つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

八王子市

2019-11-17 22:26:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第39回は八王子市。

市の名前は牛頭天王(ごずてんのう)とその眷属(けんぞく)でもある8人の王子に対する信仰に由来すると言われてますが、この「牛頭天王」、いったいどこから来たのか、そもそも神なのか仏なのかすらはっきりしない。
3尺(90cmくらい?)の牛の頭と3尺の角をもつ7尺5寸(220cmくらい?)の大男というから、神とか仏というより、見た目は2.5頭身の奇怪なバケモノである。
本地仏は薬師如来だといいつつ、素戔嗚命(すさのをのみこと)とも同一視され、挙げ句、釈迦の教団の拠点、祇園精舎の守護神でもあるという。
ところが、古事記にも仏典にも経典にも牛頭天王は出て来ません。
「蘇民将来」という民間説話の中に登場するのだが、この「蘇民将来」自体、いつ、誰が、どのように作ったのかさっぱり分からない。
いや、もう、この神様(だか仏様)、
胡散臭さ満点。大好き。

総持寺の大欅に話しかけていたお婆さんのような人が昔はたくさんいて、そういう人たちが日々の祈りと心の拠り所にしていた「何か」が長い長い年月を経て民間説話と融合し神格化したのが「牛頭天王」という不思議な神様(or仏様?)なのだろう(西東京市編からの繋ぎ方が上手い!←自画自賛)

興味のある向きは鈴木耕太郎先生の『「牛頭天王縁起」に関する基礎的研究』を読まれたい。

で、八王子。
どこ行こう?
総持寺で悟りも開いたわけだし、やっぱりこの流れで高尾山薬王院でも参るか?(西東京市編からの繋ぎ方が上手い←しつこい)
ちょうど紅葉シーズンだし。さぞかし美しい写真が撮れるだろう。

よし決めた。

ユーミンの実家に行ってみよう。


調布市編で触れた名曲「中央フリーウェイ」
調布ICから中央高速に乗って、調布基地を追い越し・・・で、ゴールは?
大月か?山梨か?諏訪湖か?
いえいえ、「中央フリーウェイ」のゴールは八王子の荒井呉服店でござるよ。

あの歌は、当時、ユーミンが恋人の松任谷正隆氏(現、ご主人)に八王子の自宅まで送ってもらったときの情景を歌にしたものだから。

ユーミンのご実家は100年以上続く呉服店。
最近では「ハレノヒ」事件で被害にあった新成人たちに救いの手を差し伸べたことでも有名になった。
「中央フリーウェイ」のゴールでもあり、あのユーミンのご実家でもあり、「ハレノヒ」事件で神対応をした呉服屋さん。
見てみたい!

いや、ミーハー丸出しですが、それが何か?

鼻息荒く行ってみたら↓


建物がなーい!
なんか書いてあります↓


ありゃま。
仕方ない。とりあえず仮店舗に。
ここ↓


越後屋さんみたいな大店(おおだな)の店構えを想像してましたが、めっちゃオシャレでモダンな店構え。
さすがユーミン。
あ、別にユーミンが経営してるわけじゃないか。

ちなみにこの日は八王子在住のごっちゃん(仮名)がお勧めしてくれた陵南公園近くの甲州街道で「八王子いちょう祭り」が開催中。

ちょっと足を伸ばして行ってみることに。

黄金色のいちょう並木がめちゃめちゃ見事です↓


そして交通整理の婦警さんも可愛いです↓


陵南公園の前では何やら若者たちが踊りまくっておりました。


ただ、曲はユーミンじゃなかったですが。

おーい、八王子で踊るんなら
曲は「中央フリーウェイ」で。

あ、踊りにくいですね。やっぱし。




西東京市

2019-11-16 22:12:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第38回。西東京市。

我がまち練馬と接する、保谷市と田無市が合併して2001年にできた新しい市だ。

かつての田無市にあった田無神社が有名だが、行ってきたのは田無神社のすぐ近くにある総持寺というお寺。


実は「総持寺」という名前のお寺は全国各地にある。
横浜市鶴見区の総持寺と石川県輪島市の総持寺は曹洞宗。
滋賀県長浜市の総持寺と大阪府茨木市の総持寺と富山県高岡市の総持寺と群馬県太田市の総持寺とこの西東京市の総持寺は真言宗。
・・・といった具合。

