伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

VR利用で認知症を実感

2019年07月20日 | 福祉・医療
 立っていたのはビルの屋上だった。視線の先にはビルの屋上から見下ろす、アスファルトで固められた地面が見えている。

 すぐ左隣から、「大丈夫ですよ。ほら、右足から前に進んで」と声がする。

 そうは言っても、目の前ははるか下に見える地面。前に進めるはずがないじゃないか。

 左に視線をふると女性の顔が見えた。すると今度は右から男性の声で「大丈夫、大丈夫。右足から、1歩、2歩、3歩」と前にすすむよう促す声が聞こえた。

 いやいや、そう言ったって進めば屋上から落ちちゃうでしょ。

 身を乗り出して階下をのぞき込んでみた。

 3階か、4階か、とにかくビルの屋上にいる。進んだら地面に落ちてしまう。

 この人たちは何を言っているんだろう。だんだん疑念がわき上がってくる。

 3回だろうか、4回だろうか、「大丈夫」「大丈夫、はい、右から1、2、3」と前に進むよう促される。

 VRだと分かっている。試しに3歩足踏みしてみた。しかし、落ちることはない・・まぁ、当然か。落ちる映像は入れていないだろう。

 いったい、私は何を体験しているんだろう。そんな思いもわいてきた。

 突然、暗転してビルが消えた。別の女性が目の前に入ってきて「お帰りなさい」という。そこでVRは終わった。

 「私をどうするのですか」というプログラムだった。いったい今のビデオはなんだったんだろう。


 説明が始まった。

 この映像は、認知症者の実際に見ていた景色を映像化したものだという。

 シチュエーションとしては、送迎車輌から下車を促している場面だというのだ。認知症者には「視空間失認」という症状が出る場合があるという。この場合、例えば市松模様のような白黒模様の黒い部分が深い穴に見えて、うまく歩けなくなってしまうことがあるという。VRで映像化されたのは、視空間失認によって車輌の影の部分がビルの屋上に見えてしまっていたのだ。

 周りの人には送迎車輛のステップと車の影しか見えていない。しkし、認知症本人には高いビルの屋上から見下ろした空間が見えている。これじゃ、周りでいくら「大丈夫」と促したって、本人が大丈夫と思えるはずがない。手をつかまれようものなら、突き落とされるかも知れないと驚いて振りほどいたり、暴れてしまうかも知れない。こんな行動を周りから見れば、ああ認知症の人は怖い、変な人だと思ってしまいかねない。悪循環がここに生じるようだ。

 周りの人には見えていない。しかし、認知症者は別の世界を見ているかも知れない。このような場面では「大丈夫」ではなく、「どうしたの」と聞いて、そのお話の中にある場面に合わせてこちらが行動することが必要なのだろう。例えば、横から声をかけるのではなく、先に車を降りて安全な状況にあることを知らせて、手を握って車から降ろしてあげるなどの対応だ。

 なるほど。そういうことなのか。VRで疑似体験することで認知症者と同じ思いを持って、その思いに即した対応策を考えることができたのだ。


 このプログラムを提供しているのは株式会社シルバーウッド(千葉県浦安市)だ。もともとは建設会社だった。高齢者向け住宅・施設の企画開発をはじめ、サービス付高齢者住宅事業を開始したことから、VRプログラムにまで事業を展開してきたのだという。


 体験は続く。2つ目は、出かけた電車内で居眠りして、今いる場所も、乗り換え駅も忘れてしまったケースを扱う「ここはどこですか?」だ。


 周りの人を見ても、風景を見ても、今いるところが分からない。このままでいいのか、不安が強まる中で意を決して列車を降りた。しかし、どうして良いか分からない。その時、声をかけてくれた女性が、目的地を聞き、乗り換えの改札まで案内してくれることになった。ほーっと一安心。息がもれる。

 この物忘れは認知者に限らない。自分でもあり得るとの思いがわく。過去にこのような場面があったような思いもわいてくる。不安そうな表情を浮かべる人、オロオロ、キョロキョロする人、挙動が不審な人は実は困っている人かも知れない。声をかけてあげることが必要なようだ。


