◆ウイッキペデイアより引用
宇都宮城釣天井事件(うつのみやじょうつりてんじょうじけん)は、
江戸時代の元和8年(1622年)、下野国宇都宮藩主で江戸幕府年寄の
本多正純が、宇都宮城に吊り天井[注釈 1]を仕掛けて第2代将軍徳川秀忠
の暗殺を謀ったなどの嫌疑をかけられ、本多家は改易、正純は流罪と
なった事件である。ただし、実際には宇都宮城に釣天井の仕掛けは存在
せず、改易は別の原因によるものとされる。
◆質問者
宇都宮城は現在中心部が復元されて
いますがかってのこの城に城郭測量
に基ずく城郭ビイスタ存在しましたか?
◆長谷川
江戸期図面を考察するとビイスタ構造
が宇都宮城にも存在したと思います。
AとBの起点を持っWビイスタ工法です。
◆長谷川
アとイのWビイスタも読み取れます。
◆長谷川
徳川の江戸城もWビイスタ作られて
おります。
◆質問者
長谷川先生の城郭ビイスタ論
は昭和平成の正統派城郭論
から逸脱していると思いますが?
◆長谷川
そうでしょうか?江戸期の郭
測量法はこれが標準と言う事
を再度日本人は認識すべき。
◆長谷川
とにかく本田氏が宇都宮城にはビイスタ
を多様した築城なした事は徳川側の監査
視点からみると「うかしい」疑義や猜疑
を招く事にもなります。人間社会とは常
に馬鹿を演じて「ボケ」をかます事が時
として社会や政治体制から目を付けられ
ない暗愚を演じる事が処世術と言えます。
何時の世も出来過ぎ君は嫌われ疎まれる。
のほほん。のほほん。の馬鹿殿こそ名君。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます