鹿深 かふか 甲賀
『延喜式』や『和名類聚抄』に近江国は
滋賀・栗太・野洲・蒲生・神崎・愛智・
犬上・坂田・浅井・伊香・高島の12郡で、
国府は栗太郡(現在の大津市大江)とさ
れる。近江国の甲賀郡は「甲可郡」
★(コーカ郡)とも表記され、
『正倉院文書』に「甲賀」は「甲可
」また「甲加」と表記され、『日本書紀』
で★「鹿深」とあり、当時は★「かふか」
と読んだ。甲賀郡の名は、『続日本紀』
天平十四年(742)二月五日条で、
「この日、始めて恭仁京東北の道を開きて、
近江国甲賀郡に通ず」の文献が最初である。
甲賀(甲可)地名は、河内国讃良郡に「
甲可郷」、「志摩国英虞郡」に「甲賀郷」
などがあるとされる。令和の現在、滋賀県
甲賀市は(こうかし)と発音されている。
滋賀県米原市甲賀は滋賀県米原市甲賀(しが
けんまいばらしこうか)と発音されている。
さて私の述べたい事は甲賀は「こうが」と
発音しない特徴がある事である。私は過去に
現在の滋賀県米原市甲賀の集落の発音に強い
興味と感心を持っていた。法雲俊邑先生の
著書『落人と木地師伝説の地甲津原まちおこし』
から引用させていただくと、江戸時代天明
の頃の事を以下の如くく記されている。
よしつき=吉槻であり、 かふか=甲賀であり、
まがたに=曲谷であり
こうふつはら=甲津原である。甲津原、曲谷
、甲賀、吉槻の4集落はかって東草野と呼ばれ
元来浅井郡に含まれ、伊吹町、米原市と編入され
て行った経緯を持つ。私は特に東草野の甲賀が
「かふか」と表記されている事に注目している。
『延喜式』には滋賀 (しか) ,栗太 (くるもと)
,甲賀 (かふか) ,野洲 (やす) ,蒲生 (かまふ)
,神崎 (かむさき) ,愛智 (えち) ,
犬上 (いぬかみ) ,坂田 (さかた) ,浅井 (あさゐ) ,
伊香 (いかこ) ,高嶋 (たかしま) の 12郡がみえる。
『延喜式』や『和名類聚抄』に近江国は
滋賀・栗太・野洲・蒲生・神崎・愛智・
犬上・坂田・浅井・伊香・高島の12郡で、
国府は栗太郡(現在の大津市大江)とさ
れる。近江国の甲賀郡は「甲可郡」
★(コーカ郡)とも表記され、
『正倉院文書』に「甲賀」は「甲可
」また「甲加」と表記され、『日本書紀』
で★「鹿深」とあり、当時は★「かふか」
と読んだ。甲賀郡の名は、『続日本紀』
天平十四年(742)二月五日条で、
「この日、始めて恭仁京東北の道を開きて、
近江国甲賀郡に通ず」の文献が最初である。
甲賀(甲可)地名は、河内国讃良郡に「
甲可郷」、「志摩国英虞郡」に「甲賀郷」
などがあるとされる。令和の現在、滋賀県
甲賀市は(こうかし)と発音されている。
滋賀県米原市甲賀は滋賀県米原市甲賀(しが
けんまいばらしこうか)と発音されている。
さて私の述べたい事は甲賀は「こうが」と
発音しない特徴がある事である。私は過去に
現在の滋賀県米原市甲賀の集落の発音に強い
興味と感心を持っていた。法雲俊邑先生の
著書『落人と木地師伝説の地甲津原まちおこし』
から引用させていただくと、江戸時代天明
の頃の事を以下の如くく記されている。
よしつき=吉槻であり、 かふか=甲賀であり、
まがたに=曲谷であり
こうふつはら=甲津原である。甲津原、曲谷
、甲賀、吉槻の4集落はかって東草野と呼ばれ
元来浅井郡に含まれ、伊吹町、米原市と編入され
て行った経緯を持つ。私は特に東草野の甲賀が
「かふか」と表記されている事に注目している。
『延喜式』には滋賀 (しか) ,栗太 (くるもと)
,甲賀 (かふか) ,野洲 (やす) ,蒲生 (かまふ)
,神崎 (かむさき) ,愛智 (えち) ,
犬上 (いぬかみ) ,坂田 (さかた) ,浅井 (あさゐ) ,
伊香 (いかこ) ,高嶋 (たかしま) の 12郡がみえる。
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