「総持寺」という名前のお寺が多いのは、「総持」が「仏の教えをよく記憶して忘れない」という意味の仏教用語だからだろう。「総持」はサンスクリット語だと「ダラーニ(陀羅尼)」。
要するに、仏教徒の生涯目標みたいな標語をそのままお寺の名前にしちゃってるわけですな。

で、何故、田無神社ではなく総持寺に来たかと言うと、ここに田無地域最大級の大欅(けやき)があると聞いたから。

これ↓


推定樹齢180年位らしい。
たしかに凄い。圧倒されます。

てか、大き過ぎて画面に入りきらん。

ちょっと角度を変えてみましょう↓


本堂もなかなか立派です↓


ものすごい勢いで「おみくじ」をアピールしとるが、今年は指は切るわ、ストレス溜まる仕事は多いわ、おみくじなんか引かんでも、大凶に決まっとる!

でも、大凶だろーが、天中殺だろーが、13日の金曜日だろーが、気にしない。
気にしてなんとかなるならいくらでも気にするが、ヒトの運気とかバイオリズムとか、気にしたってどーしよーもないことを気に病むのは時間の無駄だ。
私の運気がいいとか悪いとかなんて、この地で180年、悲喜交々(ひきこもごも)の人の世を見続けてきた大欅にすればハナクソみたいな悩みだろう。

私が写メを撮っていると、どこからか一人のおばあさんがやって来て、大欅の幹をさすりながら、
「おけやき様、おけやき様。今日は令和元年11月16日でございます。今日も元気に暮らしております。ありがとうございます。」
と話しかけていた。
本堂もおみくじもそっちのけで。

信仰というのは本来、こういうものかもしれぬ。
昨日も今日も明日も、大欅をさすりに来られることだけを感謝して生きる。
それ以上を求めることもなく、それ以下に怯(おび)えもしない。

それを人は「悟り」という。

大欅はいつもそこにある。
日射しが暑くても、風雨に晒(さら)されても、愚痴も言わずそこに立ち続けている。
ただ立っているだけなのに、ヒトには木陰を、小さな生き物たちには風雨をしのぐ場所を提供して感謝されている。
何も言わないのに、みんなに話しかけられて愛されている。
いつか枯れて朽ち果てるその時も、泣きもせず、怒りもせず、誰かを恨むこともなく、静かに倒れていくだろう。

それは仏の境地ではないか。

大欅をさすっていたあのお婆さんは、不運続きでへこたれそうになっていた私に何かを伝えようと現れた仏の化身だったのかもしれませぬ。

では今回は地蔵陀羅尼を唱えて終わりましょう。繰り返し唱えると地蔵菩薩の功徳がありますぞよ。

唵訶々々微三摩曳薩婆訶















調布市

2019-11-11 00:23:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第37回は調布市。

調布といえば、すぐに浮かぶのは、

調布基地を追い越し
 山に向かって行けば」

で始まる松任谷由実(ユーミン)の名曲、『中央フリーウェイ』

というわけで、今回は旧調布基地(現在の調布飛行場)にやって来ました↓


ちょうど神津島からの便が到着したところ↓


ここは空港内にあるプロペラ・カフェ↓


検問ゲートを通らないと空港内の敷地に入れないので、お店に行くまでがちょっと面倒ですが、店内はお洒落で、飛行機の離発着も間近に見られる超お勧めスポット。


NYチーズケーキとブレンド・コーヒーのセットを頂きましたが、これがバカ旨!


店内には現在、日本に1台しかないVRフライト・シミュレーターがあります。
5分1000円/15分3000円と少々お高いですが、調布基地を飛び立って新宿まで飛行して来ました(5分コース。15分コースだと羽田空港まで行って着陸までできます)。
ちなみに2回くらい墜落しかけました。
でも、
メッチャ面白かった!


