城郭 長谷川博美 基本記録

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異論か!?正論か!織田信長の旧二条城の中世的内畝に世間が驚愕する。

2020-07-11 16:55:39 | お城日記
異論か!?正論か!織田信長の旧二条城の中世的内畝に世間が驚愕する。

質問者
 長谷川先生と行った城址見学で二重の堀の中の
 内畝を見た例は明智と細川の勝竜寺城また浅井
 の大嶽城の北にある巨大二重堀切の内畝も壮大
 でした。浅井氏羽柴秀吉の近江横山城の二重堀
 の内畝も極めて特異な横山城の米蔵曲輪を守る
 為の施設でしたし越前引壇城の内畝見学も意義
 のある見学内容でした。また坂田郡の名越越え
 の城の二重堀切にともなう内畝も記憶に残る物。
長谷川
 貴方の指摘素晴らしく学問的です!何故ならば
 今あなたの取り上げた城は全て文献『信長公記』
 に登場していると言う事、つまり貴方は文献と
 現場の城郭遺構の相互を学門している。世の中
 は文字ばかり追う文字歴史学と現地ばかり追う
 2つの思考やアプローチの違いがあります。貴方
 は食事で言うなら肉も野菜もバランス良く食べる
 学生さんならば文武両道のスポーッと勉学二刀流。
 (名越越えの城は『信長公記』には登場していない)

一般者
 あのう~ワシも長谷川先生から教えてもらった
 んやが全く覚えておらんのよ!なにしろ城址に
 行くとハイキング気分に支配されて城址遺構の
 観察注意力が減退してしまうんや、浮き足立つ。

世話人
 貴方さま、長谷川先生の城郭遺跡解説をどこか
 で軽んじている。だから大切な遺構を見損なう。
 大事な遺構を平気で見落とし話題や理論だけが
 一流になる傾向。城址見学では、講師も軽んじ
 城址も軽んじ物見遊山に陥った時に城址を見る
 油断見落としが発生する、私は1000回城跡へと
 行っても、私は素人と初心に帰って勉強します。
 茶道でも花道でも弓道でも習い事でしょう浮か
 れた人からは、軽薄に学びたくはないのですよ。
長谷川
 素人には2種類おられます。
 素人だから初心者だから城址を必死に見学する人。
 素人は城址を見てもどうせ解らんと見る気無い人。
 前者は城郭遺跡を学門の場と考えて集中している。
 後者は城郭遺跡を行楽の場と考えて油断している。
 
 野球選手の打者を見ていても投球されたボールを
 必死に集中してバットを必死にコントロールして
 る選手が必ずヒットを放っている。有名選手でも
 全く球を見る気、打つ気が失せた時には凡退する。

田畑氏
 世のなか完全に素人のくせに偽物が虎口などと
 言って、虎口でない場所を民衆を扇動して騙す、
 完全な偽学者もいます。善良な人が騙されちゃ
 いかん!ちやんと虎口を勉強した人に学ぶ事だ。
 いかんせん現代社会は詐欺や虚偽や偽物が流行。
 捏造、盗作、パクリ、搾取いただきの時代です。
 城郭でもそうです。堀切が北に向かって掘られ
 ているのにこの城は南に向かって作られている
 などと軽率に言う人の言動と作為に注意する事。

質問者
 本能寺の変の時に明智光秀襲われた織田信長の
長男織田信忠の長男、堅固な二条城に逃げ込んだ
のに何故あんなに簡単に二条城は落城してしまっ
たのでしよう!?本格的石垣に囲まれた二条城が?
簡単に落城して織田信忠も自害してしまった事に
疑問を感じます!

