歴史の盲点を突け!米原市内歴史地理探索!
◆長谷川
天正11年2月13日付けの佐和山城
に居た秀政の郷野文書文献が凄い
何故ならそれは○○〇在住の○○氏
から御教示受けた滝戸と言う小字
地名です。とくに山屋敷の文言は
脳内に電光や閃光が走る文言です。
◆一般様
そんなマニアックな文書は
だれも一般人は、読まない
聞かない関係ないの三拍子
◆長谷川
今回は米原市内の某所です
しかし私の研究してる世界
は自動車の発達しない徒歩
の時代です。米原市梓の関
とは重要な関所なのですが
そこから長岡に向かうには
黒坂超え、黒坂砦を通過し
て長岡方面に向かう間道で
す。この途次に小字滝戸の
山屋敷とか田畠は必ずある
と私は着眼した訳です。
●当地での会話より
◆長谷川
御仕事中に恐れ入りますが
「たきど」「滝戸」は何処?
◆草刈仕事人様
アンタ誰や?ここが滝戸や!
◆長谷川
御教示を賜り感謝致します。
なるほど堀秀政文書の如く
田畠や山屋敷の跡が解る!
でもこの場所は内密です。
◆同道者様
これはエグイ生々しい遺構だ!
水田ではない屋敷の跡ですね!
◆長谷川
戦国時代は田畠や山屋敷を
買得してもこれ等を自衛す
る見張り砦が必要ですから
背後の山に砦を探索に行く
事に致しましよう。砦の長
さは30間54.9mが多いです。
1は竪堀です。
2の右は建物の基壇遺構です。
3の右は犬走り遺構です。
4は砦に入る虎口遺構です。
5は削平されたこの砦の主郭です。
6は約50m尾根先にある出丸です。
主要部の遺構は城と言うより砦の
様相になっています。また機会が
ありましたら見学致しましよう。
場所は道路計画等の計画ある場合
には妨げとなる事やケースもあり
未公表に致します。
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