つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

14歳のヒロへ

2021-02-28 14:09:00 | 子育て

14歳のヒロへ

 

投げ出さずにそろばんを頑張り続けた。

投げ出さずに卓球を頑張り続けてる。

どこにあるのかわからないけど、「やる気スイッチ」が入ったときのヒロは最強だ。

 

身長もパパと同じになって、卓球部で鍛えた身体は引き締まって、少しずつ少しずつ成績もアップして。

 

たまに失敗したり、道を踏み外しそうになることもあるけど、ヒロのいいところは、どんなに辛くても、怖くても、踏ん張って逃げ出さないところだとパパは思う。

 

優しいヒロ。

インチキをしないヒロ。

逃げ出さないヒロ。

ズルをしないヒロ。

 

ヒロは、パパの最大で最高の自慢だ。

誕生日おめでとう。

パパの子に生まれてきてくれて、ありがとう。

せっかくこの世に生まれてきたんだ。

いつか、大好きな何かを、とことんとことん

極めよう!

 

パパより

 

2017年2月9日





 


練馬城址公園の整備計画についてのパブリックコメント

2021-02-27 13:30:33 | としまえん問題

【意見】

1)公園審議会を始めとして東京都や練馬区のご担当者が10年近くにわたって作り上げてきた「広域防災拠点機能を有する練馬城址公園の整備計画」は、土地所有者の西武鉄道株式会社が、直前に「整備計画対象地の約北半分を事業用定期借地として貸し出し、そこにハリー・ポッター・スタジオツアーという巨大なアミューズメント施設(以下「スタジオツアー施設」)を作る」(以下「スタジオツアー計画」)という方針に転換したため、大きく後退を余儀なくされました。

「私有財産の自由利用」という建前に依拠し、公園整備計画に関わってこられたすべての方のみならず、練馬城址公園の広域防災拠点機能に生命・身体の安全を委ねる立場にあるすべての都民・区民を愚弄するかのような今回の西武鉄道株式会社の判断に対し、公園審議会、東京都、練馬区から断固たる異議の申し立てをしていただきたいです(ここで行政が毅然たる態度を示さなければ、西武鉄道株式会社あるいは他の企業によって同様のことが将来にわたって繰り返されるでしょう。)。

2)既に進み始めているスタジオツアー計画は、ワーナーブラザース等の外国企業も深く関与しており、かつ、旧としまえんの樹木の多くが伐採され、アトラクションの全てが解体撤去されてしまった現状、白紙撤回は困難だと思います。

但し、練馬城址公園の本来の整備計画対象エリア内に建てられるスタジオツアー施設が建築基準法その他の関係法令を遵守した適法な建物であるか否かの判断については、その許認可権者である東京都がすべての情報を公開すべきです。

すなわち、スタジオツアー施設は「博物館その他これに類するもの」として建設されようとしているところですが、対象地が第二種住居地域に指定されていることとの関係から、関係法令、先例、通達、指針等に照らして、

①スタジオツアー施設を「博物館その他これに類するもの」と認めることが本当にできるのか?

②スタジオツアー施設が「博物館その他これに類するもの」として認められたとして、それは第二種住居地域に建設可能な内容のものといえるのか(なお、建設省の昭和46年8月10日住街発第966号をご参照)?

についての東京都の検討・検証結果はすべての都民・区民に公開されるべきです。

3)練馬城址公園の整備とスタジオツアー計画の関係については、関係5者によって「令和2年6月12日付都市計画練馬城址公園の整備にかかる覚書」が締結されていますが、同覚書6条2項においてスタジオツアー施設の運営者等は「練馬城址公園の機能の実現の一翼を担うことに配慮する」義務を負っています。ほとんど倫理規定・努力規定のような条項ではありますが、少なくとも東京都としては、この条項を根拠としてスタジオツアー施設に広域防災拠点の機能を実現させるべく、西武鉄道、ワーナーブラザースジャパン合同会社、伊藤忠商事株式会社に対し、あらゆる配慮を強く申し入れるべきです。

具体的には、

①緊急時における避難住民や自衛隊、消防隊員、ボランティア等の救助スタッフに対する建物の無料開放、通信設備等のインフラの無料利用

②建物の耐震強度を少なくとも震度7以上の地震に耐えうる防火建築とすること

③建物屋上のヘリポート利用

④建物内に緊急時の食料・水・衣服等の備蓄スペースを確保

が最低限の希望です。

先般、東京都が実施されたオープンハウスにおいて、東京都の担当者から広域防災拠点についてのご説明をいただきましたが、その際、「要するに人が避難できる十分な解放スペースがあればいいんですよ」というご発言がありました。

東京都の担当者レベルにおいてすら「避難場所」と「広域防災拠点」の区別ができていない、という現実に唖然とせざるを得ませんが、少なくとも公園審議会が「練馬城址公園に広域防災拠点機能を持たせる」という決定をされた以上、総務省消防庁が平成15年3月に作成した「広域防災拠点が果たすべき消防防災機能のあり方に関する調査検討会報告書」及び国土交通省が公開している広域防災拠点に関する参考資料(基幹的広域防災拠点の必要性等について詳しく検討したもの)に準拠した機能を練馬城址公園及びスタジオツアー施設に具備させてください。

4)上述のとおり、西武鉄道株式会社はとしまえん閉園を惜しみ、敷地内の樹木やアトラクションの一部保存を切望する近隣住民の声を無視して樹木伐採、アトラクション撤去を進めてしまいました。

しかしながら、西武鉄道株式会社もまた、上記覚書6条2項に基づき、練馬城址公園の「にぎわい機能」(地域との連携により多様な交流活動が行われ活気をもたらす空間の創出、来園者が憩うことの出来る便益施設の整備)の実現の一翼を担うことに配慮すべき義務を負っています。

「地域との連携」を全く無視した今回の西武鉄道株式会社のスタジオツアー計画の進め方に対しては覚書6条2項違反を強く問責するとともに、練馬城址公園の地にかつて94年にわたって多くの利用者から愛され続けてきた「としまえん」が存在したことを後世に伝えるため、「としまえん」にあったアトラクションの一部(具体的には機械遺産に指定されているカルーセル・エルドラド及び旧木馬の会事務所に使用されていた古城)を移設・存置してください。

 


13歳のヒロへ

2021-02-27 11:41:00 | 子育て

13歳のヒロへ

 

13歳の誕生日、おめでとう。

 

1年前の誕生日にパパがヒロに言った2つの目標をヒロは覚えているだろうか。

1つ目は「もっと運動をすること」

2つ目は「もっと自分の可能性を信じて努力すること」

 

この1年間で、ヒロはちゃんとパパが言った目標を達成した、と思う。

(多少スマホとDSの時間が長いような気もするけど)この1年間、部活をサボることなく、毎日一生懸命に練習を続けた。レギュラーにも選ばれて試合にも出た。

(はじめはパパに怒られながらだったけど)こつこつと進研ゼミを続けて、少しずつだけど成績もアップして来た。

 

ヒロが、2つ目の目標である「自分の可能性」をどれくらい信じているか、それはヒロの心の中の問題なのでパパには分からないけれど、この1年で、ヒロはこれから生きていく上で一番大切なことを学んだとパパは思う。

それは、「努力することで変われる自分」を見つけたということだ。

 

頑張って練習しても、頑張って勉強しても、昨日の自分と今日の自分の間にはたいした違いはないように思えるかもしれない。実際、「昨日の自分」と「今日の自分」の間に、それほど劇的な違いなんて人間、ありはしないんだ。

けれど、頑張って練習し続けて、頑張って勉強し続けて1年経ったある日、「1年前の自分」を大きく超えている「今日の自分」には気づけたはずだ。

誰かに勝つとか、誰かよりいい点を取るとかじゃなくて、パパは、ヒロに「自分を成長させることのできる喜び」を見つけてほしかった。

 

