステリーを起こした正義だ。」
私が武蔵野市と武蔵村山市に行けないのは、どちらも目的地に設定している場所が新型コロナの問題で営業を自粛しちゃってるからだ。
閑話休題。
日帰りツーリングにも行けず、7日間ブックカバーチャレンジも終わり、さすがにブログのネタが尽きてきたので、今回はテラハ事件について書いてみようと思う。
「フジテレビの人気番組『テラスハウス』(通称「テラハ」)の出演者だった女子プロレスラーの木村花さん(22歳)がSNS(主にTwitterらしい)上で自分に向けられた誹謗中傷に耐えかねて自ら命を絶った」
という事件である。
木村さんが亡くなった後、マスコミやネット上ではテラハ事件の問題点が色々と論じられているが、今回は、
【1】テラハの制作サイドの責任
について考えてみる。
マスコミやネット上の議論を見ていると、
(1)テラハには本当に台本はなかったのか
という問題と
(2)木村花さんが追い詰められてしまったことについて制作スタッフの責任はなかったのか
という問題がごっちゃになっている印象を受けるが、この2つはそもそも全く別の問題である。
まず、(1)テラハには本当に台本はなかったのか、という点。
この点はかつての出演者が取材に応じたりSNS上で内幕を暴露したりしているのだが、そもそも、TV番組の、しかも報道番組ではないエンタメ番組を制作する過程で、制作サイドから何の指示も出ていないわけがないではないか。
出演者の台詞の一つ一つが書かれた「台本」はなかったかもしれないが、物語としての大きな流れ、演出プラン、各週・各クール毎のクライマックスポイントは当然、制作スタッフが制作会議を重ねて詰めているわけで、それを、「台本」と呼ぶか「構成台本」と呼ぶか「演出」と呼ぶか「番組の方向付け」と呼ぶかは言葉の問題に過ぎない。
だいたい、プロの役者でもないド素人の若い男女を一カ所に集めて、
「自由に生活して恋愛して喧嘩して別れてください。」
とだけ指示して、面白い番組ができるわけないだろう。
世の中で「テラハには台本(あるいは演出)があった。騙された。詐欺だ」と騒いでいる輩(やから)はそんなこともわからないのか? あ、わからないから騒いでるのか。
じゃ、こういう言い方をすればわかるだろうか。
テラハという番組が、ヤラセとか情報の捏造とかが絶対に許されない「報道番組」ではないことに異論はないだろう(ここで異論がある人はこの先は読まないでよろしい。議論にならない)。
テラハはどう見たって「娯楽・エンタメ番組」である。
その内容は視聴者の「のぞき見趣味」「他人様(ひとさま)の恋愛を揶揄(やゆ)する無責任心理」をくすぐる、(わたし的には)品性下劣なエンターテインメントだと思うが、とにかく、単なる「娯楽・エンタメ番組」の一つに過ぎない。
ここで、「テラハには台本(あるいは演出)があった。騙された。詐欺だ。」と騒いでいる人たちに問いたい。
あなたたちはマジックショーを見た後で、「あのマジックのトリックはこれこれこういうものだ」と教えられたら、「あのマジシャンは『タネも仕掛けもありません』って言っていたのに。詐欺だ!」と騒ぐのか?
フィクションをあたかもノンフィクションのごとく見せる。
虚構をあたかも真実のごとく見せる。
それはエンターテインメントの世界では称賛されこそすれ、批判されるものではない。
たとえ話をもうひとつ。
ウチの事務所の裏には「東海道四谷怪談」で有名なお岩さんを祀(まつ)った稲荷神社がある。
言うまでもなく、「東海道四谷怪談」は鶴屋南北が「仮名手本忠臣蔵」の外伝として書きおろしたフィクションである。
田宮家も於岩(おいわ)さんも実在した人物らしいが、於岩さんが夫の伊右衛門に毒殺されたとか、按摩(あんま)と不義密通した挙げ句、戸板の裏表に張りつけられて堀に流されたとかはすべて南北が作りあげた創作だ。
正確には時代を異にしつつも実際に起こった事件を、すべて「田宮家の夫婦問題」に落とし込んで怪談に仕立てたものだ。
まさかとは思うが、21世紀が始まってかれこれ20年が経とうとしている現在、「東海道四谷怪談」が史実(実話)だと思っている人はいないよね?(いたら、スマン)。
エンターテインメントとしての「東海道四谷怪談」が時代を超えて評価されるのは、「上演前にお岩詣でをしないと祟りがある」などという興行側の絶妙なプロモーションに大衆がひっかかって、書き下ろされてから200年近くにわたって(※初演は1825年)、「実話だ」「お岩さんは祟る」と本気で信じられていたからだ。
もう一度言う。
フィクションをあたかもノンフィクションのごとく見せる。
虚構をあたかも真実のごとく見せる。
それはエンターテインメントの世界では称賛されこそすれ、批判されるものではないのだ。
では、(2)木村花さんが追い詰められてしまったことについて制作スタッフの責任はなかったのか。
議論するまでもない。責任はあった。
少なくとも、制作スタッフは木村さんに「テラハ」内においてヒール(悪役)を演じることを求めていた。
少なくとも、制作スタッフは木村さんがその方向に走っていることを制止しようとはしなかった。
何故か?
