恐ろしき家の罠 からくり 押機と釣天井 つみほろぼしの世界
※神武東征神話の中の押機『古事記』より
神武天皇は八咫烏の先導と案内で熊野から
吉野の川辺を経て、険しい道を行き大和の
宇陀に至る。
宇陀には兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯
(オトウカシ)の兄弟がいた。まず八咫烏
を遣わし、カムヤマトイワレビコ「神武天皇」
に仕えるか尋ねさせたが、兄のエウカシは
鳴鏑を射て追い返してした。 エウカシは
神武を迎え撃とうとしたが、軍勢を集められ
なかった。そこで神武に仕えると偽って、
自ら御殿を作ってその中に押機(踏むと
挟まれて圧死する家の罠)を仕掛けた。
弟のオトウカシは神武にこの件を報告した。
神武は、大伴連らの祖の道臣命(ミチノオミ)と
久米直らの祖の大久米命(オオクメ)をエウカシ
に遣わした。二神は矢をつがえて「仕えるなら
、先ずは、お前が御殿に入って仕える様子を見せろ
」とエウカシに迫り、エウカシは自分が仕掛
けた罠にかかって死んだ。この話は神話の世界で
あり現実ではないが自らの罪により自ら滅んだ。
兄は体制に逆らう反抗者
弟は体制に密告の迎合者
※ 宇都宮城釣天井事件より
宇都宮城釣天井事件(うつのみやじょうつり
てんじょうじけん)は、江戸時代の元和8年
(1622年)、下野国宇都宮藩主で江戸幕府
年寄の本多正純が、宇都宮城に吊り天井を
仕掛けて第2代将軍徳川秀忠の暗殺を図った
などの嫌疑を掛けられ本多家は改易、正純が
流罪となった事件である。実際には宇都宮城
に釣天井の仕掛けは存在せず改易は別の原因
とされる。
元和8年(1622年)、正純は秀忠が家康の
七回忌に日光東照宮を参拝した後、宇都宮城
に1泊する予定があり、城の普請や御成り御殿
の造営を行わせた。4月16日に秀忠が日光へ
赴くと、秀忠の姉で奥平忠昌の祖母・加納御前
から「宇都宮城の普請に不備がある」という
密訴があった。内容の真偽を確かめるのは
後日とし、4月19日徳川秀忠は「御台所が病気
である」との知らせが来たとして予定を変更して
宇都宮城を通過して壬生城に宿泊し、21日に
無事に江戸城へと帰城した。
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