名古屋のじいちゃんは、死ぬ前日までずっと日記をつけて自分を客観的に見つめ続けていた。

「ガンであと1年しか生きられません」と医者に言われた後も、自分でガンの本を買って、インターネットでガンの最新の治療法を調べて、毎日1万歩歩くことを目標にして、最期の一瞬まで頑張り続けていた。

 

名古屋のじいちゃんの遺伝子はパパを通じてヒロにも受け継がれている。

だから、きっとヒロも、どんな時でも諦めない、挫けない、逃げ出さない男になるんだろうと思う。

 

何かを始める時、「できっこない」と心がつぶやきそうになったら、「できるかできないかはやってみなけりゃ分からない。」と口に出して言ってみよう。

何かを続けるとき、「もうダメだ」と心が折れそうになったら、「あと少しだけ頑張ってみよう。」と空を見上げてみよう。

何かから「逃げ出したい」と思ったときは、「背中を見せて逃げ出すくらいなら前に進んで突き破ってやろう」と足を踏み出してみよう。

 

名古屋のじいちゃんは、医者から「1年以上生きられっこない」と言われても、「1年で死ぬか、3年生きられるかは、生きてみなけりゃ分からない。」と頑張った。

ガンの告知を受けてから死ぬまで、何度も「もうダメだ。」と思ったかもしれないけど、「もう少しだけ生きるぞ。」と日記に書き続けて生きるのを止めなかった。

医者から「もうすぐお前は死ぬ。」と言われれば、誰だって逃げ出したいくらい怖いのに、「もっと生きる。」とガンから逃げようとしなかった。

「死」という結果が常に負けなら、人間はみんな最後には負けることしかできない生き物だ。

「1番」以外の人間はみんな負け犬なら、たった一人の人間以外の全人類は負け犬だ。

 

でも、「生きる」とか「頑張る」って、そんなにつまらないものでも、無意味なものでもない。

「一生懸命生きること」

「自分を変える努力を投げ出さないこと」

「死ぬほど怖い瞬間から逃げ出さないこと」

「黙り込んで諦めないこと」

「うつむいてくじけないこと」

「立ち止まるより一歩だけ前に足を踏み出すこと」

そうすれば、どんな人生でも楽しくて、わくわくして、光り輝くものになるということ。

名古屋のじいちゃんはガンの告知を受けてから3年かけて、そのことをパパやヒロに伝えて、天国に行った。

 

世界はもっと楽しい。

人生はもっとワクワクすることでいっぱいだ。

いつか、天国でじいちゃんに会ったとき、

「僕はじいちゃんのお陰で、こんなにワクワクドキドキする楽しい一生を生き抜いたよ。」

と報告できるような、そんな毎日をこれからも送ろう。

 

2016年2月9日

パパより






12歳のヒロへ

2021-02-26 18:25:00 | 子育て

12歳のヒロへ

 

12歳の誕生日、おめでとう。

 

11歳の誕生日から今日までの1年間でヒロがよくなったところ。

ママにイライラしても自分の気持ちをコントロールできるようになったこと。

パパとの約束をちゃんと守るようになったこと。

部屋の片づけを毎週1回、きちんとすること。

雨の日も寒い日もゴミ出しをしてくれること。

ユウちゃんに優しく接してあげられること。

そろばんの昇級試験に合格したこと。

近所の人にちゃんと挨拶ができること。

転んでも転んでもスノボの練習を続けていること。

DSやスマホのゲームの時間を守っていること。

お小遣い帳をちゃんとつけて自分のお金の管理をできるようになったこと。

 

1年間によくなったことが10あるなら、ヒロは1年間で10、大人になったということだ。

 

これからの1年。

小学生から中学生になってますます大人に近づく1年。

パパが見て「今のヒロに足りないなぁ」と思う2つのことを克服しよう。

 

一つ目。もっと運動をしよう。中学校に入ったらスポーツ系の部活に入ろう。苦しくても途中で止めることなく3年間頑張ってみよう。運動をして、健康な身体を作り上げよう。別に有名スポーツ選手になる必要なんかないし、毎年、レギュラーに選ばれる必要もない。

