城を知り 社会を知り 真の学問を知る
◆質問者
この投稿の趣旨とは?
◆長谷川
賤ケ岳古戦場
関ケ原古戦場
両所に行って感じる事は
A組
観光ー現代ー案内版の撮影
B組
現実ー昔日ー現場現実遺跡
A組は現実の遺跡から離れた
所の観光案内版を撮影し満足
「観光客/歴史紀行/旅情趣味」
B組は現実の400年以上前の遺跡
を現実に見たい人で看板に不満足
「現地遺跡見学希望者/見学組」
A組B組には明らかに観光や見学
の根本的な価値観の違いが存在
観光行楽と現実遺跡見学は乖離
している社会現実と言えます。
◆長谷川
先ず下の写真を見てみましょう
これは慶長5年1600年の関ケ原
合戦の大将宇喜多中納言秀家の
陣城の現場写真です現地の城郭
解説担当講師は長谷川博美です。
◆長谷川
城の基本は石垣はありません
関ケ原合戦の古戦場写真の
撮影者は長谷川です。城とは
本来「土+成=城」なのです
城を学ぶ人にとり土塁見学は
基本の事です。この常識の事
つまり土の城を基本に置く事
が肝心な事だと私は思います。
◆長谷川
令和5年10月15日米原学びあい
ステーシヨンの皆様は関ケ原
の宇喜多秀家陣城見学に行か
れましたリアル現場な古戦場
の現場見学会と言えましょう
この大合戦は日本の東軍西軍
に分かれ繰り広げられた大戦
◆長谷川
もしかすると関ケ原の宇喜多秀家
の陣城を見学された米原町域居住
の人々は城跡を見学に来た事自体
に気付いていないかもしれない?
京都の御土居を知る人もいたが?
◆長谷川
次にこの写真を見て見ましょう
この古戦場は天正11年1583年の
北陸と近畿の対戦、賤ケ岳合戦
の東野山陣城の土塁と空堀写真
です。冷静に写真を観察する事
をされる人は関ケ原賤ケ岳合戦
双方とも同じような土塁による
陣城を築いております。これが
古戦場見学の本質「城塁見学」
である事が解ると思います。
◆長谷川
以上が土+成=城と言う基本
今投稿の基本「城を知る」!
これを認識してないとただの
ヤブ探検になってしまいます。
◆質問者
社会を知るとは何ですか?
◆長谷川
米原市から関ケ原行きの人
地縁コミユニテイなのです。
地縁で行動する人間社会性。
◆質問者
長浜市余呉町東野山城に
は多数の見学者が来訪を
されています長谷川先生
の御尽力賜物と言えます。
◆長谷川
いいえ!参加されている
方々の9割は滋賀県外の人
従って地元長浜市内の人
は全く参加されていませ
んこれはこの見学会地元
の方の参加ではない事で
社会学的にはグローバル
コミョニテイ広範の人々
を私は相手にする観点を
持つ城郭講師と言えます。
ローカルコミユニテイと
は地縁集団が集合する事
私は何の為に長浜市余呉
に行っているのでしよう?
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