「青天の霹靂」
平成20年。たぶん6月の中旬頃。
那覇のKさんからメールが届いた。
「先生、裁判所から自宅を差し押さえたという通知が届きました。
家内は半狂乱になっています。
助けてください。」
メールには裁判所から届いたという書類の画像データも添付されていた。
なんだ。差押じゃなくて仮差押(かりさしおさえ)じゃないか。
仮差押っていうのは、
「これから裁判を起こすけど、判決が出る前に相手が財産を隠したり、誰かに売っちゃったりすると困るから、勝訴判決をもらう前に『仮に』相手の財産を差し押さえておきますよ」
っていう制度のこと。
仮差押されても、それで今すぐ何かがどうなるわけでもない。
Kさんに説明して、とにかく落ち着いてもらう。
メールに添付されていた仮差押決定書を見ると、被保全権利が5124万5960円になってる。
つまり、この先、Kさんは民事裁判を起こされて5124万5960円を請求されるということ。
Kさんの自宅は那覇市内の新築一戸建て。
住宅ローンもたっぷり残ってるはずだ。
Kさんは現在、失業中だ。
裁判で負けたらKさん一家は破滅するかもしれぬ。
「仮差押を受けたってことは必ず近いうちに裁判所から訴状が届くから、そしたらすぐに連絡して。」
とメールを返しておく。
人のよさそうなKさんの顔と、優しくて気弱そうな奥さんの顔と、すこしヤンチャな息子の顔と、可愛い娘の顔が脳裏をよぎった。
梅雨入りしたのが噓のような空が青く晴れ渡った日だった。
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「Kさんのこと」
Kさんと知り合ったのは遡ること3年前。平成17年の師走だった。
当時Kさんが社長をしていたWTK社(@東京)の親会社WWT社(@那覇)のT社長が被告人になった刑事事件で私がT社長の主任弁護人を担当したのがきっかけだった。
T社長の事件はFX取引に絡んだ巨額の出資法違反事件で、当時、新聞にも大きく取り上げられたりした。
出資法違反ではなく詐欺罪での立件を目指していた検察官との丁々発止の攻防とか、それはそれで面白い話満載なのだけれど、今回は「民事弁護編」なので、ここでは詳しくは触れない。
KさんはT社長が逮捕されて以来、たった一人でWWT社に詰めかける取引先や被害者の対応をし、T社長やその家族を支え、接見や刑事裁判の準備で那覇に行く私のためにホテルを手配し、運転手代わりになり、食事の世話をしてくれていた。
T社長がどのような意図で全国の出資者(というか被害者)から巨額の資金を集めていたのかはさておき、私にはKさんはおよそ犯罪とは無縁な、純朴なウチナンチュ(沖縄人)にしか見えなかった。
那覇に足を運び始めて何度目かの夜。
国際通り脇の琉球居酒屋「黒うさぎ」のカウンターでKさんに尋ねてみた。
「酷なようだけど、T社長が逮捕されて、社員もみんな逃げ出して、WWT社の先は見えてると思う。
このままじゃKさんもとばっちりを食うよ。奥さんも子供もいるのに、どうしてT社長やWWT社と縁を切らないの?
俺のことは気にしないでいいからKさんも逃げた方がいい。」
ところがKさんは言った。
「先生。実はT社長は私の母の従兄弟なんです。
WWT社の社員で今も残っているのはT社長の娘のTMちゃんだけです。
今、私が逃げ出したら、まだ20代のTMちゃんが一人で怒り狂った被害者の対応をしなければなりません。
・・・・私にはそんなことはできません。
今はTMちゃんやT社長を一人にはできないんです。
内地の方にはわからないかもしれないけど、
沖縄の人間というのはそういうもんなんです。」
その後、私が予言したとおり、WWT社とWTK社は廃業し、Kさんは失業した。そして今回、自宅を仮差押された。
もうすぐ、5124万5960円を請求される裁判も始まる。
ああ、そういえば明日(3月7日)はKさんの誕生日だった。
Kさん、誕生日おめでとう。
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「訴状、届く」
平成20年7月16日。
Kさんの自宅に名古屋地方裁判所から訴状が届いた。
Kさんに5124万5960円を請求してきたO氏は愛知県在住である。
数日後。
私のもとにKさんから訴状と証拠のコピーが郵送されてきた。
全16頁の訴状の中身は、要するに、
「平成17年5月25日午後2時に、当時、Kさんが社長を務めていた東京のWTK社の会議室で、O氏は、KさんとT社長から、『FX取引で絶対儲けさせる』等と違法な勧誘を受けて、虎の子の5200万円を出資した。その金を返せ。」
というもの。
T社長は詐欺罪での起訴こそ免れたものの、既に出資法違反の有罪判決(但し、執行猶予)が確定している。
平成17年当時、確かにKさんはT社長から命じられてWTK社の社長に就任し、ほぼ1週間おきに那覇と東京を往復していた。
T社長の刑事裁判が進むにつれて、ようやくKさんも自分がT社長に利用されていたことに気づいたけれど、それ以前のKさんは「T社長のFX取引の才能は凄い」とT社長に心酔していた。
Kさんに有利な事情も、それを証明する証拠も何一つない。
平成20年7月29日。
Kさんに訴訟委任状を郵送する前に、私がKさんの代理人を受任した場合の着手金と、万に一つ、裁判に勝てた場合の成功報酬額を電話で伝える。
電話口の向こうでKさんが絶句した。
失業中のKさんに払える額ではない。
私が名古屋地裁に出頭するための東京・名古屋間の交通費だって払ってもらえるかどうか怪しいところだ。
