モールス音響通信

明治の初めから100年間、わが国の通信インフラであったモールス音響通信(有線・無線)の記録

電信競技会(その1)

2017年09月27日 | モールス通信
◆電信競技会(その1)

競技会についてはかなり古い記録があるが、当局(東京中電)で行われたのは明治35年6月のものが初めであった。

明治29年の競技会はわが国で最初の競技会とされるものであって、この開催にあたっては通信局2名、当局(東京中電)3名の5名(氏名略)が委員となり、競技会規程(8条)を設けて競技種目をモールス印字機による和欧文送受信、音響機による和欧文の受信の6種類とし、これについて和文は1分間115字以上を、欧文は同様30語以上を送受する技能を持たない者にたいしては審査を行わないことなどを定めた(電信協会誌第345号)。<本競技会は電信協会主催もので、東京郵便電信学校で実施>。

上記の開催趣旨は明らかでないが、次の32年に行われた競技会の際にはこれがかなりはっきりしている。即ち、明治28年から使われはじめた音響通信が同31、2年のころ全国の印刷通信にとって代わる、いわば電信通信界の大変革期であったところから、急速に音響通信に習熟するためには、競技会の開催が最適であるとされたのである。当時国際電信競技会開催の企てのあることを了知していた大阪郵便電信局長池田十三朗の主唱によって、大阪電信競技会の名称で主として和欧文音響通信競技会を行った。なおこの国際競技会というのは1899年(明治32)に欧州10数カ国参加のもとにイタリアで開催されたものを指しており、これは以後1911年(明44)、1922年(大11)、1927年〈昭2)と都合4回ヨーロッパで開催された。

降って42年、現字、音響、さん孔、現波など規模の大きさでは全国で最初のものとして、当局及び市内2等局並びに協会支部管内各電信局から出場者157名、逓信大臣ほか多数列席のもとに行われた。「競技者の熟練は実に驚く許りにて指先に発信器を叩く様は宛がらミシン機械の振動するが如く思わず感嘆の声を放しめたり」とこの時の模様を新聞も伝えている(朝日6月7日)。<逓信協会東京支部主催、会場は逓信官吏練習所(旧東京郵便電信学校)で実施>

また、この第二回は、更に受付、検査、配達などの部門を加え、電信事務競技会の名で236名参加のもとに、前述のように明治45年6月、当局において開催された。

大正年代まではこのほか大阪(明33、明44、明45)、名古屋(明44、大2、大4)、新潟(明44、大2)、金沢(明43)、長野(明43)、松江(明44)、京都(大1)、仙台(大2)、富山(大5)の各地ごとに開かれている。

昭和6年10月には初めて全国的規模の大会が大阪で行われ、当局からも12名(氏名省略)が出場し、各通信局、鉄道省、陸軍省、海軍省、警視庁、海外植民地など各通信機関選抜の競技者と覇を争った。
<大阪毎日、東京日日新聞社主催、会場は大阪市中央公会堂>

翌7年1月、当局では着局指定競技を各課において開催、昭和10年には、特別会計制度実施1周年を記念して各部対抗の特殊通信技術競技会を開催した。昭和12年2月には東京都市逓信局主催による競技会が行われた。

電信事業70周年を記念して当局で行なわれた昭和15年の競技会は逓信省主催のものである。全国の各局はもちろん、遠く朝鮮、台湾、樺太、北支、中支、蒙疆の各電信現業員及び日本郵船、大阪商船の両船舶会社無線通信士から選抜された代表による大競技会であった。競技は当時逓信省現用の有無線の基本的書通信である和欧文タイプ音響、和文音響、高速度和文タイプ音響、和文杵さん孔、和欧文鍵盤さん孔、和文頁式印刷機送信、和文貼附式印刷機さん孔など14種目について行われた

なお、この年6月及び8月の再度にわたり、満州電信電話会社並びに華北電信電話会社における電信競技会には、参加招請に応じて大阪局とともに当局からも選手が新京及び北京に遠征している。

昭和16、17両年の7月にはさきの東京都市逓信局主催による競技会第3回(於逓信局)、第4回(麻布の講習所並びに当局の2ヵ所)が開催されたが、以後は戦時の緊迫化に伴って終戦まで行わていない。(その2)へ続く。

◆出典 東京中央電報局史(昭和33年12月1日)東京中央電報局編集 
    財団夫人電気通信協会発行

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昭和29年の電信協議会 (nakao)
2017-09-29 16:45:47
東京中央電信局で開かれた、昭和29年電信競技会(2人組電話通信)に九州代表として参加したことを思い出します。結果は残念ながら失格でした。
返信する
nakao様へお礼 (増田博治)
2017-09-29 23:30:36
電信事業の中の重要な役割を担った電話通信で、貴兄が九州代表として全国電信競技会に参加されたとは驚きです。競技会は定められた方法に少しでも外れると失格する厳しいものだったと聞いたことがあります。二人組通信ですから、多分、若き男女がペアを組んだのでしょう。どちらの現場でお二人が九州代表に選抜されるほど腕ならぬ声の修練に励まれたのでしょうか。その思い出を本ブログにご披露いただきたく、是非ご一考をお願いたします。
返信する

コメントを投稿