お店の横は機体格納庫になっていて、店内からも出入り可能↓


なんか変なの(ヨーダ?)が乗ってますね。

ユーミン(『中央フリーウェイ』発表当時はまだ荒井由実)が調布飛行場のことを「調布基地」と歌っているのは、この歌が発表される3年前まで、ここが在日アメリカ軍の「調布基地」だったから。

『中央フリーウェイ』が発表されたのは1976年3月14日(TBS系「日曜スペシャル」のスタジオ・ライブ企画「セブンスターショー」)。

中央高速の調布ICと首都高4号線(新宿線)の高井戸ICが完全接続して首都高から中央高速に直接入れるようになったのは約2ヶ月後の5月18日。

つまりユーミンが『中央フリーウェイ』を作った頃は、歌に出てくる恋人たちは新宿か高井戸から調布まで甲州街道(国道20号)をひた走って来て、調布ICでようやく「夜空に続く滑走路」に入っていたわけですな。

調布基地は高井戸方面から調布ICを入るとすぐ右手に現れ、たちまち後方に消えていく。
だから『中央フリーウェイ』はスタートが高井戸でも新宿でもなく、いきなり「調布基地を追い越」すのだ。

ちなみに「セブンスターショー」では、かまやつひろしが『中央フリーウェイ』を歌った(!)
この曲はユーミンがかまやつひろしのために書き下ろしたものだ。

ところで。
アメリカ軍から返還された調布基地の跡地には現在、調布飛行場だけでなく味の素スタジアムなんかも建っている。
味の素スタジアムが有名になったので多くの人に知られるようになったが、スタジアムの脇(甲州街道沿い)には1964年の東京オリンピックのマラソンコース折り返し地点の記念碑と表示がある。

これ↓


1964年といえば私が生まれた年でもある。

この折り返し地点辺りから「裸足の王者」と呼ばれたエチオピアのアベベ・ビキラが独走態勢に入った(※アベベが裸足でマラソンを走ったのは1960年のローマオリンピックの時。東京オリンピックのときはちゃんとシューズを履いていた)。
ゴール後、すぐに整理体操を始めたアベベが、「まだ、あと10kmくらいは走れた」と言ったのは有名だ。
アベベは調布基地が日本に全面返還された1973年の10月に亡くなった。

アベベに遅れて銅メダルとなった日本の円谷幸吉(つむらやこうきち)選手はその後、

「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」

と遺書を遺(のこ)して自殺した(1968年1月9日)。
高度経済成長の真っ只中。
日本中が前と上だけを見てガムシャラに走り続けていた時代だった。
円谷選手は、熱病のように浮かれた日本の空気に背中を押され続け、立ち止まることも休むことも許されず、命を擦り減らし、最期はひとりぼっちで逝った。
彼の遺書は、韻律が美しすぎて、慟哭が哀しすぎて、愛情が切なすぎて、何度読んでも涙なくして最後まで読めない。

2020年の東京オリンピック。
「東京は暑過ぎる」ということでマラソンと競歩の会場は札幌に変更された。
選手の身体のことを考えれば当然の措置だ。

そもそも東京にオリンピックを誘致するためIOCに提出された立候補ファイルでは、

この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。」

と明らかに現実と異なる説明がされていた(第1巻テーマ2)。
予算についても「7000億円程度で実施可能」などと荒唐無稽な試算をもとに「コンパクト・オリンピック」をアピールしていた(その後、膨らみに膨らんだ予算は3兆円)。

開催まで1年を切ったこの時期の会場変更には反対意見も多い。
しかし、考えてみれば猪瀬前都知事に率いられた誘致委員会は嘘八百を並べ立てて東京開催をもぎ取って来たのだ。

嘘がばれた今、相応のペナルティを払うのは当然だろう。

当然だとは思うけれど、56年前、日本中で円谷選手を追い詰めてしまった償いのためにも、今度こそ、全ての出場選手たちに楽しく、自由に、東京の街を走ってもらいたかったと思っているのは、たぶん、私だけじゃないだろう。



