特報! 信長側室 お鍋の方関係の山城を発見
◆質問者
京極氏の古城を数城発見を
長谷川先生されたのに何故
見学会を中止にされたの?
◆長谷川
私は著書が全くない人間
私は肩書が全くない人間
私は人気が全くない人間
私ブログ全く人気がない
従って開催するには至ら
なかった訳です。要する
に私には需要がない訳で
社会から必要とされない
5流研究家に人集まらず。
◆他府県の人
うかしいですよ!ウチの県
なら即刻30人は集合される
長谷川先生ほどの研究家に
誰も集合しない事が不可解
◆長谷川
そんな夢の様な話を言わない
で下さい!私は不人気の5流!
私に支持者理解者がいない!
◆質問者
でも米原学びあいステーシヨン
の長谷川先生の講座は20人満員
と言う長く盛況を保持してます。
今月は12月26日木曜10時の予定。
◆長谷川
東海北陸近畿から集合した皆様の
御協力や受講者様助言の賜物です
偶然と言いましたが各位皆様には
時間調整して積極的に参加を賜っ
ている訳で聴講の皆様の誠実さに
深く感謝を改めて申し上げます。
◆講座参加者
講座は一回ずつ異なる様式で解説
されどんな変化球が来るのか楽し
みです。柔軟な歴史視点に驚く!
長谷川先生の支持者様達は慧眼
人を洞察する能力が存在する事
先生の本質をよく見ている賢人。
◆質問者
小倉鍋「なべ」は信長側室として
よく知られていますが永源寺町の
高野にある通称「お鍋屋敷」では
愛知川段丘上の立地とは言え城郭
の防御力は完璧と言えません然る
べき高野の山中に高野小倉氏とし
て山城を構えて高野の防衛に努め
ていたと思います。長谷川先生に
は高野山城を米原の講座にて是非
御願いを申し上げます。高野山城
を発見して解説して欲しいのです。
◆長谷川
たしかに高野城は平城とも言えて
織豊系の縄張や石垣は見事ながら
山城がないと八風峠や蒲生野方面
の敵の見張り不充分と言う指摘か?
◆ウイッキペデイア小倉実房
から何かしらの親交があったようで、永禄2年(1559年)の信長
上洛の帰路では美濃衆の襲撃を回避する為に、小倉領から鈴鹿山脈を
越えて伊勢へと抜ける八風峠越えを行ったが、実房はその際に織田軍
の水先案内を務めた。後に永禄13年(1570年)に起きた金ヶ崎の戦い
でも千種越えに協力して織田軍の岐阜城帰還を助けたが、これが承禎
の怒りを買い攻め滅ぼされた。後にお鍋の方は信長の側室となり、
信長との間に織田信高・織田信吉・於振(水野忠胤・佐治一成室)を
もうけ、甚五郎・松寿兄弟も織田家に仕えた。
◆長谷川
小倉鍋は最初の自分の夫、小倉実房
を六角義賢に殺害されています信長
に一族庇護を求める為に必死だった。
◆質問者
ちょつと変な質問を致しますが?
鎌刃城まつりに○○〇の○〇様が
参加され米原の城講座に参加され
る経緯とは何だったのでしょうか?
◆長谷川
山彦さんは鎌刃城の私の仕切り塀
解説に感銘を受けたと言われた事
で弟子のない不人気講師の私には
身に染みて感激致しました。鎌刃
に仕切り塀がある事は山彦さんが
堀樋口の城鎌刃の城として見てい
ると私は喜んだ嬉しかった訳です
学者にとり傾聴者様がある事です。
◆顧問役
高野の山麓に仕切り塀のある
城館の跡らしいきものが見え
て来ました。これはスゴイ!
◆長谷川
主郭と従郭併せて長さ約54.9m
で仕切土塁で館を区画してます。
姫屋敷に相当するかと思います。
この遺構は山城がある事を示唆。
◆対談者
長谷川先生は山麓館と山頂の
山城のセット概念を基本通り
に解説されます。私が体験を
した限りでは
赤尾館と赤尾山城の見学会
鎌掛城と鎌掛山屋敷の見学
清水谷の御屋敷と小谷本城
十兵衛屋敷と光秀の山城跡
朝倉義景館と一乗城山見学
彦根城表御殿と本丸の見学
秀次館と近江八幡山城見学
佐和山城の大手土居と山城
大桑城四国堀と大桑城山城
そういうキッチリとした城
の基本形を学んで来た基礎
が私の今の城見学の基本に
なって堅実な実りを与えた。
ですから永源寺高野のお鍋
屋敷の背後の山城や見張砦
が出現したしても私は先生
が幻想談や話を盛ってると
は感じないのです。当然の
事ながら100%出現します!
それが素朴な城学習の基礎
長谷川先生は基礎を重んじ
る素朴な城郭研究の先生よ!
◆顧問役
さあ次は高野小倉氏の山城を
是非新発見を致しましよう!
うおおー堀切が見えて来た!
◆顧問役
高野山城堀切は確実に存在します。
◆長谷川
小倉氏の高野山城の発見ですね。
左から堀切、土橋、犬走、主郭
切岸の下に石礫を伴う腰郭です。
山小屋と呼ばれる遺構でしょう。
素晴らしい山城高野山城ですね。
城郭の基礎「犬走」も必ず見る
認識する事がスキルUPの基本!
◆顧問役
腰郭の切岸も明確です。長谷川
先生!私が先生に付いて行く訳
は先生が本から勉強した城郭学
ではなく滋賀に育って滋賀城郭
の現実を計測して滋賀の城をば
語る民衆の為の民衆による城学
と呼べる本物の城郭の先生だか
らですよ。そんなの図書館本を
丸写だとか今朝来た新聞受け売
りではないリアルフオーク学だ
民衆からは発信されるドキュメ
ントの本物の城郭の先生ですよ。
本物の城跡に出逢える機会こそ
が地味な滋賀の地味な現実です。
◆みんな
すげえ!高野山城の発見だよ!
やはり城郭の金田一耕助です!
長谷川先生の推理の切れ味だ!
◆長谷川
もっと驚くべき事を報告を致
します。この城跡には石垣列
が認めるられる事です。詰り
永源寺八風峠高野道など主要
道路を監視できる見張り櫓を
備えていた可能性があります。
つまり小倉鍋方の石垣の城で
あった可能性も出て来た訳で
城郭の形式としてし永源寺の
小倉氏の久居瀬城など同様の
小倉氏関係の地域城郭の要素
を私は今回の調査で感じた事。
おそらくなべ夫の小倉実房の
時代の中世城郭の要素が濃い
高野山城かと考えております。
◆みんな
長谷川先生!すげえ!ブログ
なのに何故か人気がゼロです?
◆長谷川
私には人気なくても構わない!
私を理解して下さる方が大切。
私は芸能人ではないので人気
がゼロで当り前の訳なのです。
私が進めるべき事とは私から
学ばれた方のスキルUPです。
◆長谷川
私の考えは間違ってるかと
常に深く悩んでいますが。。
城観光 探訪
↓
城見学 遺跡見学
↓
城とは何かを悟る城哲学へと
素朴な民衆の皆様が進捗進展
される事陰ながら謙虚に慎ま
しく祈ります。城講座で懸命
にメモを取る人、城見学にて
真剣な質問をされる人の真心
に接する事が出来る事こそが
私の研究家として生き甲斐!