平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2054 平和の使徒「中村哲医師」

2020-12-04 10:38:40 | 日記

昨年の12月4日、戦乱や干ばつで荒廃したアフガニスタンやパキスタンで、人道・復興支援のために、
働いていた中村哲医師が、凶弾に倒れた。
診療施設の拡充、農業振興のための灌漑事業などに取り組み、井戸を掘ること1600本。
アフガニスタン大統領が、「地域の英雄」と讃え、大統領自らも中村医師の「ひつぎ」を運んだ

かつて、東西交易路として栄えたアフガニスタンは、「文明の十字路」だったが、
19世紀になって、英国・ソ連の植民地争奪戦争に巻き込まれ、戦乱で市民生活は痛めつけられ、
英国やソ連の傀儡政権に不満のテロリストが勢力を強め、苛烈な内乱状態が続き、「戦乱の十字路」
になってしまった。ソ連崩壊後は、アメリカが乗り出した。
2001年9月の米・同時テロ後は、アメリカのテロ武力制圧が強まり、ドロ沼戦が繰り広げられ、
国土の荒廃を一層ひどい状態にした。
そういう苛酷な状況の中で、中村医師は、「ナカムラのオジサン」と慕われ、人道・復興支援に尽力
されていた

ご自分の命を犠牲にしてまでも尽力された中村医師は、まさに、「平和の使徒」だった
武力抗争で、平和は絶対得られない。
英国に代ってソ連が、ソ連に代ってアメリカが、数十年の内乱・抗争を主導してきたが、決着つかない。
英国も、ソ連も、アメリカも、若い兵士の命と戦費をドブに捨て、国の衰亡に向かっているのだ。
大国の若い命と戦争に使ったカネを、中村医師の活動支援に回したら、アフガニスタンは、ピカピカの
「平和の十字路」になっていた筈

大国の政治家は、平和の使徒「中村哲医師」の「爪の垢」を煎じて飲んでもらいたい
昨日行った平林寺の紅葉。

12月4日、「今日は何の日カレンダー」より
E・Tの日、人権週間(~10)
▲藤原道長没。62歳(1027)▲徳川吉宗、江戸庶民が無料で病気治療が受けられる小石川養生所を 開設(1722)
▲高橋景保、世界地図作成へ(1807)▲ナポレオン、宗教裁判を廃止(1808)▲京城で金玉均らが日本の援助で
クーデター起こす。甲申事変(1884)▲ベルリンで北里柴三郎、ジフテリア、破傷風の血清療法を発見(1890)
▲女子大の創設、大学の男女共学制等女子教育刷新要請を閣議決定(1945)▲国連総会原子力平和利用決議(1954)
▲天城山ピストル心中事件(1957)▲国連総会で核実験停止決議(1969)▲八丈島東方沖地震(1972)
▲米映画「E・T」日本公開(1982)▲「マックユーザー日本版・創刊号」(ソフトバンク発行)の付録の
CD-ROMに98000円の本物のソフトが入っていたことが判明(1993) ▲山形新幹線、山形―新庄間開通(1999)
▲和食が世界無形文化遺産に(2013)▲山手線に新駅、品川―田町間に、高輪ゲートウェイ駅決まる(2018)
▲アフガニスタンで、井戸を掘って住民救済に心血を注いだ中村哲医師が襲われ死亡(2019)