安土城の築城系譜を引く豊後佐伯城の幾何学考察
◆対談者
長谷川先生の城郭ビイスタ理論
は昭和平成にはなかった令和の
新城郭理論として話題が続いて
います。これを知らないと恥を
かいてしまいます。
◆質問者
ウイッキペデイア佐伯城を引用
関ヶ原の戦いにおいて、徳川方
(東軍)に与したことにより、
海部郡に2万石を与えられ、
に入城した。しかし、栂牟礼城は
険阻な山城で、平時の統治には
不便であったため、翌1602年
(慶長7年)から番匠川河口近く
の八幡山で新城の築城に取り掛
かった。縄張は織田信長の元家臣
指揮した石垣師の羽山勘左衛門が
担当した。6年の歳月をかけて
1606年(慶長11年)にはおおよそ
完成したが。1617年(元和3年)、
二の丸より失火して、本丸と天守
を焼失した。とあります。
◆質問者
九州佐伯城にも安土城や姫路城
と類似したビイスタ縄張とは?
佐伯城に存在するのですか?
◆長谷川
そんな難しい問題は一流の先生
に質問して下さい私は不人気で
無名の4流研究家なのですから
◆対談者
先ず安土城にビイスタ工法が
ある事自体をお城の先生達が
知らない訳です。
◆長谷川
放射腺状に石垣を配置する
位置決めを城郭ビイスタと
言います▼安土城ビイスタ
◆長谷川
安土城 複数ビイスタ 5カ所
◆長谷川
佐伯城 複数ビイスタ
ABCDEFG全て7カ所の
ビイスタがあります。
◆一般者
すげえ~長谷川先生は城郭の
金田一耕助だよミラクルだよ!
◆長谷川
佐伯城の本丸はこの様に縄張
をされています。佐伯城本丸
の中心には中央測量点が読み
とれるでしよ!中央ビイスタ
◆長谷川
安土城天主台の測量方法
ズバリこの中央測量方法
◆長谷川
織田信長元家臣だった市田祐定
が安土城も佐伯城も縄張を担当
したと仮定すると両城には類似
縄張が必ず潜在していると見る
べきでしょう先ず佐伯城西出丸
のビイスタを拡大してみます。
◆長谷川
佐伯城の西出丸はまるで
バトミントンのラケット
の様な縄張をしています。
次に安土城の八角平です。
伝菅谷邸とも言いますが
もう私がつべこべ解説を
する必要ないと思います。
同じ縄張の技巧を使って
います。また安土城には
食違い虎口も読み取れて
赤丸の中と言う事です。
◆長谷川
と言う事で安土城と佐伯城
にはビイスタ工法から見た
場合非常に類似点がある事。
◆質問者
長谷川先生は以前安土城に
大手の見栄えビイスタ
搦手の見栄えビイスタ
があると解説され驚きました。
▼安土城の表と裏ビイスタ
◆質問者
安土城の縄張
佐伯城の縄張
も市田祐定だと推定すると
豊後佐伯城にも表と裏双方
の城郭ビイスタありますか?
◆長谷川
たいへん良い質問されてる
と思います。貴方の御指摘
どおり佐伯城にも表と裏の
城郭ビイスタは存在します。
▼佐伯城の表裏ビイスタ
◆質問者
安土城台所郭ってどの様に
縄張しているのでしょう?
◆長谷川
簡単じやないですか。こう
です。そうビイスタの理論
で縄張しています。
◆質問者
佐伯城口違い虎口はビイスタ?
◆長谷川
そのとおりです。
◆長谷川