勝訴の見込みがまったく立たない事件だから、法テラスで弁護士費用を立て替えてもらうことも難しい。
T社長の刑事裁判が終わった後も、Kさんとは家族ぐるみの付き合いだった。
Kさんは私の最も大切な友だちの一人になっていた。
だから、友だちとして、Kさんとその家族を助けてあげたい。
けれど、当時、まだ独立前で所属事務所から給料を頂いているイソ弁(※居候弁護士の略。事務所に勤めて給料をもらっている弁護士のこと。最近では「アソシエイト」と言ったりもする)の私が、正義感とKさんへの友情だけで、無報酬で事務所の執務時間に穴を空けてKさんの裁判に取り組むのは無理だった。
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「諦める」
平成20年7月31日。Kさんから連絡。
裁判で闘うのは諦める、という。
裁判所には出頭せず、欠席して敗訴判決をもらうしかありません、という(※民事裁判では、指定された期日に裁判所に出頭せず、反論の書面も出さないと、相手の主張をすべて認めたものとみなされて敗訴判決が出されてしまう。「擬制(ぎせい)自白」という)。
Kさんは弁護士費用を貸してくれないか、年老いた両親(私も何度かお会いしたことがある)に頼んでみたが、父親からは、
「裁判に勝つとか負けるとかじゃない。
こういう裁判を起こされたというだけでK家の恥さらしだ!
金は貸さない!
自宅でも何でも取られてしまえばいい!」
と突き放されたという。
「親父に怒鳴られて、もう諦めました。
家内や娘にまで親切にしてくださった御恩は忘れません。
先生、今まで本当にありがとうございました」
黒うさぎで
「今はTMちゃんやT社長を一人にはできないんです。
沖縄の人間というのはそういうもんなんです」
と話していたKさんの顔が浮かんだ。
これで終わりなのか?
俺にできることは、もうないのか?
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「KNちゃんからのメール」
Kさんから裁判断念の連絡が届いた翌日。
Kさんの娘のKNちゃんからメールが届いた。
タイムスタンプは「2008/8/1/10:30:50」 になっている。
以下、当時、高校3年生だったKNちゃんからのメール(全文)である。
「お忙しいのにメールしてしまってすみません。
でもどうしたらいいのかわからなくてご連絡しました。
これは本当に自分のわがままですが、この家がなくなってしまうのは嫌です。
でも一番は父が裁判を欠席することが嫌です。
そうしたら父まで悪いことをしたと認めてしまうようで納得がいきません。
これが一番良い方法なのでしょうか?
自分はまだ子供だし、裁判のことも全然わからないので、とても不安です。
生意気なこといってすみません。
でもどうしたら良いのかわからなくて、いてもたってもいられませんでした。
こんなに父や私達のことを考えて下さってる平岩先生にご迷惑ばかりかけて、本当に申し訳ないです。
平岩先生にはいつもいつも感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。
こんなに長々と意味の分からないメールを読んで下さってありがとうございました。」
このメールを読んで動かない人間を、私は弁護士とは認めない。
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「那覇に飛ぶ」
平成20年8月3日。KNちゃんからメールをもらった翌々日。
那覇に飛んだ。
自腹である。しかもトップシーズンの週末。
航空券代が痛いことこの上ない。
私も何度か泊めて頂いたKさんのご実家2階の和室。
私と、Kさんご夫婦と、Kさんのご両親。
テーブルの上にはKさんの奥さんとKさんのお母様が作ってくれた山盛りの琉球料理と泡盛。
島らっきょうと泡盛の古酒が旨い。
酒の勢いも借りて私は必死に話し続けた。
「お父さんのお気持ちもよく分かります。
もしかしたら、本当にKさんはO氏を騙すようなことを言ってしまったのかもしれません。
でも私は、KNちゃんのKさんに対する気持ちを大切にしてあげたいです。
たとえ負け戦でも、裁判所に出頭もせず、言うべきことも言わずに事件に幕を下ろすのは卑怯だと思います。
K家の人間の中で、たった一人、まだ子どものKNちゃんだけが正しいことを言っているんじゃないでしょうか。
何一つ反論しないで、一方的にKさんが悪かったのだと裁判所に認定されてしまったら、お金や家以上に大切なものを失います。
それは、KNちゃんのお父さんに対する信頼やKNちゃんのわれわれ大人に対する信頼、それにKNちゃんの世の中に対する信頼です。
Kさんが本当のところは何をしたのか、O氏に何を喋ったのか、今の段階では私にも分かりません。
でも、
今回のことでKNちゃんが傷つかなければならない理由はどこにもない。
KNちゃんのために、裁判で闘わせてもらえませんか?
それにKNちゃんが言うように、私もKさんが人を騙すような人間とはどうしても思えないのです」
Kさんが泣き、奥さんが泣き、Kさんのお母様が泣いた。
Kさんの父上はしばらく黙って考え込んでいた後で、こう言ってくれた。
「わかりました。先生、私が間違っていました。
KNのためにも、裁判で闘ってやってください。
先生にお支払する着手金は私がなんとかします」
第1回口頭弁論期日が迫っていた。