天運は我等の頭上にあり!余呉城郭研究会怒涛の快進撃!令和3年11月
◆世評様
滋賀極北の余呉町で12年「賤ケ岳城郭フオーラム」
を継続された前川ロハス社長や講師長谷川さんの
湖北野外戦国ミュージアムと言う観点から見た時
非常に学術的に地域振興的に起爆材としても重要!
◆長谷川
現場を軽んじないで下さい。下準備を軽んじない
で下さい。旅案内やパンフに掲載されている所謂
カタログ城址探訪やハイキングや城めぐりの世界
とは完全に異なり、事前踏査、調査の上に立脚し
現地を解説して行く現地遺跡型見学会に於いては
田畑氏の事前協力や地道な調査協力が基盤となっ
ています。城郭フオーラム12年軌跡の基盤とは?
やはり物言わぬ、縁の下の力持ち田畑氏の尽力!
◆長谷川
11月20日、余呉城郭研究会の見学会の為に
県外から、三重、京都、愛知、岐阜、岡山の
名士様、県内は長浜市、彦根市、近江八幡市、
草津市など多数参集を賜り深甚に感謝します。
◆余呉様
余呉は天女の子孫、官公ゆかりの地、梅鉢紋
の世界が広がっています。余呉氏/佐々氏など
梅鉢紋を使う家系が多いのです!願わくば学
門の神「官公」我々を余呉城郭研究会を守護
余呉の天女よ!我らの学習会に晴天を招来を!
▼天女アートの前で気勢を上げる『余呉城研』
◆天気様
余呉城郭研究会の見学会は長年、天候に恵まれて
奇跡の晴天が98.%の晴天率です。雨でも奇跡的
に晴れ間を目指して奇跡的に見学されるエピソー
ドが数多く現在までその伝説的見学会が継続して
ます。
◆初参加様
研究会年間会員費は無料である事に驚きました。
長谷川先生の性格は関東系や東海系を思わせる
フランクな性格なので気軽に発参加できました。
◆吉備様
岡山から遥々余呉に来ました前から行きたかった!
前田利家の茂山陣所=前菜①
木村小隼人神明山城=御飯②
山路正監の堂木山城=御肉③
ポップ、ステップ、ジャンプと徐々に盛り上がり!
◆余呉城郭研究会スタッフ様
見学会で足の痙攣を防止する為にまたアキレス腱
などの保護の為も含め、ノルデックストレッチを
権現坂で実施させて頂きました。
◆長谷川
帰宅しても足の痙攣が一切発生せず感謝致します。
◆質問者
前田又左衛門利家は信長から長篠鉄砲戦で3人奉行
として選ばれた1人です。余呉の茂山前田利家陣に
は鉄砲戦に備えた遺構は現実に残っていましたか?
◆長谷川
『信長公記』に記録された設楽ケ原の戦い「長篠合戦」
では信長軍は「身隠し」を設けてたと記録しています。
「身隠し」を身を隠す「トレチ/溝みぞ」と解釈すると
天正11年1583年の前田利家茂山陣もこの「溝/トレンチ」
を視認確認する事が前田利家陣を歴史検証する事が基礎
的な城塁見学の基本と言えます。令和3年余呉城郭研究会
の諸氏は確実に、この前田利家陣を補足した歴史現場検証
班と呼べる「特捜班」とも言って過言ではない人々です。
▼前田利家 茂山陣の土塁と溝「トレンチ」鉄砲塹壕写真。
◆緊急告知
以下の文室山「高尾山」「池原山」見学会は賤ケ岳
合戦を語る上で貴重な見学会になりますその訳とは
①秀吉が文室山に来ている記録が残っている。
②山岳戦「賤ケ岳合戦」とは
大岩山ー賤ケ岳ー飯之浦切通ー権現坂ー文室山で実施
されている現実。
③文室山には6砦と堀切塹壕が残存
③池原山には1砦と多数の凹凸が存在。
12月4土曜日 特別企画!!
文室山/池原山陣城 見学会
『余呉城郭研究会』主催
文室山/池原山陣城 見学会
『余呉城郭研究会』主催
生月茂会長推薦度★★★★
ウッデイパル余呉、受付代行
☎予約0749-86-4145
文室山=天正11年賤ケ岳合戦陣城
内要 賤ケ岳合戦の現実実像実際!
文室山=高尾山=陣城6カ所
池原山=浅見道西陣城1ケ所
遺構=堀切/土塁/土橋/巨大腰郭
講師推薦数値★★★★★
◆地道な案内板修繕作業「余呉城郭研究会」
◆地道な案内板修繕作業「余呉城郭研究会」
◆対談者
地味こそ大切!地道こそが一番大事!
コツコツのコツはやはり、コツコツ!
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