1945年9月2日は、日本が、正式に、太平洋戦争終結の、「無条件降伏」文書に、署名し、米中英ソなど、
戦争の相手国も署名して、戦争は終わったのです。
ロシアでは、日本が、正式に、「無条件降伏」文書に、署名した、9月2日が、第二次世界大戦の終戦記念日
にしています。
1951年9月、「サンフランシスコ平和条約」の時、
日本は、ソ連を除く連合国とは、平和条約が成立したが、当時のソ連首相スターリンは、サンフランシスコ
平和条約に調印せず、日ソ平和条約は成らなかったのです。
日本とロシア(ソ連)の間の「平和条約」は、今も、取り交わされていないのです。
スターリンは、戦勝国として、日本の「北海道を半分、寄こせ」と主張したが、戦勝の中心だったアメリカが
拒否したので、「気に食わない」と、署名しなかったのです。
北方4島の領有については、あいまいなままになり、ソ連が、占領したままでした。安倍晋三元総理の父君安倍晋太郎元外相などが、日ソ平和条約を結んで、なんとか、4島返還をと交渉し、息子の安倍元総理も、プーチンを山口まで招いて、「獺祭」を振る舞ったりして、4島返還実現を目指したけれど、したたかなプーチンに翻弄され、返還実現されないまま、今日に至っているのです。
ソ連は、日本に、無条件降伏をさせることを決めた「ヤルタ会談」の結果を受け、日ソ中立条約を一方的破棄、
1945年8月9日、満州に侵攻、日本がポツダム宣言受諾した8月14日後も満州や樺太、北方4島に侵攻、
1945年9月2日、日本が、東京湾のミズリー艦上において「降伏文書」に調印するまで、ソ連の侵攻は続いたのです。
話は遡り、日露戦争での、樺太割譲経緯。
ロシアは、1905年6月12日、日本が樺太占領前にアメリカの講和勧告を正式受諾していたにも拘らず、
日本軍は、7月7日、樺太に侵攻、ロシアは、6月12日に戦争は終わったと思っていたので、戦闘意欲は無かったのでしょう、7月末までに全島を占領してしまったのです。
1905年8月9日、ポーツマス講和会談が開始され、9月1日休戦協定締結、9月5日調印。
ロシアの猛反発あったが、樺太南半分割譲で妥協、決まったのです。
終戦が決まるまで、戦果として勝ち取った『領土』は「おれのもの」というのは、お互い様だったのです。
日本では、終戦記念日は「無条件降伏の玉音放送」があった8月15日。ソ連では、9月2日まで、戦争中。
北方4島返還問題は、安倍総理のお爺ちゃん岸信介(太平洋戦争に踏み切った東條内閣の閣僚だった)達が
遺した「負の遺産」。4島返還問題は、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三の、親子孫3代にとっても、イワクインネンがある、一筋縄では行かない、大問題なのです。
「武力で取られた樺太半分」というウラミは、「北海道を半分、寄こせ」になったのです。
プーチンの、ウクライナ侵略戦争は、ウクライナの皆さんには、絶対許せないウラミになっているのです。
武力で紛争解決しようとすれば、ウラミが主役の泥沼戦争になるのです。
プーチンは、泥沼に足を取られ、沈んで行くのです。プーチンは、野望を諦め、1日も早く、兵を退くことです。
9月2日「今日は何の日カレンダー」より 宝くじの日(第一勧業銀行宝くじ部,1967)、靴の日
▲オランダに、下田・箱館を開港(1854)▲日本初の、鳥類保護制度(1890)▲岡倉天心、没(1913)
▲東京専門学校が早稲田大学と改称(1902)▲米艦ミズーリ号上で日本が降伏文書に調印(1945)
▲リニアカー、世界初の有人走行(1982) ▲バブル崩壊、整理金融会社設立(1996)▲ニカラグアで
M.7.7の地震、津波で180人死亡(1992)▲低容量ピル発売(1999)▲大相撲力士の大麻汚染問題
発生(2008)▲野田内閣発足(2011)▲六本木クラブ襲撃事件(2012)▲ブラジル国立博物館で火災、
収蔵物が全焼(2018)▲台風接近の鹿児島・奄美大島沖で貨物船沈没1人救出、43人行方不明(2020)
▲東京・池袋で起きた高齢者の自動車暴走事故(8人が被害)実刑判決、検事・弁護側双方上告せず結審(2022)▲インド初の太陽観測衛星打ち上げ成功(2023)