でも、中学・高校時代に、どんなに辛くても逃げないで、一生懸命何かを続けて、強い筋肉と健康な身体と負けない精神力を作ることは、ヒロがもっと大きくなって、本当の大人になって社会に出たとき必ず役に立つ。

パパは中学校時代はバレーボール部だった。学校の駅伝の選手も併行してやっていた。高校時代はラグビーばかりしていた。別に花形選手じゃなかったし、辛いことも多かったけど、あの頃、一生懸命、練習していたことは、やっぱり今、役に立ってる。サーフィンをすること、ゴルフをすること、マラソンをすること、そういう「身体を動かす遊び」を通じて色んな人と知り合って、仕事で知り合ったお客さんとも単なる仕事での付き合い以上に仲良くなって分かり合えること、寝る間もないほど忙しい日が続いても倒れたりせずに働き続けてヒロたちを食べさせていけること。

大人になって働き始めたら、「いい学校を卒業している」「勉強が人よりできる」「仕事も人よりできる」だけじゃダメなんだ。いい学校を卒業してて、人より勉強も仕事もできても、いつも身体を壊して、不健康で、仕事を休んでばかりいたら、誰も相手にしてくれない。仕事で誰も相手にしてくれない、ということは、生きていくのに必要なお金も稼げない、ということだ。好きな漫画もゲームも買えないし、映画も見れないし、食事にも行けない、ということだ。大切な人を守って養うこともできない、ということだ。

スポーツをする、ということは辛いことばかりじゃない。辛いことの方が圧倒的に多いけど、その先にすごく楽しくて嬉しいこともきっとある。

何度も転んで、痛い思いをして、寒くて、辛くて、それでもスキーを上手に滑れるようになったこと、昨日までできなかったスノボが少しずつ上手になっていること。そういう経験をしているヒロならきっと分かるはず。

 

二つ目。もっと自分の可能性を信じて努力しよう。

幼稚園の頃や、小学校1年・2年の頃。ヒロは誰よりもスキーが上手かった。校庭の登り棒にもスルスル登れた。サッカーも上手かった。

でも今はどうだろう。あの頃、ヒロより登り棒が下手だった友だち、走るのが遅かった友だち、サッカーが下手だった友だちにヒロは追い抜かれた。

ヒロを追い抜いていったのは、毎日コツコツ一生懸命に練習を続けていた友だちたちだ。

どんなに才能があっても努力をしないヤツは、結局、それほど才能がなくても努力を続けているヤツに、いつか必ず追い抜かれる。努力しないヤツは、努力し続けるヤツに、絶対に勝てない。生まれ持った才能で1度や2度は勝てても、長い人生での戦いでは絶対に勝てない。

結局、「努力し続ける」という才能が、いちばん尊くて絶対に強い。

「努力をする」ためには、一つだけ、コツがある。

「頑張って努力していれば、必ず、自分は今より上手くなれる。強くなれる。賢くなれる。」と自分の可能性を信じることだ。

「どうせ、頑張って努力したって、俺はダメに決まっている。」と最初から諦めているヤツは努力しても続かない。というより、そもそも努力自体ができない。

最初から諦めてるから努力しない。だから努力する仲間に差をつけられる。差をつけられるからますます面白くない。ますます「やっぱり俺はダメだ」と落ち込む。ますます努力しない。そしていつか、大切な何かまで失う。

ヒロにはちゃんと可能性がある。「努力すればスキーが上手くなれる可能性」「努力すればスノボが上手くなれる可能性」「努力すればサッカーが上手くなれる可能性」「努力すればそろばんの昇級試験にも合格できる可能性」「努力すればカードバトルで無敵になれる可能性」「努力すれば将棋が強くなれる可能性」

可能性はちゃんとある。それはパパが保証する。

あとは、ヒロが自分の可能性を信じて、どんなことでも努力をし続けられるかどうかだけだと思う。

勉強でも、スポーツでも、ゲームでも、余力を残さないように全力でやってみよう。それでクラスで1番になるとか、学校で1番になるとか、誰かに勝つとか、いつ、目標に到達するとか、そういうのはどうでもいい。たいした問題じゃない。