長谷川
 貴方は旧二条城と新二条城を勘違いされてます。
貴方は徳川幕府が築城した堅固な石垣の城を想像
しておられる。歴史とはイメージや印象ではなく
現実の現場を見る事を考察する事をお勧めします。
信長が室町幕府将軍、足利義昭の為に築城した城
旧二条城は文献では石垣や二重の水堀が存在して
屏風絵などでは天守が描かれていますが宣教師達
の記録には二重の水堀、三カ所の堡塁枡形または
馬出し、水堀には水鳥が飼われていた事などが解
っておりまます。私は現実に発掘で出土した内畝
「うちうね」に注目しまします。これは二重堀の
水位を調節する畝「畝うね」隔壁と考えて良いか
と思います。水堀の隔壁「水戸違い」は彦根城で
も現在も、確認する事が可能です。水位調節です。
大切な事は歴史を見る冷静さです。二条城=石垣
と固定概念やイメージ論で歴史解釈しない事です。
人間と言う動物は記憶と言う脳活動をしています。
一度学んだ印象や記憶を考え直すという柔軟思考
が出来にくいものなのです。印象イメージは人間
社会を支配している事を忘れてはなりませんよ!
★この城は文献『信長公記』に登場する。
対談者
 そうか?石垣の城でも水位調節の為に内畝を
施している城が中世的な土の城が存在するのか?
対談者
 しかし寺院城郭、近江多賀敏満寺にも内畝が
存在した事を最近知り、非常に驚いています!
長谷川
 ちょつと待って下さい!城郭見学したら土塁や畝/うね
や畔/くろを見る事は極めて素朴な基礎的な城址見学です。
もう既に壊れて存在しないものは多賀久徳城の外郭堀に
は二重堀で内畝が存在しました。★久徳氏も『信長公記』
に登場する。

田畑氏
 たしかに、大きな二重の堀が以前は残っておりました。
長谷川
 昔は二重の堀の間に畝も観察する事が出来ましたよね。
畦畔や土手や溝「塹壕」を見学する事は城郭見学の基本
中の基本です。
▼久徳城旧観縄張図 現在外郭二重堀は消滅している。

▼余呉町の戦国期の塹壕と土塁 余呉城郭研究会
▼玄蕃尾城の外畝の現場写真 余呉城郭研究会

対談者
▲写真に激写されてます!賤ケ岳合戦玄蕃尾城の外畝
長谷川
▼ 甲賀北内貴城の横堀と外畔「そとうね」の様子 米原『城歩会』
▼浅井郡大依山砦山麓土塁遺構見学記念写真「あしもと」

長谷川
 近江番場鎌刃城にも内畝が残っていました。
この写真は城郭を区画する仕切土塁の痕です。
みんな
 そんなの聞いてないよ!誰も説明しないし!
世話人
 そんな事ないわよ!城郭見学とは一期一会です。
私達米原『城歩会』は長谷川先生から解説受けた。
小さな土塁から大きな土塁まで見る初心が大切よ!
男性
 俺は駆け足で鎌刃城を見学してこの仕切塀を見落とした!
世話人
 私は長谷川先生と賤ケ岳城、鎌刃城、佐和山城、小谷城
 多賀堡月の亀山城などで一文字土塁や仕切り塀を見てる!
 赤尾山城の一文字土塁にも非常に巨大で驚きましたよね!
 ▼一般者アアッ!これは佐和山城の一文字土塁に似てる!

男性
全部、俺は見落としてちゃつてる訳よ!これはイカンぜよ!
世話人
 あなた自分は城の事解っていると思っているでしょう!?
 私達米原『城歩会』は初心者集団!初心者ゆえに長谷川
 先生から貴重な遺構を見落とさずにすんだ最高の見学会。
 城址見学の根本は初心失わない事、驕る事、高慢な意思
 を制御して素晴しい歴史城郭の世界を見落としはしない。
田畑氏
 最近偽物歴史研究家が出てきて枡形がここにあると嘘を
 言う素人以前の横着者が現れて、私は心中憤慨してます。
 いい加減に偽者には本当に辟易している所なのですよ!
みんな
 いるいる。しったかぶりの偽物、ちやんちやら。笑える。
 でも一般の人には、田畑さんの様に偽物を看破する事
 は出来ません。社会に観光は創作する物という発想あり。
 遺跡を歴史を的確に認識把握してない人は多いものです。
みんな
 二重堀で内畝が残っている近江の城を教えて下さい!
長谷川
 鎌刃城、江龍奥の城、大嶽城などです。これは彦根
城など登り塀や竪堀などの遠いルーツ祖形や原型と
言える、竪の畝や内畝の典型と言えるでしようね?
▼米原市 江龍奥の城の目の覚める素晴らしい内畝の遺構!
対談者
 さてさて坂田郡犬上郡の男鬼城の見学会は凄かったです!
一般様
 何が凄かったの?確かに城址は超弩級巨大戦艦みたい!
長谷川
 『城歩会』では近江最大の内畝遺構を見学しましたね!
一般様
 俺そんなの聞いてねいわ!俺そんなの関係ねい!事だよ!
世話人様
 何を言っておられます。男鬼城の巨大な内畝長谷川先生
 と丁寧に見学した事を覚えていないの?あなたもしかし
 て城郭遺跡本気で見てないでしよう?城郭見学には必死
 のパッチではない人ね?通過通過の新快速網干行き状態。
一般様
 でも男鬼城にそんなの無かったと思うんだけど!?
長谷川
   今一度謙虚に初心に帰り男鬼城の巨大長畝をまた
  山蛭「やまびる」が発生しない季節に見学しま
  しよう。城址をしっかり見学する習慣を付ける。
 