視聴率が取れて、ネットフリックスにも高く売れるからだ。
それ自体はよろしい。エンタメ・ビジネスとはそういうものだ。
視聴者受けするコンテンツ、数字(視聴率)が取れるコンテンツ、他の媒体に高く売りつけられるコンテンツを作ることは評価されこそすれ、(そのコンテンツが違法なものだったり放送倫理に抵触するものでない限り)非難されるべきものではない。
ただ、それによって出演者が被る有形無形の不利益については、たとえ出演契約書に義務として明記されていなかったとしても、制作スタッフは出演者の安全を確保するための手立てを尽くす商道徳上の義務があるはずだ。
契約上の義務とは「契約書に書いてあるもの」がすべてではない。
テラハが「フィクションをあたかもノンフィクションのごとく見せる」「虚構をあたかも真実のごとく見せる」ことに成功していたコンテンツである以上、そして、番組の方針やスタジオ出演者の言動によってSNSを通じて雲霞(ウンカ)のごとく湧いて出る匿名のウンコ野郎どもの誹謗中傷さえも「番組人気のバロメーター」としていた以上、制作スタッフは木村さんを含む出演者たちが無防備にそれらの誹謗中傷に晒(さら)されないように、あるいは、度を越した誹謗中傷には法的措置まで取るくらいの覚悟を持って番組制作に臨むべきだった。
覚悟も方策もないのに(結果的にではあれ)SNSの炎上を「番組人気のバロメーター」として利用していた制作スタッフたち(法律的には「制作スタッフの所属していた会社」、あるいは番組制作の発注元であるフジテレビ)は出演契約に当然に付随・内包される「出演者に対する安全配慮義務違反」を問われてもやむを得ないだろう。
たとえば、番組出演中は個人のSNSアカウントの使用は控えてもらい、番組の専用アカウントのみに視聴者意見を集約させるとか、週に一度、定期的に出演者の個人アカウントに寄せられたすべてのコメントを制作スタッフもチェックして、あまりに度を越した誹謗中傷については制作サイドで法的措置を取る用意があることを出演者に伝えるとか、スタジオ出演者の山里さんらにこれらの糞コメントに対して番組内で何らかの是正意見を述べさせるとか、番組全体の演出としてヒール化していた出演者(=木村さん)をヒロイン化させていくとか。
方策はいくらでもあった。
「自分は一人ぼっちではない。番組スタッフ全員が味方になってくれている。自分を守ろうとしてくれている。」
それを木村さんに現実の行動として伝えるだけで、彼女は死を選ばずに済んだかもしれない。
「そういうことは思いつきませんでした」と言うのであれば、そういう制作スタッフは少なくとも生身の人間を出演させるコンテンツ制作に今後はかかわるべきではない。
想像力も危機対応力もない人間が創造行為に関与することは、幼稚園児に実弾の入った銃を渡して「好きに遊べ」というに等しい。
制作スタッフは、木村さんが追い詰められ、命を絶つまで事態の深刻さに気づかなかった。
そして22歳の一人の女の子の命が失われた。
人間の悪意にタカをくくる。
人間の心の弱さに思いを馳せられない。
そういう人間が作るコンテンツが、観る者の心を打つことなどあり得ない、と思うがどうか?
次回は、【2】スタジオメンバーである山里良太さんやYOUさんたちの責任について考えてみる。