城郭 長谷川博美 基本記録

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宇都宮城のビイスタ構造 おそろしきビイスタ構造

2023-10-21 05:02:17 | 関東の城 ビイスタ工法

◆ウイッキペデイアより引用

 

宇都宮城釣天井事件(うつのみやじょうつりてんじょうじけん)は、

江戸時代元和8年(1622年)、下野国宇都宮藩主で江戸幕府年寄

本多正純が、宇都宮城吊り天井[注釈 1]を仕掛けて第2代将軍徳川秀忠

の暗殺を謀ったなどの嫌疑をかけられ、本多家は改易、正純は流罪

なった事件である。ただし、実際には宇都宮城に釣天井の仕掛けは存在

せず、改易は別の原因によるものとされる。

 

◆質問者

宇都宮城は現在中心部が復元されて

いますがかってのこの城に城郭測量

に基ずく城郭ビイスタ存在しましたか?

 

◆長谷川

江戸期図面を考察するとビイスタ構造

が宇都宮城にも存在したと思います。

AとBの起点を持っWビイスタ工法です。

◆長谷川

アとイのWビイスタも読み取れます。

◆長谷川

徳川の江戸城もWビイスタ作られて

おります。

 

◆質問者

長谷川先生の城郭ビイスタ論

は昭和平成の正統派城郭論

から逸脱していると思いますが?

◆長谷川

そうでしょうか?江戸期の郭

測量法はこれが標準と言う事

を再度日本人は認識すべき。

◆長谷川

とにかく本田氏が宇都宮城にはビイスタ

を多様した築城なした事は徳川側の監査

視点からみると「うかしい」疑義や猜疑

を招く事にもなります。人間社会とは常

に馬鹿を演じて「ボケ」をかます事が時

として社会や政治体制から目を付けられ

ない暗愚を演じる事が処世術と言えます。

何時の世も出来過ぎ君は嫌われ疎まれる。

のほほん。のほほん。の馬鹿殿こそ名君。

 

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