長谷川
 中世の竪堀や竪土塁を見落とさないで岩熊城岩熊峠。
長谷川
 塩津熊谷氏、また坂田郡の土肥氏など本舗地頭と
呼ばれる武士団は北近江に早くから割拠してまして
この斜面を滑りおりる様な多和田山城は坂田郡地頭
職の土肥氏の分家多和田殿の城かと思います。文禄
慶長期に日本城の倭城に登り石垣が急に発達したと
言う説がありますが日本に旧来からある竪堀や竪土
塁や朝倉築城記にある「立堀」たつほり、等の文献
やこの多和田山城の登り石積みを過小評価して貰っ
ては困ります。城郭発達の系譜なども急にその施設
が急発達した訳ではなく、元寇の役の時の石塁防塁
があり、竪堀、竪塀は、彦根城などでも旧来の日本
の城の要素を伝統的に継承していると私は思ってい
ます。研究者の視点や論点や主観は異なりますが?
先ず城郭の先生は現地に残る現場の城郭遺跡こそが
真の城郭の先生である事を忘れて遺蹟を見ずに通り
こしていたら全く城郭遺跡見学の意味がありません。
▼多和田山城
一般者
    やはり長谷川先生は滋賀生まれの滋賀育ち、メイド、イン
 滋賀の老舗城郭研究だけの事はあります。それは、まるで
 琵琶湖に産まれて、琵琶湖の魚の事をよく知り尽した漁師
 さんの様な、現場感覚に裏打ちされた実践力と言う事です。
 だから県外の城郭見学の人は東京からも岡山からも富山か
 も地元滋賀県からも福井から三重から岐阜から来られる訳。

▼佐和山城の本丸土塁を見る宮本さん
そんなものは一切残っていないと強く反発する理論派や
文字派の人に対して、ありのままの現実を、あるがまま
に見学しようとする。城郭遺跡見学派の信頼は熱いもの
論より証拠の地に足が付いた素朴で純粋な心が胸を打つ!
何も難しく難解な事言っていません横断歩道があります
じやあ一旦停止して横断歩道を確認する様な基本的な事!
素朴さ純粋さは時に歴史の裏側も照射する事もあるかも?



コメント (7)
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近江城郭喫茶対談

2020-07-11 16:55:39 | 講演予定
城郭ビイスタ論 上文字クリック

近江城郭喫茶対談

店主様
 店の名前は出さないで下さいね。
長谷川
 委細承知致しました。
店主様
 長谷川先生!中日新聞滋賀版見ましたよ!
 私40年も昔から長谷川先生を知ってます。
店主様
 なんと言われましても、滋賀県の産んだ、古豪の
 城郭研究家また、老舗城郭研究家、元祖城郭本舗
 として古くから知る人ぞ知る存在の先生ですもの。

 
長谷川
 昔は蒲生郡を中心に活動させて頂いた時期も
 昔から、国道307号線、八日市沿い方面には
 長谷川親子支持層が多かった記憶があります。
店主様
 それよりもウチの店の常連田畑さんに驚いた。
 田畑さんとは、身も心もに一切飾られません。
 ウチの店の土手の草刈り無償でして下さった。
 ウチは客商売してますから田畑さんが多賀町
 でこの時期に多数の人が参加された講演会を
 開催された事が風の噂で聞いて驚いてますの。
 人が集まると言う事は田畑さんに人望信頼が
 ある事の証明ですよね!?でもウチの店では
 田畑さんはその事は一切一言も言われません。
 田畑さんは絶対自慢や自己宣伝はされない人。

長谷川
 田畑さんの人助けや救援活動を実際に何度も
 目にしました、慈善活動は一切他言したり自
 慢したりはされません!昔、早朝、多賀林道
 で偶然林道に落石した石を除去されている場
 を見て私は心を打たれた事を記憶しています。
 それは前川常務や宮本さんと同じ現場目線の
 人、城郭見学とは安易な事でない必死の現場。
▼人知れず奮闘される前川常務

