第5回は「あ行」最後の大田区。
大田区といえば、羽田、下町、田園調布。
「下町ロケットのモデルになった工場」というリクエストも頂いたりしましたが、そもそも私が「下町ロケット」を読んだことも見たこともないのでボツ、ということでm(_ _)m
田園調布はなんだかバイクと最も縁遠い場所のような気がするので(※あくまでも個人の感想です)ボツ、ということでm(_ _)m
というわけで今回は大田区の面積の3分の1を占めるという羽田空港・・・の近くの穴守稲荷(あなもりいなり)神社と、いわくつきの羽田大鳥居に行ってきました。
太平洋戦争での敗戦後、米軍が接収した羽田空港の拡張のために穴守稲荷神社とその周辺の民家を強制移転させたとき、原因不明の病人やケガ人が次々と出て、赤い大鳥居だけは移転させられなかったとか。
この鳥居です↓
「穴守稲荷様の祟りだ」などと恐れられましたが、1999年に新B滑走路整備のため現在の地に移転したときには死人も病人もケガ人も出てないので、まぁ、敗戦国民のささやかな抵抗エピソードだったかと。
とりあえず大鳥居様に別れを告げて本殿の穴守稲荷神社に。
現在、境内整備工事中ですが参拝はOK。
工事フェンスに囲まれちゃってますが近づけばこんな感じ↓
なかなかに立派です。
ちゃんとお賽銭入れて二礼二拍手一礼。
稲荷といえば狐なので境内のあちこちにお狐様が↓
しかし、お祀りしてある、というよりひとまとめにして置いてある感満載。
ちょっとぞんざい?↓
ここまでくると、もはや、お祀(まつ)してあるんだか、片付けてあるんだか、粗大ゴミ収集待ちなんだか↓
ま、そもそも、お狐様自体は「神様」ではなく、「神様の眷属(けんぞく)」という位置付け。
稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、豊宇気毘売命(とようけびめのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、大宣都比売神(おおげつひめのかみ)、若宇迦売神(わかうかのめのかみ)、御饌津神(みけつのかみ)といった穀物・食物の神々様。
それが神仏習合思想で江戸時代以降は「狐に乗っている」とされる荼枳尼天(だきにてん)と同一視されたり、畑の害獣である野ネズミを捕食する狐が尊ばれたりする流れで、「狐は五穀豊饒(ごこくほうじょう)を助けてくれるお稲荷様のお使いだ」となった、といわれている。
いや、だとしても、この扱いはいくらなんでもあんまりでは・・・↓
ところで。
イナリに「稲荷」という漢字をあてたのは空海だと言われているが、それ以前は「伊奈利」と書かれていた。
「稲荷」と書けば、見て字の如く「稲の荷」だから、なるほど、穀物神とか狐と親和性が高いような気がするが、「伊奈利」となると穀物も狐もぜんぜん関係ない。
穀物神とか狐とかは、空海があてた「稲荷」という漢字を単に説明したにすぎない。
イナリはローマ字表記なら「INARI」。
いきなり話が飛ぶようだが、しばし我慢してお付き合いください。
ゴルゴダの丘で磔刑(たっけい)になったイエス・キリストの十字架には、「INRI」という罪状札が打ち付けてあった。
これ↓
「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」(ユダヤ人の王 ナザレのイエス)の略である。
キリスト教で異端とされたネストリウス派では「インリ」と読むのだそうだ。
しかし、「N」は「ナザレの」(NAZARENUS)の「N」だから「NA」と書けば「INARI」となる。
日本初のスタンプラリー、四国八十八ヵ所巡礼を企画した天才プロデューサー空海が、それまでパッとしなかった「イナリ」信仰を広めるために本来の意味から離れて、農耕民族に受け入れられやすい「稲荷」の文字をあてた、と考えるのは想像力逞(たくま)しすぎっすか?
そもそも、日本にイナリ信仰を持ち込んだのは秦氏(はたうじ)らしい。
この秦氏、「秦の始皇帝の末裔(まつえい)」などと自己申告したりしているが、どうもその出自がはっきりしない。
この秦氏が、実はネストリウス派の末裔ではないかとの説まである。
ちなみに、日本の氏神の8割近くは八幡神社と稲荷神社だそうだが、大分県にある宇佐八幡(全国に4万社余りある八幡神社の総本宮)もまた秦氏の勧請(かんじょう)によるものとされている。
八幡はかつて「やはた」と読んだ。
イスラエル12部族のひとつ、ユダ族(ユダヤの語源)はヘブライ語で「ヤフダ」である。
蛇足ながら、空海の開いた教王護国寺の中には八幡社も祭られている。
毎年、4月下旬の最初の日曜日から5月3日にかけて、教王護国寺の守護神である伏見稲荷と教王護国寺の中の八幡社を神輿(みこし)が往復している。
あぁ、なんてタメになる雑学ブログだろ(自画自賛)。
さて、次回は「か行」に突入。
葛飾区ですぞよ。
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