今日(27日水曜日)は雨上がりの朝。昨日の夕方からの雲の張り出しが雨をもたらしたようだ。
昨日に続き遠野和紙の材料となるコウゾ作りのボランティア作業に出かけたが、入遠野の遠野和紙工房「学び舎」に到着した頃には、薄暗かった空に明るみが増していた。
年が明けてからの作業は、枝から剥いだコウゾの皮から表面の黒皮を剥ぐ作業だった。この作業で剥ぎ出した白皮からごみを取り除き、打解という砕いて繊維化する作業を経ると和紙の材料となる。28日には、この作業に加えコウゾの枝を蒸し上げて枝かわ皮を剥ぎとる作業があった。
刈り取った枝を釜の中で1時間半から2時間蒸し上げ、柔らかくなった皮を一気に剥ぎ取る。コウゾの木の世話は、春から夏の作業だが、和紙の材料とするための作業は基本的に寒い季節となる。その中で唯一温かいものを扱うのがこの作業だ。
釜から上げたコウゾの枝から伝わる温もりはとてもありがたい。釜から出した枝は、一端をねじって割れ目を付けて縦に皮を裂いて剥きとる。剥きとった皮は少量を束ねて竿にかけて干し上げる。
この日は福島市の印刷会社が、発行する季刊誌に掲載する記事の取材に入った。3人のスタッフのうち若い女性社員が2人で、この2人は枝からの皮剥き、白皮を剥ぎ出す黒皮剥きを体験していった。初めての作業に四苦八苦していた。この体験からどんな記事を書き上げるのか。記事を読むときが楽しみだ。
28日の作業は黒皮剥きだ。ひたすたコウゾの皮に向かいあい、表面の黒皮、その下にある青皮までを剥ぎとり、白皮を剥ぎ出す。
作業には包丁と、包丁の台となる藁の編み物を使う。藁を束ねた一端の断面は斜めになっており、ここにコウゾの皮を置き、黒皮と青皮の層まで包丁を入れて、しごきとるように皮を剥ぎ取る。青皮等が残っていれば、さらに剥ぎ取り、変色した部分があれば、これをはさみでカットして白皮とする。
この作業は1月13日に初体験し、今日も含めて5日目の経験でまだまだヘタ。向いた黒皮が途中で切れたり、青皮が削り取れなかったり、また、皮に小枝の痕やカビの痕などがあると、その部分でちぎれたりするので、白皮化に非常に苦労する。もともとの皮が薄いものだったりするとぺらぺらの白皮しか残らないこともある。
実は、この作業を始めてからずっと思っているのだが、左腕の前腕(肘から下)の上部から左側部向けて痛みを感じている。痛みのために力が入らないのだ。その原因として思い当たるのがこの黒皮剥きの作業だ。
一端干されたコウゾの皮は、黒皮剥き作業の前に水に浸たし柔らかくする。皮を剥ぐ際、包丁には結構力が入る。このため皮を固定する左腕にも力が入る。水を含んだ皮は若干ぬめるので、余計な力が入る。この剥ぎ取りがスムーズにいけば良いのだが、ヘタなために黒皮や青皮が残り、何度も剥ぎ取り作業を重ねることになる。この間、左手は右手の包丁作業の力に耐えられるだけの力を込めて皮をつかみっぱなしになる。要するに左腕は、〝ヘタ〟が原因でオーバーワークとなり、痛みを感じていると思われるのだ。
このままではやばい、と思うのだが、なぜか皮をつかむ際には力が入るので、皮をつかむ筋肉と別の筋肉に疲労がたまっているものと思われる。これを乗り越えるためには、作業に習熟するしかないと思っていた。
今日の作業で、一つは、道具の手入れで多少改善することを発見した。道具の包丁は共有されている道具を使っている。使っているうちに切れなくなるので研ぎ作業をするのだが、昨日までは、研ぐための道具・シャープナーを使っていたが、今日の包丁は何度研いでも切れ味が復活しない。青皮を剥ぎ取ろうとしても表面を滑るばかりで、皮にぜんぜん引っかかりを作れないのだ。
そこで自信は無いが砥石を使ってみた。お見事とは言いがたいが、多少は切れ味が復活し、見違えるほどきれいに皮をはげるようになった。つまり作業を軽減できたのだ。
もう一つはベテランの作業を良く見てみた。たやすく向いているのだが、そのコツは、最初の包丁入れで、そぐ面となる青皮の下までしっかり均等に包丁を入れつ点にあるようだ。包丁入れした面を一気に剥ぎ取り、その後は残った青皮等を包丁で2度程こそげ落として作業を終えている。私の場合、後の作業が5回、6回、10回と続くので作業がすすまず、腕に疲労が蓄積するのだ。
