美濃、昼飯大塚古墳、見学記
私は、昔から美濃、垂井、関ヶ原、大垣方面の遺跡に興味を持っています。
2019年 令和元年 友達の全くいない私は 独り淋しく古墳を訪れました。
※墳丘の威容に感激!
その墳丘の巨大さには圧倒されます。
※典型的な大和型の前方後円墳です。
※巨大な前方部を古代交通の要、関ヶ原方面「不破道」に配した見事な設計が伺われます。
古墳の築造年代
4世紀末(古墳時代中期)
古墳の規模
•墳丘長 約150メートル
•後円部径 99メートル
•高さ 13メートル
•前方部高 9.5メートル
•周壕含む総全長 約180メートル
出土遺物
•墳丘
円筒埴輪、形象埴輪(家・蓋・盾・靫・甲冑形)、
勾玉・ガラスなどの玉類、土器・土製品など
•埋葬施設
竪穴式石室(北棺):過去に盗掘を受ける。未調査。
粘土槨(南棺):未調査。
木棺直葬(西棺):棺外から鉄剣・鉄刀、鉄製の工具などが出土。棺内は 未調査。
※美濃国府中跡を望む
※古代美濃国府跡
天平12年(740)聖武天皇の美濃国行幸で、「国城ヲ巡観」したことが『続日本紀』
あります。不破関に美濃国の防衛設備を見回った思われます。大和王朝にとり軍事的に
東国への経路美濃国が重要だった事を暗示しています。『続日本紀』の天平17年(745)
4月甲寅条に美濃大地震で、国府の櫓・館・正倉などが倒壊したという記録があります。
驚くべき事に美濃国府遺跡で9本の巨大な掘立床柱が検出され私が思うにこの遺構こそ、
美濃国の国見の高櫓、つまり国観の望楼と推定致します。
私は、昔から美濃、垂井、関ヶ原、大垣方面の遺跡に興味を持っています。
2019年 令和元年 友達の全くいない私は 独り淋しく古墳を訪れました。
※墳丘の威容に感激!
その墳丘の巨大さには圧倒されます。
※典型的な大和型の前方後円墳です。
※巨大な前方部を古代交通の要、関ヶ原方面「不破道」に配した見事な設計が伺われます。
古墳の築造年代
4世紀末(古墳時代中期)
古墳の規模
•墳丘長 約150メートル
•後円部径 99メートル
•高さ 13メートル
•前方部高 9.5メートル
•周壕含む総全長 約180メートル
出土遺物
•墳丘
円筒埴輪、形象埴輪(家・蓋・盾・靫・甲冑形)、
勾玉・ガラスなどの玉類、土器・土製品など
•埋葬施設
竪穴式石室(北棺):過去に盗掘を受ける。未調査。
粘土槨(南棺):未調査。
木棺直葬(西棺):棺外から鉄剣・鉄刀、鉄製の工具などが出土。棺内は 未調査。
※美濃国府中跡を望む
※古代美濃国府跡
天平12年(740)聖武天皇の美濃国行幸で、「国城ヲ巡観」したことが『続日本紀』
あります。不破関に美濃国の防衛設備を見回った思われます。大和王朝にとり軍事的に
東国への経路美濃国が重要だった事を暗示しています。『続日本紀』の天平17年(745)
4月甲寅条に美濃大地震で、国府の櫓・館・正倉などが倒壊したという記録があります。
驚くべき事に美濃国府遺跡で9本の巨大な掘立床柱が検出され私が思うにこの遺構こそ、
美濃国の国見の高櫓、つまり国観の望楼と推定致します。
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