 実際に若くしてアルツハイマー型認知症を発生し、勤務先で仕事を続けている方のコメントが紹介された。電車とバスを乗り継いで仕事に通うが、途中で通勤路を忘れることがあった。当初、途中で道順を忘れ、道をたずねた人に好奇の目を向けられた。その後は、周りの人に助けを請うため、パスケースに認知症の事実と通勤経路のメモをはさみ、これを示しながら教えてもらうようにしているという。彼は、「隠すことは苦しいばかり。隠せば隠す程不安が増し失敗を繰り返す」と話す。認知症を明かすようになってから周りの人が好奇の目を向けることがなくなり、親切に対応してくれるようになったという。

 彼は働き続けることで、生きがいを持った生活ができているようだ。彼は「リスクのない暮らしはない」として、障がい者をリスクから保護するために社会的生活から切り離すあり方に疑問をぶつける。そして、「周りの人の手を借りながらでも、自分の課題を乗り越えて、自分らしい生活を続けていくこと」を望んでいるのだと明かしている。


 最後にレビー小体型認知症者が見る幻視だ。この映像を監修した認知症者の場合、そこにいない人が見えたり、走ってくる小型犬や飛びまわるたくさんの虫が見えたり、揺れていないカーテンが揺れているのが見える。私は気がつかなかったが、ケーキのクリームがウジ虫のようにうごめいたりもしていたという。これじゃ、どうぞと勧められても食べられたものじゃない。

 やっかいな事に、見えているものが、現実か、幻視かは、消えてみないと分からないという。触ってみたり、自分が笑ったり、何かのきっかけがあれば幻視は消えるのだそうだ。しかし、もし見えている人が現実に存在する人ならば、いきなり触られたら嫌がられるだろう。だから、触ってみることにも躊躇が生じてしまう。

 レビ-小体型認知症で幻視を見るような場合、安心感を持ってもらえるようにして幻視と共存できるような環境を整えることが必要だという。そりゃそうだ。視野の中に知らない人がずーっと存在する状態に、不安を覚えない人はいない。不安の場面を乗り越えるためには、たしかに安心感を持てるようような環境を整えることが必要だろう。

 この認知症者はいう。異常視しないでください。近視や遠視や乱視と幻視は同じものと思ってください。そして、何を見ているのか聞いてください。いっしょに笑ってください。

 そういう周りの理解が安心感を高めることにつながるのだろう。


 最初のケースもそうだが、相手の状態をこちらが理解することで、認知症者に寄り添いケアできることがよく分かった。


 ただ、こうも思う。

 認知症者が家族以外の第三者であれば、それを理解し、サポートすることはできるだろうと思う。ただ、家族だったりするとうまくいくのだろうか。家族だからこその思いからストレスが募り、「何で分からない」「何わけのからないことを言っている」とつらく当たってしまいそうだ。ここにも第三者の介入が必要だと思う。そのためには、認知症の事実を周りの人に知ってもらうことが必要だろう。


 そういえばこんなケースがあった。隣の2階からひそひそ話が聞こえる、こびとが見えると幻聴や幻視の症状を呈しながら、1日に3回も買い物に出かける人がいた。買うものはいつも同じ。店側の人は、初めのうちは普通に売っていたものの、いくら何でも同じものばかり買うのはおかしいと認知症を疑い。その日の2回目以降は、さっき買っていっただろうと声をかけるようになった。その人は「そうげ」と言って何も買わずに帰るようになったという。


 認知症と知ったからこそ、できた対応だ。認知症者の行動を制限することになれば、おそらく余計に症状がすすむ。であるならば、社会的にサポートするしかないということになる。そのサポートの気持ちを持ってもらう上で、VRによって認知症者と同じ体験をする。これはいいかもしれない。


 認知症体験会の終わりに、8月5日に市役所の大会議室で認知症サポーターの養成講座をするので参加してと呼びかけがあった。参加してみたいと思う。


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