注意しながら、同じように作業ができるように練習してみた。その結果、比較的、短時間というか、少ない回数で白皮を作ることができるようになったように思う。
ただし、ここで1週間のお休みとなる。このブランクでコツを忘れないように、次回の作業に臨みたい。
白皮は結構な分量があり、作業は昼食をはさんで午後2時過ぎに終了した。ボランティアのリーダー(地域振興協議会の会長)は、来週の黒皮は12kgに増やそうと言っていた。それぞれのボランティアが技能を上げたり、参加するボランティアの人数が若干増えているため、思ったより作業が早く進んでいるようなのだ。
私にとっては作業のコツをしっかり身につけることが、来週の作業を乗り切るために必要そうだ。
さてボランティアからの帰り道、空には青空がのぞき、浮かんだ雲が彩雲に染まっていることに気がついた。写真を撮ろうとしたが、あれあれ、カメラを「学び舎」に忘れてきたようだ。
しかし、トイレにも行きたい。「学び舎」にトイレはなく、近くのオートキャンプ場のトイレを借りるためには車で数分走らねばならない。このため、我慢してしまうことが多いのだ。まずは自宅に戻って用をたし、それからカメラを取りに戻ろうと考えた。
自宅にあったカメラで彩雲を撮った。
うっすらとした彩雲だ。古いカメラなのだが、新しいカメラに比べて色の鮮やかさが違う。「学び舎」に忘れたカメラを手にした時には、空の様子が変わり彩雲は消えていた。
夜は、文化センターで開かれたフォーラム90の講演会を聴講するため出かけた。本市中之作地区の古民家を活用した地域作りに取り組む団体の方のお話だ。新型コロナ影響で、会議室の使用時間が短縮されたため全部を話していただくことができず、後編も開かれることになったが、この活動の取り組みや考えなどをユニークな語り口で講演した。
次回もぜひ聴講したいと思う。
夜の空には満月に近い月。明日が満月だ。月は光環をまとい輝いていた。
昨日に続き遠野和紙の材料となるコウゾ作りのボランティア作業に出かけたが、入遠野の遠野和紙工房「学び舎」に到着した頃には、薄暗かった空に明るみが増していた。
年が明けてからの作業は、枝から剥いだコウゾの皮から表面の黒皮を剥ぐ作業だった。この作業で剥ぎ出した白皮からごみを取り除き、打解という砕いて繊維化する作業を経ると和紙の材料となる。28日には、この作業に加えコウゾの枝を蒸し上げて枝かわ皮を剥ぎとる作業があった。
刈り取った枝を釜の中で1時間半から2時間蒸し上げ、柔らかくなった皮を一気に剥ぎ取る。コウゾの木の世話は、春から夏の作業だが、和紙の材料とするための作業は基本的に寒い季節となる。その中で唯一温かいものを扱うのがこの作業だ。
釜から上げたコウゾの枝から伝わる温もりはとてもありがたい。釜から出した枝は、一端をねじって割れ目を付けて縦に皮を裂いて剥きとる。剥きとった皮は少量を束ねて竿にかけて干し上げる。
この日は福島市の印刷会社が、発行する季刊誌に掲載する記事の取材に入った。3人のスタッフのうち若い女性社員が2人で、この2人は枝からの皮剥き、白皮を剥ぎ出す黒皮剥きを体験していった。初めての作業に四苦八苦していた。この体験からどんな記事を書き上げるのか。記事を読むときが楽しみだ。
28日の作業は黒皮剥きだ。ひたすたコウゾの皮に向かいあい、表面の黒皮、その下にある青皮までを剥ぎとり、白皮を剥ぎ出す。
作業には包丁と、包丁の台となる藁の編み物を使う。藁を束ねた一端の断面は斜めになっており、ここにコウゾの皮を置き、黒皮と青皮の層まで包丁を入れて、しごきとるように皮を剥ぎ取る。青皮等が残っていれば、さらに剥ぎ取り、変色した部分があれば、これをはさみでカットして白皮とする。
この作業は1月13日に初体験し、今日も含めて5日目の経験でまだまだヘタ。向いた黒皮が途中で切れたり、青皮が削り取れなかったり、また、皮に小枝の痕やカビの痕などがあると、その部分でちぎれたりするので、白皮化に非常に苦労する。もともとの皮が薄いものだったりするとぺらぺらの白皮しか残らないこともある。
