つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

10月31日の親父

2015-10-31 21:32:00 | 親父の日記

2012 水曜 8600 晴

AM10時すぎに陶生病院へ「骨シンチ(?)」検査(アイソトープ検査)のため、アイソトープ注射。一旦、家へ帰り。

PM 1時50分から●●(※判読不能)の検査。更に続いてMRIの全身検査をうけて来た。

 

2013 木曜 6800 晴

AM 腰痛用のシーツ注文したが、いつ送付されるのか聞いたら11月上旬とのこと。

PM PCでわが家の財政表の一部を作成した。

 

2014 金曜 6200 曇のち雨

AM 「エディオン」へ、修理が出来たクリーナーを取りに行く。

PM 「ヨーカ堂」で摂子と2人の通帳記入。

どうも食欲がなく、夕食前に測ったら37度5分。風邪を引いたようだ。

 


10月30日の親父

2015-10-30 13:17:00 | 親父の日記

2012 火曜 23800(2日間) 10:35

AM9時すぎから奈良国立博物館の「正倉院展」を見る。

JRで桜井へ行き、「安倍文殊院」、そして、更に「西大寺」を参拝。京都へ出て京都駅の「とり八」で一杯。帰名してから、また、錦三のスナックで飲んで帰宅。

 

2013 水曜 6200 晴

加藤クリニックで10月末のガン検査を受けたら、ガンが縮み、タテが0.17cm、横が1.94cm、先月より小さくなっていた。白豆杉の効果か?

ノートパソコンの初期設定をNTT西日本のリモートサービスへTEL。教えてもらう。

 

2014 木曜 10700 9:15 晴

AM いつも通り、新聞読み、PC。

PM エアコン4台のフィルター掃除。6時に金山の天狗で新美、小塚と久し振りに飲んだ。

 


遺影

2015-10-29 17:52:49 | 親父の肺癌

ここ10日ほど、親父の日記のアップばかりである。

80歳の無名の老人の日記をいったい誰が読みたいと思っているのか、アクセス数に変化がないのが不思議だ。

 

親父はこのブログの(数少ない)愛読者の一人だった。

親父は、

「葬儀は親族のみの親族葬で。友人知人への連絡は四十九日が終わってから。」

と言い残していたが、愛読していたこのブログでなら、自身の他界を公表されても文句はあるまい(と勝手に推測)。

 

このブログを読んでくれている方で、私の親父のことを知っておられるあなた(誰?)。

父、平岩宏志は平成27年10月19日16時46分に他界しました。80歳でした。

死因は肺腺癌ですが、直接の死因は間質性肺炎の急性増悪でした。

息子の私が言うのも変ですが、最期の最期まで男らしく自分を律し続けた、素晴らしい親父でした。

 

親父は最期の瞬間まで自分の指にはめたパルスオキシメータ(血中の酸素濃度を測る器械)で自分の体調を確認し続けていた。

一人暮らしだった親父は、最期を看取った私の妻に、

「(一人暮らしをしていた)あの家で寝ていると、天井を見上げながら、

『このままここで、たった一人で死んでまうのか』

と何度も思った。

病院に入って、こんなにたくさんの人に親切にされながら死んでいけるなんて思ってもおらんかった。

ありがたい。」

と告げた。

 

親父がいなくなった家で、親父の遺品を整理していると、親父の言葉が浮かんできては、この家で一人ぼっちで生きていた親父の孤独に涙が止まらなくなる。

親父が死んで10日。

「俺にはこんなに涙があったのか」と思うくらい泣いた。なのに、それでも涙が止まらない。

 

親父の孤独を和らげるために、

親父が生きた痕跡を少しでも世に残すために、

そして、親父と同じ病で今も頑張って生きている方に、

「あなたと同じ病に侵されながらも、

日々を楽しみ、

1日1日を大切に生き、

最期の瞬間まで自分を律し続けた老人がいる。

親父にできたことがあなたにできない訳がない。

諦めることも、自暴自棄になることもしないでほしい。

最後まで頑張ってほしい。」

とエールを送るために、

私は親父の日記を公開し続けている。

 

親父の遺影はこれだ。

 

肺腺がんの宣告を受けた年の5月5日。2人の孫と自宅の縁側で撮った写真からおこしたものだ。

写真は私が撮った。

2人の孫を抱き、息子に写真を撮ってもらった親父。

この時点ではまだ肺腺癌は見つかっていない。

葬儀会社TEARの担当Kさんに、

「こんな素晴らしい笑顔の遺影は見たことがない。最高の遺影だと思います。」

と言わしめた親父の笑顔だ。

 

親父はこの写真が一番のお気に入りだったらしく、いつもパソコンをしていた2階の部屋に大きく引き伸ばして額に入れて飾っていた。

親父の死後、親父の財布から、縮小印刷した同じ写真を見つけた。

裏には自分と孫たちの生年月日が書かれていた。

たぶん、おそらく、きっと、いつも財布に入れて持ち歩いては、会う人に見せて孫の自慢をしていたのだろう。

だから、財布に入っていた小さい方の写真は棺の中の親父の手に握らせて親父と一緒に天国に送った。

天国で会った人たちに、ちゃんと自慢できるように。

その写真がこれだ。私の部屋にも同じ写真が飾ってある。

 

今もまだ、親父のことを書くと、涙が止まらなくなる。

今から事務所訪問に来てくれる修習生に会わなければならないというのに、このざまだ。

 

もう少し時間が経って、泣かずに親父のことを書けるようになったら、ぼちぼちと親父の思い出を書こうと思う。

けれど、今は、まだ、無理だ。

すまない、親父。


10月29日の親父

2015-10-29 17:52:17 | 親父の日記

2012 月曜 晴

AM10時から昼まで「易講座」受講。

PM3時すぎから近鉄特急で高津(?)と奈良へ。

今日はホテル「馬酔木」 到着してから夕方であるので「がんばりや」と「一兆」でそれぞれ清水さんの思い出話をして飲んだ。

 

2013 火曜 5000 雨

梶田に連れていってもらい、「あいち腰痛」を受診。経過良好のため、風呂もOK。帰りに梶田宅で昼食をよばれて帰宅。

 

2014 水曜 5200 晴

AM、新聞を読み、11時すぎに加藤内科へ。今日は患者多く、診察終了は12時過ぎ。

PMは庭の草刈りを少しやる。

PCで摂子の後見人書類作成。

北海道の青蓮へハガキ出す。


10月28日の親父

2015-10-28 07:47:14 | 親父の日記

2012 日曜 3300 雨

終日雨で暖房が欲しいくらいの気候。

「ヤマナカ」へ買物に。

PM3時すぎ、水谷茜(?)さんから病状についてのTELあり。

 

2013 月曜 10600 晴

AM 加藤内科で達一さんに会う。前立腺ガン宣告を受けてから10年程とのこと。歳は俺より8才上。元気だ。

「銀行」と「郵便局」へ行き、孫の預金をする。

PM 「エディオン」「酒のスギタ」「幸楽苑」と廻り、更に「イマジン」へ行きWindows8.1の参考書購入。

 

2014 火曜 6000 2:35 晴

AM 11時30分大曽根の嘉文で服部夫婦と会い、2時まで飲んで話し込む。

その間、3回もトイレ通い。恥しい位だった。

朝は冷え込みがあったが、昼間は北風が吹き、もう初冬という感じ。