 

「全力でやってみた」

「そしたら、やってみる前と、少しだけ自分が変わった。できなかったことができた。」

 

そういう中学生に、なろう。

 

自分の可能性を信じて、自分の世界を広げよう。

世界とその上の空は、ヒロの名前と同じように無限に広がってる。

 

2015年2月9日

パパより

追伸:誕生プレゼントの図書カードで漫画ばっかり買わないように!たまには漫画以外の本も買うこと。





 


11歳のヒロへ

2021-02-25 10:26:11 | 子育て

11歳のヒロへ

 

11歳の誕生日、おめでとう。

 

パパが11歳だった頃。

名古屋のじいちゃんと名古屋のばあちゃん、つまりパパのお父さんとお母さんはパパが小さい頃からずっと仲が悪かった。

とうとうパパが小学校4年生の時、「別々に暮らそう」ということになって、お母さんは今まで暮らしていた家を出て行くことになった。

パパはお母さんについて家を出て行くことになった。

どうしてお母さんについて行くことになったのかよく覚えていない。

お母さんからいつもお父さんの悪口を聞かされていて、お父さんのことが嫌いになっていたからかもしれない。

そうしてパパは生まれて初めて転校した。

だからパパは小学校4年生の途中から小学校5年生まで、お母さんと2人で暮らしていた。

 

パパのお母さんは看護婦の仕事をしていた。

看護婦の仕事、というのは仕事の時間が不規則で、夜遅く帰ってくることもある。

そういうとき、パパは一人で家に帰って、自分でご飯を作って、一人で食べていた。一人で食べるご飯は、どんなにいっしょうけんめい作ってもあんまりおいしくなかった。

 

転校した先の小学校ではバレーボール部に入った。レギュラーで試合にも出ていた。

友だちもたくさんいた。みんなスゴクいいヤツだった。今でも時々、夢に出てきたりするよ。

 

お母さんとパパの2人暮らしは、結局、パパが小学校6年生になった時に終わった。またお父さんとお母さんが一緒に暮らすようになったからだ。だからまた転校して、最初に通っていた小学校に戻った。

 

小学生の時、特に4年生頃までは、家に帰るといつもお父さんとお母さんがケンカばかりしてた。学校ではパパは目立たない子どもだった。親がケンカばかりして、家に安心できる居場所がないと、子どもって性格が暗くなるんだ。パパも内気で暗い子どもだった。勉強がメチャメチャできたわけでもないし(それはパパの小学校の時の成績表を見ればわかる)、運動がメチャメチャ得意だったわけでもない。家はどちらかというと貧乏だった。一番のごちそうは、炊きたての白いご飯に砂糖をかけて食べるのだったな。

だからというわけでもないけど、小学校時代のパパはどちらかというと目立たない、いじめられっ子だった。

 

小学校4年の時に転校して、5年生の時は別の小学校に通って、その時の担任の先生(男)がスゴクやさしくてイイ先生で、友だちもみんないいヤツばかりで、その頃からパパは明るくなった。

「家とか両親がメチャメチャでも何とかなるんだな。味方になってくれるヤツが世の中にはいるんだ。」って分かったからかもしれない。

 

パパの小学校時代というのはこんな感じだったから、パパは「お父さんとの思い出」というのがすごく少ない。今は名古屋のじいちゃんともよく話すし、一緒にご飯も食べるし、お酒も飲んだりするけど、小さい頃は全然違った。お父さんにたくさん遊んでもらったとか、色んな所に連れてってもらった、という記憶があまりない。全然ないわけじゃないけど。

そういう子ども時代を過ごしたから、「小学生の子どもと父親の付き合い方」というのがパパはあまりよく分かっていない。だから、今、ヒロの話を聞いたり、ヒロとケンカしたり、ヒロに何かを伝えたり、ヒロを叱ったり、ヒロとどこかに出かけたりするのが、パパはスゴク楽しい。

 