長谷川
 田畑さんは、、、
 余呉城郭研究会でも城址の草刈りを、無償で
 白シャツが茶色に変色するほど汗ビッショリ
 で草刈りされたのです。前川常務は人の裏側
 を看破する田畑さんに余呉城郭研究会の会長
 を委託されて、会員諸氏がビックリされた!
 数カ月後に多賀町議議会の席を得られて更に
 全員驚いた。更に、私が驚いた事には当時の
 議事録にはもう6年も前の事なのに「ふるさ
 と納税制度」や「クラウドフアンデイグ」を
 多賀で採用して過疎化した山村地域の復興を
 提案された多賀隆盛策をも意見されている事。
 政治屋は得票して有権者の多い地域の開発を
 主張されるだけが政治屋ですが、田畑さんは
 政治家として任期には町議会議員とし堅実に
 政治経済自然文化の智識を活かしてその役目
 を全うされました。
店主様
 田畑さんはもう町議や政治活動を目的とせず
 無償の無料の講演会を開催された事が偉い!
 長谷川先生も田畑さんの奥深い部分を良く知
 っておられその深さに驚く。彦根城の白く
 美しい白鳥の水中の足の水かきは一般の人
 は全く見られませんが田畑さんは縁の下の
 基礎石の様な地道で表に出ない活躍される。

長谷川
 時に余呉城郭研究会でも未だに何故田畑さん
 が会長だったか?全く理解しない人もおられ
 困惑致します。多賀での講演でも予備マスク
 を用意されたりスタッフに軽食を用意された。

田畑氏
 さあ私は余呉城郭研究会の会長ではありませ
 んが名誉理事として来る令和2年7月18日の
 長浜市臨湖の歴史講演「賤ケ岳合戦の裏側」
 を如何に定義づけるかを深く思慮しています。
 長浜市の北部北近江には年間90万人を引き付
 ける越前一乗谷や関ヶ原古戦場以上の城郭の
 遺跡が残っています。是を広域長浜市として
 如何に認識し、福滋の人々と連携托生して北
 の過疎地を観光の表舞台として如何に提唱する
 か?これは単なる歴史愛好家だけ為の講演とは
 異なる視点、ビジョン、展望が内在してます!

店主様
 なるほどね!本当に田畑さんの視点は広い!

長谷川
 明治の宰相の伊藤博文が柳ケ瀬トンネルをば
 『万世永来之隧道』とその碑文で読んだ視点
 は長州藩士で英国を訪れた国際的グローバル 
 な巨視的発想です。余呉城郭研究会も新たに
 生月茂さんを会長に選定されたのも巨視的に
 社会を俯瞰する能力を見込んでのものでしょ
 う。郷土発展のカギとは時に郷土の人ばかり
 だと井の中かわず。灯台もと暗しになる事も
 もあり外から見た郷土の視点を感じられる人
 がリダーや先導者の器をもっておられる事が
 あります。現代流に言えばアウトソーシング
 とも言えるグローバルな視座を持っ人を地域
 のリダーとして選定する事が肝要になります。
長谷川
 去る7/4の多賀講演は田畑さんに呼応する彦根
 犬上郡の諸氏名士が続々参集されました。長浜
 米原彦根八日市日野大阪高槻からも遠征し来訪
 されました。長浜在住の生月余呉城郭研究会を
 中心とした新たな取り組みも期待されています。
 多賀講演の後には我々は地元多賀博物館を見学
 したり多賀観光に行かれる人もあった事でしよう。
 そう言う意味で田畑さん。生月さんの地道な取り
 組みが、期待されていると思います。田畑さんの
 履歴、元関西城郭研究会会員、元滋賀民俗学会会員
 、元余呉城郭研究会会長、元多賀町議会議員、や
 元彦根図書館オブザバー役、現NPO自然と歴史
 ロマンの会理事、現余呉城郭研究会名誉理事など
 は、本物の慎重な歴史的視点を持つ人の証明です。
 田畑さんの活動の根本に「利」ではなく「義」が
 存在し商工業活動よりも生涯学習勉学志向の人!
田畑さん
 とにかく、令和2年7月18日午後1時よりの
 長浜臨湖会館の歴史講演宜しく御願いします。
 下記チラシの7月18日をよく読んで下さい!

過去写真


追記 長谷川
普段見逃してしまう。長浜城の旧天守台や本丸跡や石垣の痕跡
や太閤井戸なとせも併せて皆様とともに是非見学致しましょう。



 
 
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