goo blog(gooブログ) 石田三成 大谷吉継の伝説を求めて
先日米原の大谷吉継首塚伝説に立ち寄りました。
米原市下多羅にありました。
私は余呉出身です。下多羅から中多羅に
向かうと。寺院の鐘楼が見えて来ました。
近年の研究では大谷吉継は近江余呉出身
大谷「小谷」説が有力視されています。
私の近江余呉の出身です。この寺院の梵鐘
の説明書きには以下如く記されています。
つまりこの寺院様の梵鐘は私と同じ余呉。
◆大谷吉継首塚伝承地から入江方面に向かう
と昔ながらの湖沼の風情きが残っています。
霊仙山系を遥か遠く望み水辺には水鳥の姿も!
治部少輔三成の辞世の句は
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と
ともに消えゆく 我が身なりけり」
です。ともに消えゆくとは友たる
吉継の事を暗喩しているのかも?
三成は生前佐和山城で吉継と関ヶ原
準備会議を開いています!
◆藤蔓「ふじずる」と鴨狩猟方法
民俗学的考察。
石田三成の家紋の一つに石田藤も
あるのですが、長い縄の様な藤蔓
に餅木「もちの木」の粘着樹液を
琵琶湖に流すとその樹液に鴨が取
りついて鴨猟が出来ると言われて
います。石田三成の居城は佐和山
城でしたが三成の屋鋪は彦根側の
「もちの木谷」にあったと言われ
ております。
さてさて私は琵琶湖湖岸の浜みち
を歩いて行くと、世継集落の中に
春日神社があり、その社伝に何と
「石田三成参拝して藤一株を植える」
と書いてある事何とも石田三成辞世
の句である。
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と
ともに消えゆく 我が身なりけり」
が大変切実に、感じられました。
三成の詩の余韻が湖岸に響き渡ります。
米原で聞く余呉の鐘の何と裏淋しき事。
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