パパが小さい頃のお父さんとお母さんはそんな風だったけど、別にパパは名古屋のじいちゃんと名古屋のばあちゃんをうらんではいないし、キライでもない。そういう子ども時代を送れたことで、パパにとってすごくプラスになったことが、実はたくさんあるから。

 

ヒロもそろそろ反抗期に入ってきた。パパやママがウザイだろ。

男の子というのは早い子だと小学校5年生くらいからそういう時期に入る。体と心がどんどん大きくなってきて、なんだかイライラして、親の言うことやることすべてがうっとうしくて。物をこわしたり、親に「クソババア」とか「死ね」とかひどいことを言ったり。

ママはそういうヒロを見て、「病気じゃないか」とメチャメチャ心配したけど、パパはあまり心配してない。男の子というのはそうやって大人になっていくものだから。パパもそうだったし。

 

パパはたぶん、普通の人より感情の量が多い。誰かを好きになったり、嫌いになったり、嬉しかったり、悲しかったり、感動したり、落ち込んだり。そういう心の動きが人より大きい。たぶん、3倍くらい。

ヒロはそういうパパの子だから、やっぱり感情というか心がたくさん動くんだろう。大人になりきれていない体の中で、色んな気持ちが爆発しそうになって、イライラしたり落ち込んだりするんだろう。

それが今のヒロだ。

 

だけど、気持ちとか感情が大きいというか多い、というのは全然悪いことじゃない。ワクワクしたり、ハラハラしたり、ドキドキしたり、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、落ち込んだり、そういうのがたくさんある、というのはとても楽しい人生を送れる、ということだ。

 

「宏天」という名前はパパが考えた。

とんでもなく広くてデカい、世界を包み込んでいる「天」のように、どんなことでも受け入れられる大きな大きな人間になろう、という願いを込めた。

 

ヒロのいいところは、「優しい」ところだ。反抗期のヒロは否定するだろうし、嬉しくないだろうけど。

ヒロの優しいところは、ヒロが友だちに接するところや、祐ちゃんに対する態度を見ているとよく分かる。

祐ちゃんがまだ赤ちゃんだったとき。車の中に眠っていた祐ちゃんとヒロを残してパパがTSUTAYAにDVDを返しに行ったことがあった。

DVDを返すのに少し時間がかかって車に戻ったら、目を覚ました祐ちゃんが大泣きしていた。ヒロは一人で一生懸命、祐ちゃんに話しかけて、抱きしめて、祐ちゃんをあやし続けていた。パパはそんなヒロを見て、嬉しくて涙が出そうになった。

 

今はまだ分からないかもしれないけど、「優しい」というのは、勉強ができることより、運動ができることより、お金をたくさん持っていることより、スゴイことなんだ。

「人に優しい人」の周りには人が集まってくる。集まってきた人の中から仲間ができる。仲間がどんどん増えると、一人じゃできなかったこともできるようになる。世界と未来と人生が広がる。

「勉強はできるけど優しくないヤツ」「スポーツ万能だけど優しくないヤツ」「お金持ちだけど優しくないヤツ」の周りには人は集まってこない。集まってきたとしても、すぐにいなくなる。本当の仲間はできない。

 

ママが悲しむから、(ママの言葉や態度にイラッとしても)あんまりママにひどいことは言わないようにしよう。

 

そろばんは頑張ろう。

1週間に1回、部屋をきれいにしよう。

夜9時過ぎたらDSは片づけて勉強するか本を読もう。マンガを読んだら、同じ数だけ、マンガじゃない本も読もう。本を読むのはいいことだ。たくさんの本を読もう。名古屋のじいちゃんは毎月毎月、本をヒロに送ってきてくれる。パパが小さい頃は貧乏だったけど、やっぱり名古屋のじいちゃんは本を毎月買ってくれていた。どんなに忙しくても、名古屋のじいちゃんが送ってきてくれた本だけは全部読もう。

 

たくさん本を読んで、たくさん勉強して、たくさん遊んで、たくさん人に優しくして、少しずつ大人になろう。

 

2014年2月9日

パパより