多摩市

2019-11-10 00:06:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第36回は多摩市。

行ってきたのはここ↓


この写真だけでどこだか分かる人はかなりの多摩通か演劇通ですな。

ここは京王多摩センター駅前にある多摩市の複合文化施設、パルテノン多摩。
正面に見える建物がギリシャのパルテノン神殿を彷彿(ほうふつ)とさせることから名付けられたという。




今から31年前。
ちょこっと小劇場演劇界に足を突っ込んでいた頃。
当時、一緒に暮らしてた彼女(もまた、小劇場の劇団の女優だった)と、ここの野外特設劇場に芝居観に来たなぁ。
たしか夢の遊民社の「彗星の使者(すいせいのジークフリート)」だったか。

当時、野田秀樹さん率いる夢の遊民社は小劇場界の雄として飛ぶ鳥落とす勢いだった。
ただ、彼女と観た「彗星の使者」はあんまり面白くなかった(うわ、野田秀樹さん、すいません)。
目の前の芝居より、遠くの方で上がっている打ち上げ花火に見入っていた。
夢の遊民社の芝居は芸術性は高いんだろうけど、何が言いたいのか凡人の私にはよく分からなかった。

でも、世はバブル景気の真っ只中で、
「オレたち凡人には理解できないけど、その理解できないとこがゲージュツなんだよ」
の一言で人や金が簡単に動いてた時代だった。

世の中にはアブク銭が溢(あふ)れてて、猫も杓子(しゃくし)も持ってる金を株か不動産につぎ込んでた。
銀座のクラブのねーちゃんが株買って、お客さんとハワイ行って帰って来たら資産が倍に増えてたとか、タクシー会社の「表の」電話番号に電話してもいつも話し中で通じないから、確実にタクシーを呼べる「裏電話番号」が1件3万円で売り買いされてるとか、六本木のディスコ(古っ!)の年間VIP会員権が1000万円だとか、景気がいいというより、ノータリンでバカみたいな話が街中に溢れてた。

それからわずか2年後。
バブルがはじけて、まず株が紙屑になった。1990年10月1日のことだ。
暫くすると不動産も暴落しだした。地価が下げ止ったのは2005年。下落率は87%。1億円で買った土地が1300万円になった計算だ。
バブルの崩壊で1400兆円の資産が日本から消えたと言われてる。

けれど1988年当時はほとんどの日本人がこの意味不明な景気が永遠に続くと本気で信じてた。
「フリーター」なんて言葉が流行り始めて、「金のために仕事の奴隷になるんじゃなくて、やりたいことをやろう。生きたいように生きよう」みたいな風潮に若者たちが踊ってた。

結局、浮かれた世の中に踊らされることなく、自分のやりたいことに向かってコツコツと努力を続けた一部の人間以外の、「生きたいように生きる」とか「自分探しの旅に出る」とか訳の分からない呪文を唱えて現実逃避を続けていた奴らは10年後、20年後に強烈なしっぺ返しとツケを払うことになった。

どんなにマスコミが煽(あお)ろうと、どんなに証券会社や不動産屋が夢物語を語ろうと、
楽して一生生きていけるユートピアなんてあるわけない
という至極当たり前のことを、日本中が忘れていた。

あの日、夏の夜の蒸し暑さにうだりながら私が彼女と「彗星の使者」を観た野外特設会場も今は閑散としたただの広場だ。


パルテノン多摩がバブルの象徴だとは言わないけど、祭りの後の風景はたいていこんなもんだ。

ちなみにパルテノン多摩は多摩中央公園の中にある。


人間が浮かれようと沈もうと、景気が良かろうと悪かろうと、季節は巡り、雲は流れる。

あれから30年。
なんだか世界はまた悪い夢を見始めてるような気がする。
不動産価格が騰がり、確たる理由もないのに株価は高値を更新し続けてる。飴玉一つ買えない仮想通貨に100万の値がついて取引される。

登り続けて降りてこないこと。それを遭難という。

みんな今度こそ、遭難しないでおうちに帰ろうね。




三浦半島

2019-11-09 13:33:00 | 晴れた日は仕事を休んで
東京日帰りツーリング。
今回は番外編。

世田谷区編で登場したオーニシさんとH本君(特に名を秘す)と私のオッさん3人組で三浦半島に行ってきたでござる。

先のブログにも書いた、「くっそムカつく」裁判がまだ続いているので、司法修習生である久M君(特に名を秘す)は「弁護士はどのようにして仕事上のストレスを発散しているか」という課題についての大切な実地研修だ。

目指したのは秘書ちゃんに教えてもらった三崎港の「くろば亭」
有名な三崎のマグロ以外にも美味い海の幸が食えるという。
HM君(特に名を秘す)は池袋のレンタルバイク屋さん(レンタル819)で借りたCB400で参加だ。

オーニシさんが経営する経堂の珈琲豆屋さん(焙煎急行)を出発して環八を南下し、第三京浜に入って横浜新道〜横浜横須賀道路〜三浦縦貫道路と走り継いでようやく到着。
看板の文字のビミョーにヘタクソな手書き感がほのぼの感を誘うくろば亭↓


と思ったらすげぇ待ち行列でやんの。
平日の昼なのに。
みんな、仕事しよーぜ!


オッさん3人がぼっさらたこーんと待ってても絵にならないので、待ち時間を利用して近くのお寺へ行ってみることに。
この石段見た瞬間にヒチャモト君(特に名を秘す)は「えー、ここ登るんすか?やめましょーよー」とヘタレモードに。


こら、H。
そんな弱気で●回試験通ると思ってんのかぁ?

H君の尻を蹴飛ばしながら長い長い石段を登り切ると、さびれた港町には似つかわしくない立派なお寺が。


なんでも源頼朝が造った桜、桃、椿の三つの御所のうちの一つ、桜の御所跡に建てられた本瑞寺というお寺らしい↓

境内の石仏も風情満点ざんす↓


くろば亭に戻り、刺身定食をいただく。
なるほど、美味い。
しかしお値段は2200万円と少々お高め。


遅めの昼食を終えたところで、「せっかくここまで来たんだから」と三浦半島の最南端、城ヶ島まで行ってみることに。

これ、城ヶ島灯台↓


彼方に見えるのは大島↓


こっちは東京湾の向こう、千葉の房総半島↓


帰路。
オーニシさんが「ソレイユの丘に行きたい」と駄々をこねるのでソレイユの丘に寄り、ブルーベリーソフトを食べる。
売店のおばちゃんに、「ぼーっと生きてるとトンビにソフト持ってかれるから気をつけて」と、チコちゃん(に叱られる)顔負けの忠告をいただく。

この時点で16時半。
H君がバイクを返却する約束の時間は18時。
ヤバい。

かっ飛んで帰ってきましたよ。
帰り道は時間帯的に環八が混むだろうと見越して首都高ルート。
我が愛車ボルティにはカウルがついてないので80km/h超えるとマジでツライ。
日が暮れた途端に風は超冷たいし。

裸で雪女に身体中舐めまわされてる感じだ。
気持ちいいんだか、死にそうなんだか。

結局、レンタルバイク屋さんに着いたのは18時半。
スタッフのお兄ちゃんがとてもいい人で、「30分くらいなら延長料金はいいですよ」と笑って許してくれました。

後で調べたら、CB400のレンタル料金、8時間(つまりH君が借りた10時〜18時)と24時間(つまり翌日の10時まで)とで3000円しか違わないことが判明。
そりゃ30分くらいの延長料金なんて計算するだけ面倒じゃな。

ってか、久本(特に名を秘さず)!

3000円くらいケチらず24時間レンタルにせんかい!

帰りの首都高で死ぬかと思ったわ。

そんなことで二●試験に通ると・・・
(ホントに落ちちゃったら、今度は宇都宮のバイク神社に行こーぜ。※このブログをフォローしてくれてるBOLT仲間のおざまるさんのブログ見てたら行きたくなりました。)