実は、この作業を始めてからずっと思っているのだが、左腕の前腕(肘から下)の上部から左側部向けて痛みを感じている。痛みのために力が入らないのだ。その原因として思い当たるのがこの黒皮剥きの作業だ。
一端干されたコウゾの皮は、黒皮剥き作業の前に水に浸たし柔らかくする。皮を剥ぐ際、包丁には結構力が入る。このため皮を固定する左腕にも力が入る。水を含んだ皮は若干ぬめるので、余計な力が入る。この剥ぎ取りがスムーズにいけば良いのだが、ヘタなために黒皮や青皮が残り、何度も剥ぎ取り作業を重ねることになる。この間、左手は右手の包丁作業の力に耐えられるだけの力を込めて皮をつかみっぱなしになる。要するに左腕は、〝ヘタ〟が原因でオーバーワークとなり、痛みを感じていると思われるのだ。
このままではやばい、と思うのだが、なぜか皮をつかむ際には力が入るので、皮をつかむ筋肉と別の筋肉に疲労がたまっているものと思われる。これを乗り越えるためには、作業に習熟するしかないと思っていた。
今日の作業で、一つは、道具の手入れで多少改善することを発見した。道具の包丁は共有されている道具を使っている。使っているうちに切れなくなるので研ぎ作業をするのだが、昨日までは、研ぐための道具・シャープナーを使っていたが、今日の包丁は何度研いでも切れ味が復活しない。青皮を剥ぎ取ろうとしても表面を滑るばかりで、皮にぜんぜん引っかかりを作れないのだ。
そこで自信は無いが砥石を使ってみた。お見事とは言いがたいが、多少は切れ味が復活し、見違えるほどきれいに皮をはげるようになった。つまり作業を軽減できたのだ。
もう一つはベテランの作業を良く見てみた。たやすく向いているのだが、そのコツは、最初の包丁入れで、そぐ面となる青皮の下までしっかり均等に包丁を入れつ点にあるようだ。包丁入れした面を一気に剥ぎ取り、その後は残った青皮等を包丁で2度程こそげ落として作業を終えている。私の場合、後の作業が5回、6回、10回と続くので作業がすすまず、腕に疲労が蓄積するのだ。
注意しながら、同じように作業ができるように練習してみた。その結果、比較的、短時間というか、少ない回数で白皮を作ることができるようになったように思う。
ただし、ここで1週間のお休みとなる。このブランクでコツを忘れないように、次回の作業に臨みたい。
白皮は結構な分量があり、作業は昼食をはさんで午後2時過ぎに終了した。ボランティアのリーダー(地域振興協議会の会長)は、来週の黒皮は12kgに増やそうと言っていた。それぞれのボランティアが技能を上げたり、参加するボランティアの人数が若干増えているため、思ったより作業が早く進んでいるようなのだ。
私にとっては作業のコツをしっかり身につけることが、来週の作業を乗り切るために必要そうだ。
さてボランティアからの帰り道、空には青空がのぞき、浮かんだ雲が彩雲に染まっていることに気がついた。写真を撮ろうとしたが、あれあれ、カメラを「学び舎」に忘れてきたようだ。
しかし、トイレにも行きたい。「学び舎」にトイレはなく、近くのオートキャンプ場のトイレを借りるためには車で数分走らねばならない。このため、我慢してしまうことが多いのだ。まずは自宅に戻って用をたし、それからカメラを取りに戻ろうと考えた。
自宅にあったカメラで彩雲を撮った。
うっすらとした彩雲だ。古いカメラなのだが、新しいカメラに比べて色の鮮やかさが違う。「学び舎」に忘れたカメラを手にした時には、空の様子が変わり彩雲は消えていた。
夜は、文化センターで開かれたフォーラム90の講演会を聴講するため出かけた。本市中之作地区の古民家を活用した地域作りに取り組む団体の方のお話だ。新型コロナ影響で、会議室の使用時間が短縮されたため全部を話していただくことができず、後編も開かれることになったが、この活動の取り組みや考えなどをユニークな語り口で講演した。
次回もぜひ聴講したいと思う。
夜の空には満月に近い月。明日が満月だ。月は光環をまとい輝いていた。
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